不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


ウィルは馬を走らせていた。

冷たい風が頬を打つ。

だが、それすらほとんど意識に入らない。

――なぜ、こんなことに。

無意味だと分かっていながら、その問いを何度も心の中で繰り返していた。

最近のゼリアの動きには違和感があった。

ゼリア国王の指示に、一貫性がなくなってきている。

アリスが直接狙われた一件を思えば、ゼリア国王は彼女の噂を以前にも増して気にしているように思えた。

だからこそ、本来なら1年後に予定していた婚姻式を、半年早めることを願い出た。

本当は、アリスにはもっとゆっくり婚姻の準備を進めさせてやりたかった。

それでも、嫌な予感が拭えず、出来るだけ早く妻として迎え入れ、せめて自分の手の届く場所にいて欲しいと思ったのだ。


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「式を予定より半年早めたい」

不意に告げられた言葉に、アリスは目を瞬いた。

「半年ですか……?」

思わずウィルを見つめる。

「その、何かあったのですか?」

「いや」

ウィルは首を横に振った。

「早く屋敷で一緒に過ごしたいと思っただけだ」

あまりにも真っ直ぐな言葉に、アリスの頬が赤く染まっていく。

「あの……半年早めたら……」

「あぁ、四か月後になるな」

ウィルはアリスを見つめたまま続ける。

「もちろん、アリスが了承してくれればだが」

「……嫌か?」

自分でも逃げ道をなくす聞き方だと思う。

こんなふうに尋ねれば、アリスが断れないことくらい分かっていた。

「嫌なんて、そんなことは……」

アリスは慌てて首を振る。

けれど突然近づいた未来に、戸惑いまで隠すことはできなかった。

そんな様子を見つめながら、ウィルは表情を和らげる。

「妻となるからと、急がなくていい」

翡翠の瞳が優しく細められた。

「アリスが傍にいてくれれば、オレはそれで構わない」

その言葉が優しすぎて、とても嬉しくて。

――ウィル様は私をいつも甘やかしてくれる。でも……

アリスは指先をぎゅっと握りしめた。

「あの……結婚したら、私は、その……ちゃんとウィル様の奥さんになりたいです」

ウィルの視線がわずかに揺れる。

アリスはさらに顔を赤くしながら続けた。

「その……だから……」

そこまで口にした途端、その言葉が意味するものを思い、恥ずかしさで言葉に詰まる。

「アリス」

低い声が名前を呼ぶ。

次の瞬間、肩を引き寄せられていた。

「あ……」

気づけばウィルの腕の中だった。

アリスは目を見開いたあと、とても顔を上げられず、その胸へ顔を埋めた。

鼓動がうるさいほど早い。

ウィルはそんなアリスを抱き寄せたまま息を吐く。

「本当に、無防備だな」

ぼそりと呟く。

「……?」

夜風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが聞こえている。

ウィルの温かさに包まれているうちに、アリスの鼓動も少しずつ落ち着いていった。

やがて、そっと顔を上げる。

ランプの灯りの向こうで、翡翠の瞳と視線が重なった。

アリスは頬に赤さを残したまま、囁くように言った。

「……ほんとうは、もっとお傍で過ごしたいです」

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


婚姻時期を早めることについても両国の了承が得られ、準備は順調に進んでいた。

式までは、あと3か月を切っていたところだった。

――間に合わなかった。

ウィルは無意識に手綱を握る手へ力を込める。

焦ったところで、トルシアへ戻る頃には、事態はすでに決まっているだろう。

アリスはきっと当たり前であったかのように、現実を受け入れる。

それでも――せめて、オレにだけは手を伸ばしてほしい。

彼女を奪われる選択肢を受け入れざるを得ない以上、それが勝手な願いだとは分かっている。

それでも、機は逃さない。

いつか必ず——。

ウィルはそう心に決め、前を見続けた。


―――――――――――――――


エドワード国王の突然の訪問に、アリスは何かあったのだと察した。

国王がこの塔へ来たことは1度もなく、まして夕食がすんだ時間帯だった。

「夜分に突然の訪問、申し訳ありません、アリス様」

エドワードは軽く頭を下げた。

アリスは首を振り、「いいえ、お気になさらないでください。どうぞ、こちらへ」と応接間へと案内する。

席に着いてからも、しばらく沈黙が続いた。

その空気だけで、良い話ではないことが分かった。

エドワードは一度視線を伏せ、それからゆっくりと口を開く。

「ゼリア王国より、打診がありました」

低く落ち着いた声だった。

「……打診、ですか?」

「えぇ。アリス様を、しばらくの間、ゼリアにて国賓として迎え入れたいと」

その瞬間、空気が止まったような気がした。

アリスの顔が明らかに強張る。

エドワードは苦いものを飲み込むように続ける。

「その代わり、トルシア、そしてミルバーグへの侵略停止と、不可侵を正式文書として約束すると」

アリスはしばらく視線を伏せ、両手を固く握りしめる。

「……そう、なんですか」

どこか他人事のようなつぶやきだった。

エドワードは取り乱すこともないアリスの姿を見て、胸の奥が重く沈んでいくのを感じていた。

アリスは少しだけ息をはきだしてから、ゆっくり顔を上げる。

「皆様のご判断は……」

「……アリス様が許諾されるのであれば、その打診を受ける方針です。」

アリスは突き付けられた現実に、一瞬だけ目を閉じる。

ふと、ウィルの顔が頭をよぎり、もう傍にはいられないのだと胸が苦しくなる。

――正式な婚約などしなければよかった、ただウィル様を苦しませただけだもの。

アリスは内心深い諦めのため息をついた。

――私には、出来すぎた夢だったのかもしれない。これが、きっと現実。

当たり前の答えへ辿り着いてしまう。

「……わかりまし――」

「すぐに返答をしなくて構いません」

柔らかな声が、その言葉を遮った。

アリスがわずかに目を見開く。

エドワードは淡々と続けた。

「3日後には、ウィルも戻ります」

その言葉に、アリスの指先が小さく震える。

「ですので、それまでに、ゆっくりと考えていただきたい」

せめて、すべてを諦めないで欲しい。

エドワードはそう願わずにはいられなかった。

アリスはしばらく黙ったまま視線をさまよわせていたが、やがて頷いた。

「……わかりました」