アリスが一人で花壇や菜園の手入れをしていると、いつも通り塔の護衛騎士が二人、警備についていた。
一人は周囲へ目を配り、もう一人はアリスの作業を手伝ってくれる。今日は、その中でも最年少の二十二歳、レオニダスが一緒だった。
百九十センチを超える大柄な体格で、塔の騎士たちの中でもひときわ大きい。けれど、物腰柔らかく、温厚な性格のためか、威圧感はまるで感じさせない青年だった。
アリスが花へ水をやっていると、隣の菜園で雑草を抜いていたレオニダスから、ため息が漏れた。
思わず手を止める。
「……どうしましたか?」
「あっ、失礼しました。何でもありません」
そう答えるものの、その表情はどこか冴えない。
――何かあったのかしら。
花の手入れを続けながらも、気になって時折レオニダスへ目を向けた。
その視線に気づいたジョンが、口を開く。
「レオニダス。アリス様が心配されているぞ」
「あ……」
レオニダスは気まずそうに頭をかいた。
アリスは慌てて首を横に振る。
「いえ、お話ししたくないことでしたら……」
レオニダスは少し迷ってから、話し始めた。
「……母の体調が、このところあまり良くなくて」
「まぁ……それは、ご心配ですね」
「心臓が悪くて、一昨日から王宮診療所へ入院しているんです」
アリスは胸の前で両手を重ねた。
「そうだったんですね……。どうか、お大事にとお母様へお伝えください」
レオニダスの表情から、張りつめていたものが少しだけ抜けた。
「ありがとうございます」
ーーーーーー
作業を終え、自室へ戻ったアリスは、しばらく様々な色の毛糸を眺めていた。
「……この色がいいかしら」
そう呟くと、淡いクリーム色の毛糸をそっと手に取った。
昼食の支度を始めると、隣に立つリリスへ声をかけた。
「リリス」
「はい」
「あの……レオニダスさんのお母様の具合が良くないそうなの。お母様にショールを作って差し上げたいのだけれど……ご迷惑かしら?」
視線を伏せる。
「何も力になれないから……せめて、何かできればと思って」
リリスは思わず微笑んだ。
「ご迷惑だなんて。大丈夫ですよ」
くすりと笑いながら続ける。
「きっと喜ばれます。病気で心細い時は、誰かが気にかけてくれるだけで、嬉しいものですから」
アリスはほっとしたように微笑んだ。
「……そうかしら」
「ええ。きっと」
ーーーーーー
アリスは応接間のソファーで、かぎ針を手に黙々と編み続けていた。
編み始めて四日ほどが経ち、淡いクリーム色のショールは半分ほどまで仕上がっている。
その時、不意に扉がノックされた。
「アリス、開けてもいいか?」
「はい」
その声を聞いた瞬間、アリスの表情がぱっと明るくなる。
「戻られたんですね」
「あぁ。昨日、遅く」
ウィルは各地の視察で、七日ほど王都を離れていた。
「お屋敷でお休みにならなくても大丈夫ですか?」
アリスが心配そうに見上げると、ウィルはその頭へぽんと優しく手を置き、そのまま隣へ腰を下ろした。
「だから、休みに来た」
アリスはきょとんと首を傾げる。
――こちらへ来て、お休みになるのかしら?
不思議に思いながらも、自然と笑みがこぼれた。
「……はい。でも、その、来ていただけて嬉しいです」
その言葉に、ウィルも口元を緩める。
ふと、その視線がアリスの手元へ向いた。
「それは?」
「これは、レオニダスさんのお母様のお見舞いに、お渡しできたらと思いまして」
「あぁ、入院しているのだったな」
「えぇ。少しでも良くなられるといいのですけれど……」
そう言って、アリスは編みかけのショールへそっと視線を落とした。
「早く仕上げたいのだろう」
「でも……せっかくウィル様が来てくださったのに」
「オレはアリスが傍にいるだけで休まる。続けてくれて構わない」
「……はい」
思いがけない言葉に、胸がトクンと跳ねる。
――どうして、こんな言葉をさらりと言えるのかしら。
頬が熱くなるのを誤魔化すように、アリスは編み物を再開した。
規則正しく編み進めるその様子を、ウィルはソファーにもたれながらぼんやりと眺めていた。
そのまま、ゆったりとした時間が流れていく。
「失礼いたします」
しばらくして、リリスが紅茶と茶菓子を載せたワゴンを押し、静かに部屋へ入ってきた。
リリスが応接間へ足を踏み入れると、まず目に入ったのは、かぎ針を動かすアリスの姿だった。
その隣へ視線を移し、思わず足を止める。
ウィルは眠っているようだった。
リリスは起こさないように、足音を忍ばせながらアリスの傍へ近づく。
「アリス様」
小声で呼びかけると、アリスが顔を上げた。
「何か羽織るものをお持ちいたしましょうか?」
「え?」
アリスは不思議そうに首を傾げ、それから隣へ視線を向ける。
「……まぁ」
ウィルが眠っていることに気づき、思わず声を潜めた。
「ええ、お願い」
リリスが部屋を出ていくと、アリスはそっとウィルの寝顔を見つめた。
――やっぱり、お疲れだったのね。
編みかけのショールへ視線を戻し、かぎ針を動かし始めた。
――少しだけでも、ゆっくりお休みいただければ。
時折、気になってウィルへ目を向けては、自然と口元が緩んだ。
ーーーーーー
病室の扉を軽く叩く。
「母さん、入るよ」
「レオ」
母の顔を見て、レオニダスは胸を撫で下ろした。
「今日は顔色がいいね」
「ええ、おかげさまで。少しずつ楽になってきたわ」
レオニダスは持っていた包みをそっと差し出す。
「これを」
「これは?」
「いいから、開けてみて」
母は不思議そうに包みをほどいていく。
やがて、中から現れた淡いクリーム色の三角ショールに、思わず目を見開いた。
「まぁ……素敵だわ」
両手でそっと広げ、柔らかな毛糸へ指先を滑らせる。
「これは……お前が選んだの?」
「いや」
レオニダスは首を横に振った。
「アリス王女が、お見舞いにって。わざわざ編んでくださったんだ」
「ミルバーグの王女様が……私のために?」
驚きに目を丸くする母へ、レオニダスは頷く。
「あぁ。『少しでも暖かく過ごしていただけたら』って」
母はショールを肩へ羽織る。
ふわりと肩を包む優しい温もりに、自然と笑みがこぼれた。
「お優しい方なのね……」
「実はね、お前が警護につくと聞いた時、心配だったのよ」
レオニダスは苦笑を浮かべる。
「噂のこと?」
「ええ。もちろん全部を信じていたわけじゃないの。でも……やっぱり親ですもの、少しだけね」
母はひとつ息をついた。
「でも、こんな贈り物をくださる方に……私、自分が恥ずかしいわ」
「仕方ないよ。実際に会わないと分からないものだし」
レオニダスは肩をすくめた。
「今度、お会いしたら、お礼を伝えてちょうだい。大切に使わせていただきます、と」
「もちろん」
母はふと窓の外を見つめる。
やがて、口を開いた。
「ウィル殿下とご結婚されるのよね。幸せになっていただきたいわ」
レオニダスは自然に寄り添う二人の姿を思い浮かべた。
「大丈夫だよ。ウィル団長が、とても大切にされているから」



