子どもに愛されるピエロ

天気……照りつける初夏の日差しのもとでクチナシの花が咲いていて、独特のかおりが辺り一面にぷんぷんと漂っている。クチナシは沈丁花やキンモクセイと並んで三大芳香樹の一つであり、初夏の風物詩として、この町の人に広く親しまれている。クチナシの白い花からにおってくる独特のかおりをかぎに翠湖公園にやってくる人が多くいた。

今朝、目が覚めたあと湖畔に沿って散歩をしていると、楠林のほうからオウムの鳴き声が聞こえてきた。スイカ―が裁判に敗訴して出て行かなければならなくなったことをまるで知っているかのように寂しげな声で鳴いていたから、ぼくはとても切ない気持ちになった。居ても立っても居られなくなったので、微力ながらもオウムを励ましてやらなければと思って、ぼくは楠林のほうへ向かっていた。すると、その途中で、向こうから地包天がやってくるのが見えた。
「笑い猫のおにいさん、どこへ行っているの」
地包天が駆け寄ってきて、ぼくに聞いた。
「ほら、聞こえるだろう。オウムが寂しげな声で鳴いている」
ぼくは地包天にそう言った。
「あっ、本当だ」
地包天は、ぼくが指さした楠林のほうを見ながら、そう言った。
「オウムにとってスイカ―は、これまで生活をずっとともにしてきた人だから、寂しくてたまらないのだよ」
ぼくは地包天にそう言った。
「そうだよね。オウムの気持ちがよく分かるわ」
地包天がそう答えた。
「オウムの寂しさを少しでも慰めてあげることができればと思って、ぼくは今、オウムのところへ行っているところだ」
ぼくは地包天にそう言った。すると地包天が
「わたしもオウムを慰めてあげたいわ。でも、わたしは鳥の言葉が話せないから、どうすることもできない」
と、しんみりした声で言った。
「スイカ―がいなくなって寂しく思っているのはオウムだけではない。ほかにもたくさんいる。スイカ―の指導を受けながら、ショーで披露する技を身に着けるために練習に励んでいたぼくの子どもたちもそうだ。社交ダンスを練習していたプードル犬のシャオパイやフェイナも落胆している。おまえもそうではないのか」
ぼくは地包天に聞いた。
「もちろんよ。不器用で何もできなかったわたしが逆立ちができるようになったのは、スイカ―のおかげだし、今はバック転の練習に取り組んでいるところだったの。スイカ―からバック転のこつを教えてもらっているところだったから、急にいなくなったから練習に支障をきたしているわ」
地包天が顔の表情を曇らせながら、そう言った。
「そうだったのか」
ぼくは地包天の気持ちを察して、つぶやくような声で、相づちを打った。
「スイカ―は今、どこにいるの。どうして戻ってこないの」
地包天がぼくに聞いた。ぼくは首を横に振った。
「スイカ―が今いるところを、ぼくは知らない。もしかしたら、もうこれからずっと翠湖公園に戻ってこないかもしれない」
ぼくは沈んだ顔でそう答えた。それを聞いて地包天がけげんそうな顔をしながら
「どうしてなの?」
と聞き返してきた。
「スイカ―が翠湖公園のなかの楠林の近くで興行をおこなうことを禁止するという判決文が昨日、裁判所から言い渡されたからだ」
ぼくは地包天にそう答えた。それを聞いて地包天はびっくりしたような顔をしていた。
「どうしてなの。スイカ―は何も悪いことはしていないでしょう?」
地包天がそう言って、けげんそうな顔をしながら、ぼくに聞き返してきた。
「ぼくもそう思う。しかし……」
「しかし、何ですか?」
「判決文の内容によると罪を犯したそうだ」
「どんな罪ですか」
地包天が聞いた。
「子どもの心を奪った罪と、サーカス団から子どもの足を遠ざけて、興行利益に損害を与えた罪だそうだ」
ぼくは地包天にそう答えた。それを聞いて、地包天は半信半疑の顔をしていた。
「分かったような、分からないような……」
地包天が首をかしげながらそう答えた。
「ぼくにもよく分からない。しかし罪は罪だそうだ」
ぼくは地包天にそう答えた。
「スイカ―が翠湖公園に戻ってこないのだったら、わたしの夢は途中で挫折することになるわ。わたしは、これからもずっとスイカ―のもとで練習に励んで、子どもたちを楽しませたいと思っていたのに………」
地包天が口惜しそうな顔をしながらそう言った。
「嘆くのはまだ早いよ」
ぼくはそう言って地包天を慰めた。
「スイカ―がいるところはオウムにも見当がつかないのかしら」
地包天が聞いた。
「たぶん、そうではないかと思う。もし分かっていたら、あんなに寂しそうな声で鳴いているわけがないから」
ぼくは地包天にそう言った。地包天がうなずいた。
「ぼくはこれから手を尽くしてスイカ―がいるところを探すよ。スイカ―がいるところが分かったら、おまえに知らせるよ」
ぼくは地包天にそう言った。
「笑い猫のおにいさんは頭がいいから、そのうちにきっと探し出す手がかりを見つけ出すができると思うわ」
地包天がそう言った。
地包天はそれからまもなくぼくと別れて、うちへ帰っていった。
ぼくはそのあと、ひとりで楠林のほうへ向かっていた。オウムの寂しげな鳴き声はまだ続いていたので、ぼくの心は鉛のように重かった。ぼくが楠林の入口まで来たときに、うっそうとした楠林のなかから渋い声が聞こえてきた。
「笑い猫、久しぶりだな」
ぼくは一瞬、びっくりして、その場に立ち止まった。楠林のなかから万年亀がにゅっと顔を出した。
「大先生、いらっしゃっていたのですか」
ぼくは思わず、万年亀にそう声をかけた。
「昨日の夜、来たばかりだ。以前ここへ来たとき、子どものにおいがぷんぷんしていたから、久しぶりに子どものにおいをかぎにやってきた。ところが今日は、子どものにおいが全然しない。どうしてだろう」
万年亀が首をかしげていた。ぼくはそれを見て、
「大先生はスイカ―のことを覚えていますか」
と聞いた。すると万年亀が
「むろん覚えているよ。子どもを魅了して、たくさんの子どもをここに呼び寄せていたピエロだろう?」
と聞き返してきた。
「そうです。そのピエロです」
ぼくはそう答えた。
「スイカ―がどうかしたのか?」
万年亀が心配そうな声で聞き返してきた。
「子どもたちの心を奪い、サーカス団から子どもの足を遠ざけて、興行利益に損害を与えた罪で裁判所に訴えられて有罪判決が出ました。そのために、スイカ―がここでショーを開くことができなくなりました」
ぼくは万年亀にそう話した。それを聞いて万年亀が
「何と悲しい出来事だろう。楠林のなかはスイカ―のおかげで子どもたちのパラダイスとなって子どもたちに親しまれていたのに、不条理な言いがかりをつけられて裁判に訴えられて有罪になるとは……」
と言って、重いため息をついていた。
「裁判は公平な立場からおこなわれたのではなくて、判決が出る前に、原告が弁護士や裁判長に賄賂を渡していたので、それが判決に影響を与えたようです」
ぼくは万年亀にそう言った。それを聞いて、万年亀は目に角を立てながら
「あってはならないことだ」
と言って、憤慨していた。
「ぼくはスイカ―の窮状に心を痛めています。スイカ―がショーを開くことができなくなったら、これまで見ることをずっと楽しみにしていた子どもたちを失望させるし、ショーで技を披露して拍手喝采を浴びることに喜びを見いだしていた動物たちも失望させることになります」
ぼくは万年亀にそう言った。それを聞いて万年亀が
「分かるよ。おまえの気持ちがよく分かるよ」
と言った。
「スイカ―がここから出ていかなくてもいいようにする方法が何かないでしょうか」
ぼくは万年亀に聞いた。すると万年亀が
「スイカ―は今、どこにいるのか」
と聞いた。ぼくは首を横に振った。
「この公園にはいないのは確かです。どこにいるのか皆目、見当がつきません」
ぼくは万年亀にそう答えた。
「そうか、それは困ったな」
万年亀がそう答えて思案に暮れていた。
「大先生には不思議な力がおありですから、その力をお借りして、スイカ―がどこにいるのか手がかりを得ることはできないでしょうか」
ぼくは万年亀にそう聞いた。すると万年亀が
「そうだな。わしにできることがあったら何でもしたいと思っている。少し時間をくれないか」
万年亀がそう言った。
「分かりました。お願いします」
ぼくはそう答えた。それからまもなく万年亀は、ぼくの前から去っていった。ぼくはそのあと楠林のなかへ入っていって、高い枝の上にとまっていたオウムに話しかけた。
「スイカ―がいなくなって寂しいだろうが、ぼくはきっとまたスイカ―をここに連れてくるよ」
ぼくがそう言うと、オウムが
「ありがとう」
と言った。ぼくはそのあとうちへ帰っていった。子どもたちが、うちのなかで寝ていたので
「おまえたち、早く起きて、楠林のなかに練習に行きなさい」
と言った。するとパントーが
「行ってもスイカ―がいないから練習ができないではないの」
と口答えをした。それを聞いて、ぼくは
「スイカ―がいなくても自分でできる練習を続けることが肝心だ。練習を休むと、せっかく体得した技の要領を忘れるぞ」
ぼくはパントーにそう言った。
「分かったよ。練習に行くよ」
パントーがそう答えた。パントーはそれからまもなくアーヤーとサンパオにも声をかけて、いっしょにうちを出て楠林のほうへ向かっていた。