ウィルは迷うことなく燃え盛る塔へ飛び込んだ。
煙が視界を覆う。
口元を布で覆い直すと、低い姿勢のまま階段を駆け上がる。
階を上がるごとに煙は濃さを増していく。三階まで上がると、目を開けているのもつらいほどだった。
ウィルは勢いよく扉を開いた。
「アリス! ……っ、ごほっ」
部屋の窓際に、見覚えのある姿が倒れている。
一瞬、心臓が大きく跳ねた。
「アリス!!」
ウィルは駆け寄り、その体を抱き起こした。
「アリス!」
返事はない。
だが確かな温もりがある。
頬へ手を添える。
すぐに呼吸を確認する。
――ああ、呼吸もある。
弱々しいながらも、確かな息を感じ、ウィルは深く安堵した。
すぐさまアリスを抱き上げ、階段へ向かう。
だが、扉を開けた瞬間、炎はすでに廊下へ燃え広がり始めていた。
まだ人一人が通れるほどの隙間はある。
しかし、煙ですでに意識を失ったアリスを抱えて突破するには危険すぎた。
「……駄目か」
迷う時間はない。
ウィルは踵を返すと窓際へ戻り、外を見下ろした。
近衛兵たちはすでに制圧され、部下たちが救出用に用意していた丈夫な布を広げて待機している。
「飛び降りる!」
ウィルの声に、地上の部下たちが一斉に布を張り直した。
その姿を確認すると、アリスを強く抱き寄せ、頭を庇うように腕を回す。
そして、迷うことなく窓から飛び降りた。
二人の体が宙へ躍り出る。
風を切り裂きながら落下する中、ウィルは身をひねり、自らが下になるよう体勢を変えた。
次の瞬間、布へ着地する。
鈍い衝撃が全身を貫き、一瞬息が詰まる。
布が大きく沈み込み、ウィルは受け身を取りながら勢いを逃がした。
衝撃が収まると体を横へ向け、腕の中に抱え込んでいたアリスをすぐ隣へそっと横たえる。
ウィルは身を起こし、アリスの上半身を抱き起こして呼吸を確かめた。
新鮮な空気を吸ったためか、先ほどよりも呼吸は落ち着いている。
――大丈夫そうだ。
安堵のため息をつく。
それから、ジョンへ視線を送る。
「王女を医師のもとへ頼む」
「はっ」
ウィルはアリスの顔を一度だけ撫でてから、ジョンへと預けた。
今度はダリアへ目を向ける。
「付き添いを」
「承知しました」
アリスを抱えたジョンとダリアは、林の奥の待機場所へ向かって走り出した。
ウィルはその背中を見送った。
ほんの一瞬、その場を離れて後を追いたい気持ちが胸をよぎる。
――だが、まだ終わっていない。
ゆっくりと立ち上がり、近衛兵たちへ視線を戻した。
――――――――
剣を向けられたまま動きを止める近衛兵たちの前で、近衛兵隊長がウィルを見据えていた。
先ほどの剣技、無駄のない指揮。
そして、王女の救出だけを目的とした部隊。
――あれほどの剣を振るう男が、そう何人もいるとは思えん。
――まさか……。
脳裏をよぎった答えを、隊長は口にしなかった。
そこへ一人の兵が駆け込んでくる。
「近衛兵隊長殿! 伝令です!」
兵は一礼すると、息を整えながら告げた。
「ヴェルムント陛下はご療養に入られました。放火のご命令は取り消されております。以後はフレデリック王太子殿下のご命令に従うよう仰せつかっております」
隊長は一瞬だけ目を見開いた。
王宮で何が起きたのか、その言葉だけで十分だった。
胸の奥で張り詰めていたものが、わずかにほどけていく。
――罪のない他国の王女を塔ごと焼き殺すなど、到底まともな命令とは思えなかった。
――それでも王命だ。近衛兵隊長として逆らうことなどできなかった。
――やっと、終わったのだな。
隊長は小さく息を吐いた。
周囲の近衛兵たちも、互いに視線を交わしている。
制圧され、剣を奪われた悔しさは、その険しい表情に残っていた。
けれど、その中にはどこか、安堵も滲んでいた。
――王女は助かった。
「……承知した」
ウィルは部下へ目を向けた。
「剣を納めろ」
九人は一斉に剣を納め、取り上げていた近衛兵たちへ剣を返した。
近衛兵隊長は受け取った剣を静かに腰へ収める。
そして、ウィルへ視線を向けた。
「後はこちらで対応する」
燃え盛る塔へ目を向け、静かに続ける。
「自分たちでつけた火だ。始末くらいはさせてくれ」
一拍置き、息を吐いた。
「……早く立ち去った方がいい」
その言葉に込められた意味を、ウィルは理解した。
「……任せる」
短く答えると、伝令へ視線を向ける。
「王女は無事だ。安全な場所で保護する。セシリオ殿下へ伝えてくれ」
「承知いたしました」
近衛兵隊長は振り返った。
「総員、消火に当たれ!」
近衛兵たちは一斉に塔へ向かい、消火を続ける護衛たちと共に延焼の阻止へ当たる。
ウィルは燃え盛る塔を一度だけ見つめると、踵を返した。
部下たちと共に林の奥へと姿を消した。



