子どもに愛されるピエロ

天気……今日は六月一日で『子どもの日』。初級中学や小学校に通っている子どもたちは授業が休みになり、学校のなかや、町のあちこちで子どもたちを楽しませるための様々な行事が催される。今年の『子どもの日』は好天に恵まれて、朝から気持ちのよい青空がいっぱいに広がっていた。

サーカス団の団長や団員たちは、子どもたちに見せるための特別な催し物を企画していて、朝早くから気ぜわしそうに、華やかな飾りつけをおこなっていた。ぼくと老いらくさんが朝の九時ごろサーカス小屋の近くまでやってくると、小屋の出入口のところに赤いじゅうたんが敷かれているのが目に入った。じゅうたんは歩道の上に延々と敷かれていて、公園の外にある駐車場のところまで延びていた。じゅうたんの両側には、きれいな花がいっぱい並べられているのも目に入った。それを見て、老いらくさんが
「今日は誰か、とても偉いお客さんがくるのかもしれない」
と言った。ぼくはそれを聞いて
「今日は『子どもの日』だから、お客さんは子どものはずです。子どもを歓迎するために、こんなに豪華な飾りつけをしてくれたのでしょうか」
と、半信半疑で、そう答えた。すると老いらくさんが
「いや、そうではないと思う。地位や名声がある立派な人がやってくるにちがいない。その人たちを歓迎するために、じゅうたんを敷いたり、花を並べたのだと思う」
老いらくさんがそう言った。
「そうかもしれないですね」
ぼくはそう答えた。
ぼくは以前、杜真子のうちに飼われていたことがあったので、そのころの『子どもの日』のことを、ふっと思い出していた。学校のなかで、いろいろな楽しい催し物があって、クラスごとに歌や踊りを発表したり、担任の先生からプレゼントをもらったり、先生に引率されて遊園地に行ったり、近くの野山にハイキングに行ったりしていた。子どもの親のなかにもこの日は仕事を休んで、子どもといっしょに遊園地に行ったり、ハイキングに行ったりする人もいた。この日は子どもが主役なので、大人たちは子どもたちが喜びそうなことをたくさんしてくれた。でも子どもたちを喜ばせるために赤いじゅうたんを敷いたり、花を並べたりしている光景はこれまで一度も見たことがなかった。
(一体、どんな人が、何のためにやってくるのだろうか)
ぼくはそう思いながら、身分の高いお客さんの到着を翠湖公園の正門の近くにある駐車場の出入口のところで、老いらくさんといっしょに待つことにした。
お昼過ぎに、駐車場の前にバスが何台も止まり、教師や保護者に引率された子どもたちがバスから次々と降りてきた。教師や保護者や子どもたちは翠湖公園の正門の近くで二列にきちんと並んで、小旗を手に持ってお客さんの到着を待っていた。サーカス団の団長と団員たちも子どもたちの列のなかに入っていって、いっしょに並んで、お客さんの到着を待っていた。一時ごろお客さんが到着して、車から降りてきたので、それを見て、教師や保護者や子どもたちはいっせいに小旗を振って歓迎の意を表していた。女性の団員が二人、お客さんに駆け寄っていって、一人は胸にバラの花をつけ、もう一人は荷物を持ってサポートしていた。お客さんは赤いじゅうたんが敷かれた道の上を、晴れやかな顔をしながら歩いていって、子どもたちに軽く手を振ってから公園のなかに入っていった。公園のなかでは男性の団員が待っていて、きれいな飾りつけをした電気自動車にお客さんを乗せて、じゅうたんの上をゆっくりと走りながら、サーカス小屋の前まで案内していくのが見えた。
お客さんは全部で五人だった。お客さんがやってくるたびに女性の団員と学校の教師がお客さんに駆け寄っていって、お客さんの胸にバラの花をつけたり、荷物を持ってサポートしていた。子どもたちはお客さんが車から降りてくるたびに小旗を振って歓迎の意を表していた。それを見て、ぼくは昨日、老いらくさんが話していたことをふっと思い出した。団長と副団長が学校を幾つか回っていたのは子どもたちに小旗を振らせて、お客さんに歓迎の意を伝えさせるためだったのではないかと思った。
お客さんが公園のなかに入っていったあと、子どもたちは教師や保護者に導かれながら公園のなかに入っていった。赤いじゅうたんを汚さないように、教師や保護者や子どもたちは、じゅうたんの上には乗らないで、じゅうたんのそばを歩きながらサーカス小屋が設営されている梅林のほうへ向かっていた。ぼくと老いらくさんも、あとからついていった。サーカス小屋の前に着くと、子どもたちは今日は『子どもの日』ということで、入場無料でなかに入ることができた。教師や保護者も子どもたちの付き添いとして無料でなかに入ることができた。サーカス小屋のなかは、いつもとは雰囲気が違っていた。いつもはサーカスで使う道具が小屋のなかにたくさん置いてあるので雑然としているが、今日はきれいに片づけてあって、とてもきれいに見えた。観客席の最前列のすぐ前には、これまでは置いてなかった高級感にあふれたいすが五脚置かれているのも目に入った。いすの前にはテーブルも置かれていた。ぼくはそれを見て、これらの席には、さっきやってきたお客さんが座るのだろうと思った。ぼくと老いらくさんはお客さんが座るいすの下に、そっともぐりこんだ。
それからまもなく、教師や保護者の指示のもとで、子どもたちが次々と席に座っていった。これまでの興行では空席が目立っていたが、今日は空席が、ほとんどなかった。席が埋まったのを確認してから女性の団員が、お客さんが座るいすの前に置かれていたテーブルの上に、お茶とお菓子と果物を並べていた。そのあと司会進行係を務める女性がステージの上に姿を現した。
「皆さん、こんにちは。今日はようこそ、このサーカスショーへいらっしゃいました。団員一同、心よりお礼申し上げます。今日は『子どもの日』ですから、特別な企画を用意いたしました。最後まで楽しんでいってください」
司会進行係の女性は、そう言ってから、子どもたちに向かって、にっこりと笑みを浮かべていた。女性はそのあと
「今日は、特別なお客さまをお招きいたしましたので、皆さん、盛大な拍手でお迎えください」
と言って、ステージの奥に控えていた五人の来賓に手招きをしてステージの上に登場させていた。来賓はステージの中央にきちんと並んでから、子どもたちに向かって一礼をしていた。それを見て、子どもたちは拍手をして歓迎の意を伝えていた。司会進行係の女性がそのあと一人一人の来賓を紹介していた。市の教育に関する仕事をおこなっている『子ども教育課』の課長や、省の教育部の部長や、子ども文化研究所の所長や、共産党地方委員会の委員長や、国の文化振興を担う『文化課』の役人だった。どの来賓もみな、綺羅星のごとく居並んでいたので、顔ぶれの豪華さに子どもたちは圧倒されていた。来賓たちは一人ひとり、自分が置かれている職務上の立場から祝辞を述べたあと、このサーカスショーの素晴らしさを賞賛していた。おそらくどの来賓も、これまで実際にこのショーを見たことがある人はいないはずなのに、みんな判で押したように、いいところばかりを取り上げてほめたたえていた。
来賓たちの祝辞が終わったあと、表彰式がおこなわれた。団員たちが一人ひとり、名前を呼ばれてからステージの上に姿を現して、来賓たちから感謝状を贈られていた。感謝状の
名目は、一人ひとり違っていて、文化功労賞や、演技賞や、女優賞や、教育委員会賞や、社会貢献賞や、芸術賞などが授与されていた。立派な肩書のある来賓から栄えある表彰状をもらった団員たちは感激していて、涙を浮かべている者もいた。表彰状を受け取ったあと、団員たちは、それぞれ受賞の言葉を述べていた。どの団員も身に余る賞をいただいて光栄に思うことや、これからますます芸に磨きをかけて、子どもたちの人格形成に貢献していかなければという決意を述べていた。それを聞いて教師や保護者や子どもたちは賞を授けられた団員たちに拍手を送っていた。
表彰式が終わると、来賓はステージからおりて、観客席の一番前に座っていた。目の前のテーブルの上に置かれているお茶を飲んだり、お菓子や果物を口にしている来賓もいた。
それからしばらくしてから、ショーが始まった。『子どもの日』ということを意識して、子どもが喜びそうなものを用意しなければと思ったのか、団員たちは動物の着ぐるみを着ながらステージの上に現れて、ミュージカルのようなものを始めていた。これまでのショーよりは面白かったが、それでも子どもたちの多くはスイカ―が楠林のなかでおこなっていた本物の動物によるアクロバットショーの楽しさを知っていたので、物足りなさを感じているように見えた。なかには退屈そうに、あくびをしたり、居眠りをしている子どももいた。席を立とうとした子どももいたが、教師や保護者に制止されて、不機嫌そうに口をへの字に曲げながら、座り直している姿も目に入った。ぼくはそれを見て思わず笑ってしまった。
サーカス団のショーは四時に終わった。子どもたちは教師や保護者の指示のもとでサーカス小屋の外に出て、赤いじゅうたんの両側に並んで、電気自動車に乗って帰っていく来賓の姿を小旗を振りながら見送っていた。
ぼくがこれまで見たことがないような光景だったし、雲の上のような偉い人を目の前でじかに見ることができたので、今日の『子どもの日』は、ぼくにとって一生忘れられない思い出となるかもしれない。ぼくはそう思った。サーカス団がおこなっている興行が素晴らしいものだとは、ぼくは少しも思っていないが、立派な肩書がある来賓が何人もやってきて、興行の素晴らしさをほめたたえたり、団員を表彰したりしているところを見ると、ぼくは考えを少し変えなければならないのかなあと思ったりもした。老いらくさんにそのことを話すと
「団長はお金を渡して来賓を呼んだり、自分たちで用意した表彰状をお金を払って読んでもらったのかもしれないから、額面通りに受け取る必要はないよ」
と言った。ぼくはそれを聞いて、思わず、くすっと笑った。
「子どもが心の底から楽しめるような興行が『子どもの日』にふさわしい興行だと、ぼくは思っています。でも今日の興行は表面的な楽しさを子どもに与えただけだったように思います。そうは思いませんか」
ぼくは老いらくさんにそう言った。すると老いらくさんが
「そうだなあ。わしもそう思う。スイカ―だったら、どんな興行をしてくれただろうかなあ」
と言った。
「そうですね。スイカ―だったら、子どもが心の底から楽しめるような興行をしてくれたかもしれません」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
「それにしても、スイカ―は本当にどこに行ったのだろう。会いたいなあ」
老いらくさんが、ぽつりとそう言った。
「どこにいるのか分かりませんが、いつかまたきっと会えると信じて、希望を持って生きていきましょうよ」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
「そうだな。わしもそう思う」
老いらくさんがうなずいた。
それからまもなく、ぼくと老いらくさんは別れて、それぞれのうちへ帰っていった。