狐を助けたら、好かれました。

​駅を降り立つと、宇都宮の駅前は餃子の甘くて香ばしい匂いと、たくさんの観光客で溢れかえっていた。

​「彩花、巨大なギョウザの像があるわよ!記念写真撮りましょ!」

​「ちょっとお母さん、恥ずかしいってば!……って、お父さんもう並んでるし!」

​大きな餃子像の前で、ノリノリでピースサインを決めるお父さん。

なんだかんだで二人のペースに巻き込まれ、私の重かった足取りも少しだけ軽くなっていく。

宇都宮駅の周辺には、香ばしい油とニンニクの匂いが漂っていた。人気店の前には長い行列ができていたけれど、お父さんが事前にリサーチしていた穴場のお店に入ることができた。

​「はい、お待たせ!焼き餃子三人前と、水餃子二人前ね!」

​運ばれてきた羽つきの焼きギョウザは、狐色……あ、ダメだ。狐って単語に反応してしまう。

香ばしい黄金色に焼き上がっていて、めちゃくちゃ美味しそうだ。

​「いただきまーす!」

​熱々の餃子をタレにつけて一口かじる。

パリッとした皮の中から、ジューシーな肉汁とキャベツの甘みが口いっぱいに広がった。

​「……んんっ!美味しい……!」

「でしょ〜?彩花が食べたいって言ってたからねぇ」

お母さんが嬉しそうに微笑む。

​さっきまでの恐怖が、一瞬だけギョウザの美味しさに吹き飛ばされた。……単細胞だな、私。

​――だけど。その平和な時間は、ほんの些細なことで崩れ去った。

​お土産市場の近くを通りかかったときのこと。人の流れから少し外れた石畳の隅に、妙な違和感を覚えた。

足を止めて目をこらすと、そこには一匹の黒い狐が丸くなっていた。

毛並みは少し汚れていて、後ろ足からは痛々しく血が滲んでいる。

どうしてこんなところに?

見ているだけで、こちらまで胸が締め付けられるように痛む。

​「どうしよう、すごく痛そう……」

​思わず両親に助けを求めようと、反射的に後ろを振り返った。

​「――って、いない!?」

​視界に飛び込んできたのは、見知らぬ観光客の背中、背中、背中。

さっきまですぐ後ろで「どれ買おうか」と話していたはずの両親の姿が、どこにもなかった。

「どうしよう……」

放っておくわけにもいかないし……スマホは充電切れてるし!!

焦りで心臓がバクバクと音を立てる。周りを見渡しても、見慣れない観光客の波ばかりで、お父さんもお母さんもどこにもいない。

もしこのまま見つからなかったら?夕方になって、夜になって――。

​『家族旅行中の女子中学生が行方不明』

『父と母、「早く帰ってきて」とテレビの前で涙』

​最悪のニュースの見出しが頭の中に浮かぶ。

そんな想像をしただけで、血の気がサーッと引いていくのが分かった。冷や汗が背中を冷たく伝い、足元から崩れ落ちそうになる。

逃げ出したい、お父さんとお母さんの名前を叫びながら泣き出したい。

「マジでどうしよう……」

でも、焦って走り回ったら余計に迷子になっちゃうよね……。

​「ううん、落ちつけ私……!まずは目の前のこの子!」

​足元を見ると、黒い狐は「くぅん……」と小さく鳴いて、つらそうに体を丸めている。

「痛いよね……待っててね、今助けるから」

​ハンカチをポケットから取り出して、水に濡らして傷口をそっと優しく結ぶ。

ハンカチをそっと結び終えると、目の前で不思議なことが起きた。

​出血していたはずの後ろ足が、みるみる治っていく。

「え……?」

黒い狐はすっくと立ち上がった。毛並みも先ほどまでの汚さが嘘のように、夜空のように艶やかな輝きを取り戻している。

狐は嬉しそうに一声鳴くと、くるりと方向転換し、振り返って私をじっと見つめた。まるで「こっちだよ」とでも言うかのように、前を向いて歩き出す。

​「もしかして……案内してくれるの?」

迷子になって途方に暮れていたけど、この不思議な動物を放っておくこともできず、恐る恐るその後をついていくことにした。

​雑踏を抜け、観光客の喧騒が少しずつ遠のいていく。

石畳の小道を進むと、そこには先ほどまでの賑やかな駅前とは打って変わって、まるで時代がタイムスリップしたかのような、古い木造建築が立ち並ぶ横丁が広がっていた。

​「ここ、どこだろ……?駅の近くにこんな場所あったっけ?」

キョロキョロと辺りを見回していると、ふと、聞き慣れた懐かしい声が耳に飛び込んできた。

​「――あ、彩花!こんなところにいたの!探したんだから!」

「もう、勝手にどこか行っちゃダメだろ」

​振り返ると、そこには息を切らしたお父さんとお母さんの姿があった。

「お父さん!お母さん……っ!」

安心感から、さっきまで我慢していた涙が一気に溢れ出す。

両親が駆け寄ってきて、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。

​「ごめんね、お土産の行列に並んでたら、ぐんぐん人が増えちゃって……って、どうしたの、そんなに泣いて」
「ううん、なんでもない……ただ、迷子になっちゃって怖かったから」

母親の温かい胸に顔をうずめながら、そっと足元に目をやる。

​しかし、そこに先ほどの黒い狐の姿はもうどこにもなかった。

不思議な出会いもあるもんだ。

もう二度と会うことがないであろう狐に心の中で馳せた。