【短】君の手が動く限り、俺は隣りにいたいから


 春の陽気などは、まだまだ感じられない二月中旬。
 後二ヶ月もしたら満開の桜が咲くであろう緑の葉を見上げて、凌は静かに手にしていた紙を広げた。

「おーいっ、藤代! せんせーが実行員集合だってー!」
「あ、ああ。今行く」

 二月十九日。
 今日は、第四十二期生を送り出す卒業式。
 樺碧南。綾瀬紫。その他大勢の三年生が旅立つ大切な一日だ。

「お前一人で何処行ってたんだよ」
「別に⋯⋯」
「サボっちゃ駄目だよ。藤代君がいないと、卒業式の飾り付けが進まないから」

 真っ先に悪態をつけに来た男子生徒の隣から、正反対の穏やかな女子生徒が顔を出す。
 学校中で有名なバカップル。
 成瀬一晴とその彼女、小森雨音。
 二人とは二年生である現在のクラスメイトであり、一晴とは中学以来の腐れ縁である。

「それで、アイデアなんか浮かんだん?」

 自分達と同じ大勢の実行委員が集まる中庭へと向かいながら、一晴がふと口を開く。
 
「⋯⋯まあ、ある程度は」
「羽馬せんが頼りにしてるって言ったんだし、ファイトっ!」

 無責任極まりない励ましを受け、凌は二人と分かれて羽馬先生の元へと向かう。
 後数歩という所で彼と目が合い、無意識のうちに凌の足は止まっていた。

「おう、藤代。頼んでたのできたか?」
「え、あ⋯⋯一応⋯⋯」
「なんだよ、できてるんなら見せてくれたって良いだろう?」
「いや、あのっ⋯⋯ちょっ⋯⋯」

 こちらから近づかずとも、羽馬先生自らが近づいてきて、凌が握り締めていた紙を軽々奪う。
 凌の静止する声も虚しく、羽馬先生は容赦なくクシャクシャになっていた紙を広げた。
 その紙に描かれていたのは、空白を余すこと無く描かれた青空だった。

「これは⋯⋯青空か?」
「あ、ああ、その、相応しくなかったら⋯描き直すんで」

 不自然なまでに自虐的な態度を取る凌を不審に思った羽馬先生が、怪訝な表情をして俯く凌を見つめた。

「は? なんで描き直す必要があるんだよ」
「い、いやっ⋯⋯だって、卒業式なのにただの青空って⋯⋯」

 相応しくないんじゃないか。
 そこまで言おうとして、何故が上手く言葉にできなかった。
 相応しくないと思っている。中途半端な季節の二月中旬に青空の絵を描くこと、それを卒業式の飾りとすること。
 けれど、肝心な青空であることが相応しくない理由がはっきりと分からなかった。

「何も半端な気持ちで描いたわけじゃないんだろう」
「そりゃあ、まあ」
「だったら描き直す必要なんてない、そうだろ? 藤代がいいなら、これをこのまま体育館の壁に飾らせてほしいんだが」

 思わず勢いよく顔を上げてしまって、周囲から奇異の目を向けられる。
 けれど、目の前にいる羽馬先生だけは、自身に満ち溢れた晴れやかな表情をしていた。

「藤代、お前は何か大切なものを忘れているんじゃないか」
「大切な、もの⋯⋯?」

 自分は大切な何かを忘れている?
 一体何を、何故。
 何故、馬場先生が知ったような口ぶりをする?
 
「思い出せ。お前には、忘れちゃならないものがあったんだろ」

 忘れちゃ、ならないもの。
 それは───……。