子どもたちのパラダイス

天気……春節を過ぎてから、春の足音がますます大きく聞こえるようになってきた。風が日ごとに柔らかくなってきて、肌に心地よく感じられるようになってきた。冬の間枯れていた木の枝に、新芽がぽつぽつと、つき始めているのが目に見えるようになってきた。

昨日、うちの子どもたちは、お昼前にうちを出ていってから、ずっと外にいて、夕方になって日が沈み始めたころ、ようやく、うちへ帰ってきた。
「遅いではないか。どこに行っていたのだ」
ぼくは子どもたちに問い詰めた。
「梅園の近くでおこなわれていた会場の設営をずっと見ていた」
サンパオがそう答えた。
「設営がそんなに面白かったのか」
ぼくは子どもたちに聞いた。
「面白かったよ。テントを組み立てて小屋を作ったり、ステージの飾りつけをおこなったり、観客席にいすを搬入したりしているのを興味深く見ていた」
サンパオがそう答えた。
「サーカスに出演する動物たちはいたか」
ぼくは子どもたちに聞いた。するとアーヤーが首を横に振った。
「見なかった」
アーヤーがそう答えた。
「ピエロはいたか」
ぼくはまた聞いた。
「ピエロ?」
パントーが聞き返した。
「滑稽な仕草をしたり、パントマイムを演じたり、手品をして観客を楽しませる人がサーカス団のなかにいて、その人がピエロと呼ばれているそうだ。派手な服装や化粧をしているので目立つと、ぼくの親友が話していた」
老いらくさんが話してくれたことを、ぼくはそのまま子どもたちに話した。
「そんな人はいなかったよ」
パントーがそう答えた。
子どもたちの話を聞いて、ぼくは小首をかしげていた。老いらくさんから聞いたサーカス団のイメージとは異なっていたからだ。老いらくさんは知識と経験が豊富なネズミだから、けっして口からでまかせのことは言わないはずだと、ぼくは思っていた。老いらくさんは最近はあまりサーカスを見たことがなくて、若いころによく見たと話していたから、時代の推移とともにサーカスの内容も変わってきているのかもしれない。ぼくはそう思ったりもしていた。
「どんなことを演じるサーカス団なのか、父さんも興味があるので、明日、父さんもおまえたちといっしょに見にいくことにするよ」
ぼくは子どもたちにそう話した。それを聞いてサンパオが妻猫に
「お母さんも見にいかない?」
と誘っていた。
「母さんは人がたくさんいるところは、あまり好きではないから、行かないことにするわ。あとで話して聞かせてちょうだい」
妻猫がそう答えていた。
「分かった。そうするよ」
サンパオがそう答えていた。
ぼくも子どもたちも、気分が高揚して、昨夜は夜遅くまでなかなか寝つけないでいた。
けさ早く、ぼくはいつものように散歩に出かけてから、うちへ帰り、家族みんなでご飯を食べてから、子どもたちを連れてサーカスがおこなわれる会場へ、いそいそと出かけていった。十時ごろ会場に着いたが、設営はすっかり終わっていて、団員たちが開演に向けて準備を進めていた。今日の午後に初演がおこなわれるように思えた。会場の入口の前には、大きな看板が立っていて、その看板のなかには京劇に出てくる女優の写真が何枚も貼ってあった。どの女優も顔をきれいにメークアップして、きらびやかな衣装に身を包んでいて美しさにあふれていた。それを見て、ぼくは少し、けげんに思った。老いらくさんから聞いていたサーカスのイメージとは違っていたからだ。ここはサーカスの会場なのだろうかと、一瞬、目を疑うほどだった。
ぼくはそれからまもなく子どもたちを連れて、会場をあとにして老いらくさんを訪ねていった。ぼくは老いらくさんに
「翠湖公園のなかでサーカスの興行があるとおっしゃったので楽しみにして会場を下見にいきました。でも老いらくさんがおっしゃっていたイメージとは全然違っていました」
と言った。すると老いらくさんが
「興行はまだ始まっていないのに、どうして、おまえは、そんなことを言うのだ?」
と、逆に聞き返してきた。
「会場の前に看板が立っていて、看板のなかには、京劇の衣装に身を着飾った女の人の写真が何枚も貼ってありました」
ぼくは老いらくさんに、先ほど会場で見たばかりのことを話した。すると老いらくさんが
「そうか。そうだったのか。わしが思っていたサーカスのイメージとは確かに違うな。わしもこれから、会場に行って、自分の目で確かめてみることにする。『百聞は一見に如かず』と言うからな」
老いらくさんがそう言った。
老いらくさんは、それからまもなく、ぼくや、ぼくの子どもたちといっしょにサーカスがおこなわれる会場にやってきた。看板のなかに貼られている美女の写真を見ながら、老いらくさんが、けげんそうな顔をしていた。
「わしが以前見たサーカスの看板には、ピエロや、空中ブランコをしている人や、曲芸を演じている動物の写真が貼られていた。このような写真は見たことがない」
老いらくさんがそう言った。
「そうでしたか。このような写真だと大人の目を惹きつけることができても、子どもの目を惹きつけることはできないのではないでしょうか」
ぼくは老いらくさんにそう言った。すると老いらくさんがうなずいた。
「わしもそう思う。サーカスの一般的なイメージとは違っているから、もしかしたら会場の前まで子どもを連れてきたお客さんのなかには見ないで引き返していく人がいるかもしれない」
老いらくさんが心配そうな声でそう言った。
「ぼくもそう思います」
ぼくはそう答えた。ぼくと老いらくさんは、この興行の成り行きを見るために、会場の入口の近くにある木の陰に隠れて、こっそりと様子をうかがうことにした。ぼくの子どもたちも初めのうちは、ぼくのそばでおとなしく見ていたが、元気盛りの子どもたちなので、じっとしていることが退屈そうに見えたので、それからまもなく、ぼくは子どもたちを引き留めないでうちへ帰らせることにした。
お昼を過ぎたころ、会場にお客さんが三々五々とやってきた。春節は過ぎたものの、まだ春節の休暇期間中だったので、お客さんは比較的多かった。思っていたとおり、子ども連れのお客さんが多かった。でもやはり、ぼくや老いらくさんが懸念していたとおり、会場の入口の前まできてから引き返していく人も多かった。親のなかには子どもに興行を見せたく思っている人もいるようだったが、子どもが見たくないと言ってすねていたので、結局は親子ともども見ないで帰っていく姿もたくさんあった。
時間は刻々と過ぎていったが、入口の前でチケットを買って、会場のなかに入っていく人はあまり多くなかった。団員たちは入口の前で大きな声を張り上げて呼び込みをおこなっていた。会場の外に出て、興行を知らせるためのチラシを配っている人もいた。
しばらくしてから会場のなかから、ほかの団員たちとは違ってスーツに身を固めてネクタイを締めた中年の男性が現れた。威厳のある顔立ちをしていて、落ち着いた様子で団員たちの集客の様子を静観していた。
「団長、思うように客が集まりません」
団員のなかの一人が渋い顔をしながら、スーツを着た男性にそう言っているのが聞こえた。
「そうか、それなら、ここはやはりスイカ―に一役買ってもらうしかないな」
団長と呼ばれていた中年の男性がそう答えていた。
「そうですね。スイカ―には人を引き寄せる力があるから、最後の切り札として、ひと肌脱いでもらいましょう」
団員がそう答えていた。
それからまもなく団長はドーム型の天幕を張ったサーカス小屋のなかに向かって
「スイカ―、ちょっと、こっちへこい」
と言って、呼びかけていた。するとそれからしばらくしてからサーカス小屋のなかから初老の男性が顔を出した。
(あっ、この人は……)
ぼくはそう思った。昨日、サーカス小屋の設営をおこなっていた若者たちに指示を出していた、あのロマンスグレーの男性だったからだ。老いらくさんもすぐに気がついて
「あの『鶴髪童顔』だ」
と言った。
「スイカ―、おまえの出番だ。しっかり呼び込んでくれ」
団長がスイカ―の肩をぽんとたたきながら、そう言っていた。
「分かりました。すぐに用意をしてきます」
スイカ―はそう答えてから再びサーカス小屋のなかに入っていった。しばらくしてからサーカス小屋のなかから緑色の地に黒い縦じま模様が入ったつなぎ服を着た男の人が姿を現した。スイカ―だった。スイカのような服を着ていたから、スイカーと呼ばれているのだろうと、ぼくは思った。顔にくま取りをしていて、目や鼻のまわりには赤や青の顔料をべたべた塗っていたし、頭の上には赤いシルクハットをかぶって白髪を隠していたから、ちょっと見ただけでは別人のようにしか見えないほどの変わりようだった。シルクハットの上には緑色をしたオウムがとまっているのも見えた。
「では、団長、これから一仕事してきます」
スイカーがそう答えていた。
「よろしく頼むよ」
団長がそう答えていた。
スイカ―はそれからまもなくサーカス小屋の前から離れていった。スイカ―の姿に気がついて、子どもたちがわっと駆け寄ってきて、楽しそうに見ていた。
「ピエロだよね?」
男の子がスイカ―に聞いていた。
「そうだよ。わしはピエロだ。スイカ―と呼ばれている」
スイカ―がそう答えていた。
「帽子の上にオウムがとまっているけど、何か言葉が話せるの?」
女の子が聞いていた。
「話せるよ」
スイカ―がそう答えていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい。これからサーカスが始まるよ」
スイカ―がそう言うと、帽子の上から
「いらっしゃい、いらっしゃい。これからサーカスが始まるよ」
という声がした。人間の声とそっくりに物まねができるオウムを見て、子どもたちの間から歓声があがった。オウムの物まねを聞いて、大人たちも楽しくなって、にこにこ笑っていた。
「さあ、みなさん、楽しいショーが始まりますよ。どうぞ見ていってください」
スイカ―がそう言っていた。それを聞いて大人も子どもも心を動かされて、サーカス小屋の前にやってきて、それまで、がらんとしていた入場口の前に、長蛇の列ができはじめた。入場口の横にある切符売り場でチケットを買った人たちは、気もそぞろにサーカス小屋のなかに入っていった。たちまちのうちに席は全部埋まってしまい、立ち見客も出るほどの盛況ぶりだった。ぼくと老いらくさんも、混雑に紛れて、サーカス小屋のなかに入っていって、子どもたちが座っている席の下に隠れながら開演を待っていた。
それからまもなく高らかなトランペットのファンファーレが鳴り響いて、サーカスの幕が切って落とされた。最初の演目が始まる前に進行係の女性がステージの中央に立ってあいさつをしていた。スイカ―とオウムは、ステージの上には姿を現さなかったから出番がくるのを待って楽屋に控えているのではないかと、ぼくは思っていた。進行係のあいさつが終わると、いよいよ演目が始まった。最初の演目は、きれいな民族衣装に着飾った女性の独唱だった。ソプラノのきれいな声だったが、聞きなれない言葉だったから、ぼくには歌詞の意味がよく分からなかった。聞いている人たちも、たぶん同じではないかと思った。古い時代の言葉なのか、それともどこかの少数民族の言葉なのか分からないが、歌詞の意味がちんぷんかんぷんだったから、歌の美しさが、ぼくには半分しか伝わってこなかった。それよりも何よりも、この演目のどこがサーカスなのだろうかという思いのほうが、ぼくの心のなかに強く残った。二番目の演目は揚琴の速弾きだった。揚琴というのは、平たい木製の箱に多数の弦を張って竹のばちでたたく弦楽器の一種で、超絶技巧を駆使してたたく人間離れした演奏は確かに素晴らしかった。でも体全体を使って人間離れしたことをするのがサーカスだと思っていたので、これもサーカスではないと思った。三番目の演目は歌劇だった。ステージの上に項羽や孫悟空の仮面をかぶった俳優が出てきて三国志のなかの一場面を朗々と歌いながら演じていた。途中で宙返りをしたり空中飛びをしたりする場面も取り入れられていたので、サーカス的な要素もそれなりに感じた。しかしそれでもやはり、これはサーカスではないと思った。ぼくは老いらくさんに
「ぼくが想像していたサーカスのイメージとは違っています」
と言った。すると老いらくさんが
「わしが昔見たことのあるサーカスは、こうではなかった。いろいろな動物が出てきて芸を披露したり、人が空中綱渡りをしたり、ピエロが滑稽な仕草をして観客の笑いを取ったりしていた」
と言った。それを聞いて、ぼくは老いらくさんに
「ぼくはサーカスを初めて見ましたが、老いらくさんの話を聞いて、もっと楽しいものだと思っていました。ここで今おこなわれているのはサーカスではなくて、コンサートや歌劇のようで、あまり楽しくありません」
ぼくは率直に自分の気持ちを述べた。
楽しくないと感じたのは、ぼくだけでなくて、子どもたちも、そのように感じているように見えた。退屈そうにあくびをしたり、居眠りをしたり、ぶつぶつと私語を話したりしていたからだ。ある男の子がステージに向かって
「ピエロ、はやく出てこい」
と大きな声で言った。その声に同調するように、
「そうだ、そうだ、ピエロ、はやく出てこい」
という声が、会場内のあちこちからあがって、やがて
「ピエロ、ピエロ、ピエロ……」
の大合唱となった。それでもピエロは、なかなかステージの上に出てこなかった。とうとう子どもたちはしびれを切らして、演目の途中で一人、そしてまた一人と席を立って出口のほうへ向かって帰り始めていた。子どもたちはみんな不愉快そうな顔をしながら口々に
「ちっとも面白くない」
「これはサーカスではない」
「ピエロは、ぼくたちをだましたのだ。楽しいショーが始まると言っていたが、少しも楽しくなかった」
と言っていた。
出口のところに、しょぼくれた初老の男の人が立っていたので、子どもたちは警備員だと思って、つばを吐きかけたり、顔をそむけたり、にらみつけたり、あかんべえをしたりしながら、そそくさと外へ出ていった。その男の人は、怒るどころか、子どもたちに申し訳そうな顔をしながら、小さな声で「ごめん、ごめん」と言って謝っていた。よく見ると、その男の人は、あのスイカ―だった。今はすっかり化粧を落としていて、スイカ服も着ていなかったし、頭の上にオウムもとまっていなかったから、子どもたちは誰一人、出口のところに立っていた男の人がピエロだとは思っていなかった。スイカ―は何度も何度も頭を下げながら「ごめん、ごめん」と繰り返していた。ぼくはそれを見ながら、スイカ―がとても哀れに思えた。
(どうして子どもたちの要望に応えて、ステージの上に姿を現さなかったのだろう)
と思いながら、ぼくはスイカ―の申し訳なさそうな顔を見ていた。