人になりたいと思ったサル

天気……今日は一日中、小雨が降っていた。翠湖の湖面には白い霧のようなものが、もうもうと立ちこめていて、幻想的な景観がそこはかとなく醸し出されていた。

降りしきる雨を、かずら越しに、ぼんやりと眺めながら、今日は天気がよくないからだれも、ぼくのうちへ来ないだろうと、ぼくは思っていた。いつもは地包天が朝十時ごろやってくるので、うちのなかでいっしょにおしゃべりをしたり、湖畔に沿って、散策したりしているが、雨の日には地包天は飼い主さんから外出を禁止されて、うちのなかにつなぎとめられているから今日は来ないはずだ。杜真子も天気がよくない日には学校以外の場所に出かけることを、お母さんから厳しく禁止されているので来ないはずだ。馬小跳も来ないだろう。ぼくはそう思っていた。一日中、だれとも会えないのは寂しくもあるが、小雨が静かに降っている情景を、ぼんやりと眺めながら、過ぎ去った日々の懐かしい思い出に浸ることができるのは、ひとりならではの楽しみだから、雨の日も、ぼくはけっして嫌いではない。
入口をすだれのように覆っているかずらから、ぽたぽたとしたたり落ちる雨音に耳を傾けながら、遠くのほうを見ていると、こちらのほうに近づいてくる四人の人影が見えた。目を凝らしてよく見ると、馬小跳と、彼の友だちの唐飛と毛超と張達だった。雨が降っているにもかかわらず、わざわざ、やってきてくれた馬小跳たちを見て、ぼくはとてもうれしくなった。でも杜真子が以前、馬小跳に、ぼくが今住んでいるこの洞窟は二人だけの秘密の場所にしておきたいと言っていたのを思い出したので、馬小跳がどうして唐飛たちを連れてきているのかわからなかった。馬小跳と唐飛たちは、それからまもなく、ぼくのうちのすぐ近くまでやってきた。うちの入口はかずらで、びっしりと覆われているので、なかからは外の様子が見えるが、外からはなかが見えないので、馬小跳以外は、だれも、かずらの内側に洞窟があることに気がつかないでいた。
「おれたちを、どこへ連れて行くつもりだ?」
唐飛がけげんそうな声で、馬小跳に聞いていた。
「この近くに洞窟がある。そこへ連れて行く」
馬小跳がそう答えていた。
「洞窟?」
唐飛が、ぽかんとしたような顔をして聞き返していた。
「そう、洞窟」
馬小跳がそう答えていた。それを聞いて、唐飛と張達と毛超は、辺りをきょろきょろと見まわしていた。
「ど、洞窟なんて、ど、どこにも、な、ないではないか」
吃音(きつおん)障害のある張達が、どもりながら、そう言っていた。
「雑草が生い茂っているだけで、ほかには何もないではないか」
毛超が不機嫌そうな顔をしながら、そう言った。
「そう、いらいらするなよ。確かに、この近くに洞窟があるから」
馬小跳がそう答えて、なだめていた。
馬小跳はそれからまもなく、ぼくのうちの入口をびっしりと覆っていたかずらを手で払いのけた。
「あっ、笑い猫」
ぼくの姿を見て、唐飛と張達と毛超がびっくりして、ぽかんとした顔をしながら、ぼくを見ていた。
「おまえ、どうしてこんなところにいるのだ?」
唐飛が聞いた。馬小跳が
「笑い猫は杜真子のうちを出たあと、ここで暮らしているのだ」
と答えていた。
「そうか。そうだったのか。公園のなかに、こんな洞窟があるとは思ってもいなかったよ。だれが見つけたのか。おまえか、それとも杜真子か?」
毛超がそう聞いた。
「どちらでもない。笑い猫が自分で見つけたのだ」
馬小跳がそう答えていた。
「なかはどうなっているのか?」
唐飛が聞いていた。
「広いよ。おれたちがみんな入っていけるだけのスペースがある」
馬小跳がそう答えていた。
「そ、そうか。お、おれたち、な、なかにちょっと入ってみないか」
張達がそう言った。
それからまもなく、馬小跳のあとに続いて、唐飛と毛超と張達が次々と、洞窟のなかに入ってきた。
「いいな。ここは夏でも涼しそうだし、外の光も洞窟の奥まで入っていて暗くない」
唐飛がそう言った。
「そうだな。人に知られていない神秘的な空間であるところもいいな」
毛超がそう言った。
「こ、ここは雨が降っても濡れない」
張達がそう言った。
ぼくが住んでいるところを、みんな気に入ってくれたみたいだったから、ぼくはうれしかった。
「おまえたちには、この洞窟のことを言うなと、杜真子に、かたく口止めされていた。しかしおれは杜真子との約束を反故にしてしまった」
馬小跳が杜真子に申し訳ないような顔をしながら、そう言った。するとそれを聞いて唐飛が
「気にすることはないよ。おれたちは切っても切れないほどのかたい絆で結ばれた親友だから、秘密を持ち続けることは絶対にできないよ」
と言った。馬小跳はそれを聞いて、うなずいていた。
「おまえたちをここに連れてきたのは、笑い猫がここで生活していることを知らせるためだけではない」
馬小跳がそう言った。
「だったら、何のためなのか?」
毛超がそう聞き返していた。
「この公園のなかでサル回しの大道芸をやっている男がいて、サルを虐待しているので、サルを助けるための知恵を、この洞窟のなかで話し合おうと思ったからだ」
馬小跳がそう答えていた。馬小跳たちは話し合いをするときには、よく梅園のなかにある東屋を利用しているが、今日は雨が降っているので、濡れないように、ここに来たのではないかと、ぼくは思った。
馬小跳はこれまで見てきたサルへの虐待のすべてを、思い出しながら事細かに話していた。それを聞いて唐飛たちは、いきり立っていた。
「許せない。そんな虐待が、この公園のなかで、真っ昼間に堂々とおこなわれていたとは思ってもいなかった。サルを絶対に助けてやらなければ、おれの気がすまない」
唐飛が眉をつりあげながら息巻いていた。
「お、おれは今すぐ、サルを助けにいく」
張達がそう言った。
「公園の、どのあたりでサル回しをやっているのか?」
毛超が聞いた。
「楠林の近くでやっている」
馬小跳がそう答えていた。
「よし、わかった。では、これからすぐ、そこへ行こう」
毛超がそう答えていた。それを聞いて馬小跳が首を横に振った。
「そんなにあせっても、うまくいくはずがない。『急いては事を仕損じる』というではないか」
と言って、自重を促していた。
「サル使いの男は手ごわいのか」
唐飛が聞いた。
「怖そうな顔をしていて、見るからに強そうなやつだ。一筋縄ではいかない男のように思える」
馬小跳がそう答えていた。
「そうか、それなら、おれたちが戦いを挑むだけの甲斐(かい)があるな。しっかり、ふんどしを締めて立ち向かっていこう」
唐飛がそう答えて、決意をあらたにしていた。馬小跳たちは、サルを助けるための作戦をいろいろと練っていたが、どれも一長一短があって、なかなか考えがまとまらないでいた。三十分ほど話し合ってから、馬小跳が
「ここで、あれこれ議論をしても、らちが明かないから、明日から早速、ぶっつけ本番で実行に移すことにしよう。明日の朝、十時に眼鏡橋の上で会って、それから、サルを助けに行くことにしよう」
と言っていた。
「そうだな。今は学校が夏休みだから、おれはいける」
唐飛がそう答えていた。
「おれもいける。でも、めくらめっぽうに向かっていっても勝ち目はないのではないか?」
毛超が聞いていた。
「わかるよ。でも当たって砕けるしかない。失敗したら、また次の作戦を考えるだけだ」
馬小跳がそう答えていた。
「お、おれは走るのが速いから、サルを奪ったら、抱えて逃げる」
張達がそう言った。
馬小跳たちの話を聞いていると、みんな正義感に燃えているのが、ひしひしと伝わってきたので、ぼくはとても頼もしく思った。サルを助けるためのしっかりした方法を見いだすことができないまま猪突猛進で向かって行こうとしているのは、むこうみずなやり方だとは思う。でもこれも馬小跳や、馬小跳の友だちらしいやり方ではないかと思って、うまくいくことを、ぼくは願っていた。馬小跳たちはそれからまもなく洞窟を出て、うちへ帰っていった。