【短】君の手が動く限り、俺は隣りにいたいから

 どうして今の今まで、忘れてしまっていたんだろう。

「ねぇ、凌君」

 泣いている、慰めてあげないと。
 流れ出る涙を拭って、止めてあげないと。

「なんで、止められなかったんだろう」

 今になって後悔してももう遅い。
 一度死んだ人は、もう二度と帰ってこない。
 だから、あの時こうしていれば良かったって思うことは無駄なだけで、何もできやしない。

「澄朱華先輩も、碧南も、夢があったのに⋯⋯もっと、描きたかっただろうに」
「っ⋯⋯⋯」

 なんで、なんで、なんで。
 紫は青空を見上げたまま、何度もそう続けた。彼女には、見上げている空が青空に見えていないのに。

「先輩、今、時間ありますか」

 泣いている人に対する質問ではないと分かっていながらも、口を突いて出ていた。
 今聞く?
 なんて突き放されるかとも思ったが、案外紫は素直に頷いた。彼女の素直であり朗らかな性格は素敵だと思う。

「少し、美術室に行きませんか」
「い、いいけど⋯⋯なんでまた」
「俺、知らなきゃならないことがあるんです」

 だから一緒に来てください───……。
 それから実行委員の仕事を投げ出し、二人で抜け出して美術室に入る。
 実のところ、凌が一年生の頃に入部する前、美術部は廃部寸前だったという。
 紫や碧南、それ以外の部員が全員現三年生であり、後の美術部を担う部員がいなかったのだ。
 そんな中で凌が入部し、何とか廃部は免れた現在だが、残念ながら部員は凌ただ一人になってしまっていた。
 つまり、部長は唯一人の凌であり、このまま部員が入らなければ美術部は廃部してしまう。

「わー、この匂い久々ー」
「もうずっと誰も来てないんでね、ずっとあの頃のままです」

 凌自身も美術部の部室には近づかなくなっていた。
 その理由は、とある放置されたキャンバスにある。

「碧南ったら、描きかけで放置するなんて」

 部室のど真ん中に放置されたキャンバス、そこには半分ほどまでで途切れた青空が描かれていた。

「これを見るのが嫌だった?」
「⋯⋯嫌っすよ、マジで嫌っす」

 嫌いとか、醜いとかそういう理由ではない。

「その絵を見てると、嫌でも思い出しちまうから」

 今からちょうど一年ほど前、突如彼女に呼び出されて総合病院に向かったあの日。
 彼女と合流して向かった先は墓地。
 その中でとある人物の墓の前で、碧南は涙を流しながら凌に訴えた。

『私にはね、凌……絵しかなかったから。絵を描くことだけが、私がここにいていいっていう、唯一の証明だったから……!』

 今はもう何処にもいない。
 それなのに、彼女が描こうとしていた絵は中途半端にそこに残っていて。
 どれだけ待っても完成することはないのだ。