「反逆だ!! グラナック卿が国に反旗を翻したぞ!!」

 その言葉に厳粛な結婚式の最中であった聖堂内が騒然とする。そして次の瞬間、その者は背後から来た者に斬られたのであった。
 背中から血を流しながら事切れる姿を見た時、参列者達はパニックに陥ったのだった。

「どけどけどけ! 押すんじゃない!! 私はこの国の侯爵だぞ……!」
「お母様~! 怖いよ~!」
「ええいっ! 執事を呼べ! 誰かおらぬか! 頭から血が止まらぬ!」
「待て! 話せば分かる! いくらかね!?」

 人を押し退けて逃げようとする者、ソウェル王立騎士団の紋章が描かれた鎧を身に纏った騎士に斬り殺されそうになっている者、断末魔の叫びを上げる者。――血を流しながら絶命する者。
 阿鼻叫喚となった聖堂に呆然としていた私だったが、すぐに我を取り戻すと、傍らに立つ王子を振り返る。つい数刻前に宣誓を行い、私の夫となったばかりの王子は、この場を諌めるどころか、青い顔をしながら呟いただけであった。

「こんなの知らないぞ……こんなの僕の予定には無かった……」
「待って……!」

 そして他の参列者達を押し退ける様にして、王子は瞬く間に聖堂から逃げ出してしまう。
 結婚式を取り仕切る神官達も逃げてしまい、その場に取り残されたのは、物言わぬ躯となった参列者達と白いウエディングドレスを着た私だけとなってしまった。
 そんな私の元に血塗られた剣を持つ青年騎士が近寄って来る。その騎士は幼い頃からよく知る者であった。
 紺色の短髪を後ろに流し、金色の目でじっと見つめてきた騎士に、私は声を掛けたのであった。

「グラナック卿。どうしてこんなことをするのですか……!」

 グラナック卿と呼ばれた騎士が口を開こうとするが、それより先にグラナック卿の身体が動いた。
 剣を握り直すと、私に向かって走って来たのであった。

「きゃあ!」

 私は身を守ろうとするが、グラナック卿の剣は私の真横を刺した。

「うぅ……」

 声が聞こえてきた方を振り返ると、そこにはグラナック卿の剣が腹部に刺さった黒ずくめの男がいた。グラナック卿が剣を抜くと、男はそのまま床に倒れたのであった。

「グラナック卿、貴方は……」

 剣に付いた血を拭っているグラナック卿に声を掛けようとした時、視界の隅で何かが光ったのが見えた。
 それに気がついた時には、目前に剣が迫っていた。

(殺される……!)

 私は剣で貫かれる衝撃を覚悟して目を瞑るが、いつまで経っても襲ってこなかった。
 恐る恐る目を開けると、目の前にはグラナック卿が庇う様に立っており、真横から私を殺そうとしていた騎士との間に割って入っていたのであった。

「グラナック卿……!」

 グラナック卿の身体を貫いた剣が抜かれると、赤い鮮血を吹き出しながらグラナック卿は後ろに倒れそうになる。

「ごふっ……」
「グラナック卿!!」

 私はグラナック卿に駆け寄ると、腕を伸ばして倒れ掛かる身体を支える。
 傷口から流れたおびただしい量の血で、私が着ていた白いウエディングドレスが赤く染まっていく。

「どうして! どうして! こんなことをするのですか!? 国に反旗など……! 誰よりも忠国の騎士だった貴方が!!」
「……貴女を愛しているからですよ。我が姫」

 口から血を吐きながら、グラナック卿は話しを続ける。

「貴女が小国の王子と結婚すると聞いた時、私は生きた心地がしませんでした。騎士を辞めて貴女を攫って、どこか小さな教会で婚姻を結んでしおうとまで考えました……」
「どうして、そこまで……」
「それだけ愛していたのです。私がお仕えしていた姫。私だけの姫……」
「グラナック卿!! すぐに医師が来るわ! それまで話しては駄目よ!!」

 話している間もグラナック卿の身体からは熱が引いていき、鉄臭い血の臭いが鼻をついた。
 やがて力が入らなくなったのか、グラナック卿の手から剣が落ちる。金属が床にぶつかる甲高い音が聞こえた後、呻きながら膝からくず折れてしまう。グラナック卿を支えられなくなった私も、同じ様に膝から床に座り込んでしまったのだった。

「グラナック卿……」

 そんな私達に近寄って来る者がいた。グラナック卿を刺した騎士だった。
 見知らぬ顔ではあったが、その騎士はグラナック卿と同じこの国の騎士の鎧を纏っていた。
 反旗を翻したのはグラナック卿ではなかったのか。それともグラナック卿は謀反を起こした騎士を止めようとしたのだろうか。
 その時、再び会場内に人がなだれ込んで来る。助けを求めて顔を上げるも、そこに居たのは王子が自国のクィルズ帝国から連れてきた騎士たちであった。

「王女をお救いせよ。謀反を指揮したあの者を捕らえよ!」

 指揮官と思しき騎士は、その言葉と共に私の腕の中で今にも絶命しそうになっているグラナック卿を指さす。

「待って! グラナック卿は違うの!! 彼は謀反を止めようとしたのよ!!」
「良いのです……姫……」

 腕の中のグラナック卿は息も絶え絶えに続ける。私が手を握ると、グラナック卿は力なく握り返してくれる。

「それよりも、早くここから離れて下さい……」
「貴方を置いて行けないわ! グラナック卿!!」
「私はもう助からないでしょう……。迂闊でした……まさか騎士の中にも、王子に連なる者がいたとは……」
「どういう事なの!? 答えて!! グラナック卿!!」
「あの王子はこの騒ぎに乗じて貴女を亡き者にして……この国を乗っ取るつもりです……」

 グラナック卿は「ごふっ……!」と再び血を吐き出す。

「早く逃げて……ヘンリエッタ……生きて幸せになって……」
「グラナック卿!!」
「願わくは……来世こそ貴女をこの手に……」
「嫌よ。グラナック卿。貴方のいない世界で生きていくなんて、そんなの嫌よ!!」

 私の手からグラナック卿の手がするりと抜けると、そのまま床に落ちてしまう。
 最期に「ヘンリエッタ」と私の名前を呼んで。
 長年、私と国に忠義を尽くしてくれた騎士の死に呆然としていると、グラナック卿の身体を乱暴に引き離される。我に返って手を伸ばすが、グラナック卿の躯は無残にも転がされたのだった。

「何をするのですか……!?」

 聖堂の壁際近くまで転がされたグラナック卿の身体から顔を上げると、そこにはクィルズ帝国の紋章を付けた騎士が立っていた。
 夫である王子に仕えるクィルズ帝国の騎士は、鈍く光る剣先を私に向けてきたのであった。

「私を……殺すのですか……」
「王女様はそんな反逆者の話を鵜吞みにされるのですか?」

 冷たい声音に背筋が冷たくなる。震えながらも、落ちていたグラナック卿の剣を拾って両手で構えながら声を上げる。

「反逆者なんて言わないで! 彼は忠義の騎士よ!! このソウェル王国で一番の……!」
「そうですか。それは残念です」

 その言葉と共に騎士は剣を振り下ろす。手から剣が落ちると、その剣先が肩を斬った。声に出来ない痛みと共に、肩から血が溢れた。

「ぐっ……」

 片手で傷を押さえながら、反対の手でグラナック卿の剣を拾おうとするが、その前に腹部を貫かれた。騎士が剣を抜いた時、腹部から噴き出した血が、ウエディングドレスを深紅に染め上げたのであった。

「王女は死んだ。グラナック卿を謀反の首謀者に仕立て上げろ。王女は国に反旗を翻したグラナック卿に謀殺された事にする」
「ち、ちがっ……」

 否定をしたつもりだったが、口から溢れ出た血で言葉にならなかった。そんな私の前で騎士達は話しを続ける。放っておいても、その内絶命すると思われたのだろう。その隙にグラナック卿の元に向かう。

(グラナック卿……エルンスト……)

 幼い頃の様にグラナック卿の名前を呼ぶ。最後に名前を呼んだのは、彼が騎士に叙任される前日だった。グラナック卿が騎士になってからは、一国の姫と騎士という確固たる主従関係が出来てしまい、気軽に名前も呼べなくなってしまった。

(こんな事になってしまうのなら、もっと名前を呼んでおけば良かった……。こんな別れ方をするくらいなら……)

 身体が重く、傷口が燃え上がるように熱を帯びていた。動く度に首元と腹部から血が溢れて、聖堂の中に小さな赤い川を作った。
 暗くなっていく視界と動かない身体を引き摺って、倒れるようにしてどうにか最愛の騎士の亡骸に辿り着く。冷たくなった頬に触れると、彼を喪った悲しみで胸が張り裂けそうになる。私の目から幾つもの涙が零れたのだった。
 息も絶え絶えに掠れ声で呟く。

「私も貴方が……好きだったわ……。だから来世も……」

 貴方と出会って、また好きになろう。今度こそ貴方と結ばれるように――。

(私の騎士……最愛の騎士……私の愛する人……)

 グラナック卿に口づけようとするも、その直前に振り絞っていた最後の力も抜けて床に倒れてしまう。

「エルン……スト……」

 愛する騎士の名前を最後に、そのまま意識を失ったのであった。