子どもたちのパラダイス

天気……十五夜の月は明るくて大きい。昨夜の元宵節の夜はきれいな満月を観賞することができた。満月は一晩中、この町を神々しい光で照らしていた。けさ早く、夜が白々と明け始めたころ、満月の光は次第に薄れていって、やがて空のなかにとけ込むように消えていった。

ぼくが知っていることわざのなかに『日有所思,夜有所梦(昼間に思っていることを、夜は夢に見る)』ということわざがある。昨日の午後、ぼくは楠林のなかで、子どもたちが歓喜している様子を見ながら万年亀のことをふっと思いだしたが、昨夜の夢のなかにやはり万年亀が出てきた。万年亀が楠林のなかにやってきて、子どもらしいにおいをかいでいる夢だった。ぼくは、はっとして夢からさめたあと、目がさえて、もう眠れなくなったので、寝床のなかで、もぞもぞしていた。すると妻猫がそれに気がついて
「お父さん、どうしたの。夜はまだ明けていないわよ」
と言った。ぼくは妻猫にわけを話した。すると妻猫が
「夢と現実は違うから、お父さんの妄想ではないの」
と言った。それを聞いて、ぼくは
「万年亀は神様のような亀だから、急に現れてびっくりさせられたことがこれまでも何度もあったから、必ずしもぼくの妄想だとは限らないよ。虫が知らせたのかもしれない」
と言葉を返した。すると妻猫が
「そうですか。だったら楠林に行って、本当に来ているかどうか確かめてみたらどうですか」
と言った。ぼくはうなずいた。外が白み始めたばかりのころ、ぼくはもう、うちを出て楠林へ向かっていた。昨夜の十五夜の月は西の空にまだかすかに残っていて、月からほろほろとこぼれる淡い光が、灯篭祭りで使われたちょうちんの明かりと重なり合っていて、湖畔には独特の雰囲気が醸し出されていた。楠林は公園のなかの一番隅にあって、木がうっそうと茂っていて人があまり行かないところだから、楠林のなかには灯篭祭りの飾りつけは施されていなかったので、月の光だけが楠林のなかを、清浄な光で、ほのぼのと照らしていた。楠林のなかに足を一歩踏み入れたとたんに、楠林のなかから
「笑い猫」
と、声をかけられたので、ぼくはびっくりして、声がしたほうを見た。するとやはり、ぼくが思っていたとおりだった。万年亀がぬっと姿を現した。
「大先生、お久しぶりです。お元気でしたか」
ぼくは万年亀にあいさつをした。
「ありがとう。わしは変わりなく元気にしている。おまえも元気でいたか」
万年亀がぼくのことを気遣ってくれた。
「ありがとうございます。元気にしています」
ぼくは万年亀にそう答えた。
「そうか、それはよかった。無病息災が何よりだ」
万年亀がそう言った。
「大先生がここへいらっしゃったのは、このあたりから子どものにおいが色濃くするのをお感じになられたからではないですか」
ぼくは万年亀の気持ちを察してそう言った。
「そうだよ。そのとおりだよ」
万年亀がそう答えた。
「ここで何があったのかご存じではないかと思いますから、ぼくが教えてあげましょう」
ぼくはそう言ってから、昨日の午後の出来事を万年亀に話して聞かせた。
「この楠林の近くにある広場に子どもたちが集まって、歌ったり踊ったりして楽しく過ごしていました」
ぼくは万年亀にそう話した。
「そうか、それでこのあたりから、子どもらしいにおいがぷんぷんしていたのか」
万年亀がそう言って、納得がいったような顔をしていた。
「冬休みが終わって、子どもたちは今日からまた学校が始まるので、ピエロが子どもたちを楽しませてくれました」
ぼくは万年亀にそう言った。それを聞いて万年亀が、けげんそうな顔をしながら
「ピエロと言ったらサーカスに出てくる道化師だろう。ピエロがどうしてこのあたりにいるのか」
と聞き返してきた。
「この公園のなかに最近、サーカス団がやってきて興行を始めました。ピエロは団員のなかの一人として活躍しています。道化を演じるときにはいつもスイカ模様のつなぎを着ているので、スイカ―と呼ばれています」
ぼくはそう説明した。それを聞いて万年亀が
「サーカスの興行がこの楠林の近くでおこなわれているのか」
と聞いた。
「いいえ、違います。サーカスの興行は梅園の近くでおこなわれています。ここにはスイカ―がオウムだけを連れてきて、子どもたちにオウムの芸を見せたり、子どもたちの気持ちを浮き浮きさせて、歌ったり踊ったりしたくなるような雰囲気にしてくれました」
ぼくは万年亀にそう言った。
「そうか。それは楽しかっただろうなあ」
万年亀がそう答えた。
「大先生はサーカスを見たことがおありですか」
ぼくは万年亀に聞いた。すると万年亀がうなずいた。
「若いころ、よく見に行っていた。サーカスは子どもたちを楽しませるためにおこなうものだから、サーカス小屋のなかには、いつも子どもがたくさんいたし、子どもらしい歓声が響いていた。子どものにおいが大好きなわしにとって、サーカス小屋は魅力にあふれるところだった」
万年亀がそう言った。それを聞いて、ぼくは万年亀が話してくれた昔のサーカスの様子を想像していた。
「分かります。でも今、ここで興行しているサーカスは子どもにあまり人気がありません」
ぼくはそう言った。それを聞いて万年亀がけげんそうな顔をしながら
「どうしてなのか」
と聞き返してきた。
「演目の内容がかたすぎるからです。芸術的な美しさを観客に感じさせることに主眼が置かれているので、子どもが見てもあまり楽しくないからです」
ぼくは万年亀にそう答えた。すると万年亀が
「だったら、そのサーカスは誰に見てもらうためにおこなっているのか」
と聞いてきた。
「大人です。子どもを連れてきた大人に見てもらうためにおこなっています」
ぼくはそう答えた。
「大人は、子どもに楽しいものを見せるよりも美しいものを見せて、子どもの人格を薫陶しようと思っています。子どもを将来立派な人間にするためには、娯楽性の強いものよりも芸術性の高いものを見せるべきだと、大部分の大人は考えているので、大人への受けをねらって興行しているようです」
ぼくは万年亀にそう説明した。すると万年亀が
「ピエロも団員のなかの一員だろう?」
と聞いてきた。
「そうです。でもスイカ―と呼ばれている、あのピエロは、団長や、ほかの団員たちとは意見を異にしていて、サーカスの本来の在り方は子どもたちを楽しませることにあると考えています。そのためにスイカ―はサーカスの興行がおこなわれている梅林の近くではなくて、そこから離れた楠林の近くに行って、子どもたちだけに見せるサーカスをおこないました」
ぼくは万年亀にそう言った。
「そうか、そういうわけだったのか」
万年亀がうなずいていた。
「ぼくはスイカ―の考え方に賛同するので、この楠林のあたりが子どもたちにとって、これからも楽しいパラダイスになればいいなあと思っています」
ぼくは万年亀にそう答えた。
「そうだなあ。わしもそう願っている」
万年亀がそう答えた。
それからまもなく、ぼくは万年亀を案内して楠林のなかを通り抜けて、その先にある広場へ連れて行った。
「昨日、ここで子どもたちは歌ったり、踊ったりして楽しく過ごしていました。スイカ―はオウムを連れてきていて、とても上手に歌っていたので、子どもたちの楽しさに花を添えていました」
ぼくは万年亀にそう言った。
「オウムは物真似が上手なことは、わしも知っているが、歌真似もできるのか。たいしたものだな」
万年亀がそう言った。万年亀はそのあと地面に鼻をつけて、においをかぎながら、
「地面のなかには子どものにおいがまだ残っている」
と言った。それを聞いて、ぼくも地面に鼻をつけて、においをかいだが、ぼくには土のにおい以外には何も感じられなかった。万年亀はそれからまもなく
「子どものにおいをたくさんかいで、リフレッシュできたから、わしは今、気分がとてもよくなった。もうしばらくここにいたいが、わしに会いたいと思っている動物がほかにもいるので、わしはこれからまた別のところへ行かなければならない。今日は思いがけず、おまえと会えて、わしはとてもうれしかった」
と言って、ぼくに別れのあいさつをした。
「そうですか。久しぶりにお会いしたばかりなのに、もう行ってしまわれるのですか」
ぼくはとても残念そうな顔をしながら、万年亀にそう言った。すると万年亀が
「そんなにがっかりすることはない。またすぐ戻ってくるから」
と言った。
「そうですか。今度はいつ頃、戻ってこられますか?」
ぼくは万年亀に聞いた。
「そうだな。春雷が鳴ったころに戻ってくる」
万年亀がぼくにそう答えた。
「分かりました。雷が鳴るのは怖いけど、大先生にまた会えるかと思うと、楽しみにして待っています」
ぼくは万年亀にそう答えた。
「分かった。わしもまたおまえと会えることを楽しみにしている」
万年亀がそう言った。万年亀はそれからまもなく、昇りかけた太陽の朝日を浴びながら遠くへ去っていった。
ぼくはそのあと、うちへ帰り始めた。すると途中で、老いらくさんと出会った。
「おはようございます。いつもお早いですね」
ぼくは老いらくさんに朝のあいさつをした。
「おはよう、笑い猫。若いときにはよく眠れたが、年を取ると目覚めが早くなってきた。春になって、日ごとに暖かくなってきたから、すがすがしい朝日を浴びながら散歩するのはとても気持ちがいいなあ」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。ぼくもそう思います」
ぼくは老いらくさんにそう答えた。ぼくはそのあと老いらくさんに
「けさ早く、楠林へ出かけていったら、万年亀に会いました」
と言った。すると老いらくさんが、びっくりしたような顔をしていた。
「楠林のなかに大先生が来ておられたのか」
老いらくさんがそう言った。ぼくはうなずいた。
「昨日、楠林の近くにある広場に子どもたちがたくさん集まって、歌ったり、踊ったりしていたので、そのにおいを感じてやってきたと、おっしゃっていました。ぼくは昨夜、大先生が楠林のなかに来ている夢を見たので、けさ早く、確かめるために楠林へ出かけていきました。するとやはり正夢でした。お見かけしたところ、とてもお元気そうにしておられました」
ぼくは老いらくさんにそう話した。
「そうか。それはよかった。わしも大先生と久しく会っていないので、これからすぐに会いにいってみることにする」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくは首を横に振った。
「今はもう、あそこにはいらっしゃいません。会いたいと思っている動物がほかにもいるので行かなければならないと、おっしゃって、去っていかれました」
それを聞いて老いらくさんはがっかりしたような顔をしていた。
「わしも会いたいと思っていたのに、わしのことは、どうでもいいのかな」
老いらくさんが、そう言って、しっくりいかないような顔をしていた。
「でもまた近いうちに必ず戻ってくると、おっしゃっていました。春雷が鳴るころに戻ってこられるそうです」
ぼくがそう言うと、老いらくさんが
「そうか、それはよかった。今度はぜひお会いしたいものだ」
と言った。
それからまもなく、ぼくは老いらくさんと別れて、うちへ帰っていった。老いらくさんはそのあともさらに散歩を続けて、湖畔に沿って、ゆっくりした足取りで歩いていった。