不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった

「クラリス様にも、婚約のご挨拶へ伺うつもりだ」

ウィルがそう告げると、アリスは目を丸くした。

「お姉さまに、婚約の?」

「ちょうど来週、仕事でフィヨルドへ行くことになった。その折に正式なご挨拶をと思っている」

その言葉に、アリスは嬉しそうに頬を染めた。それから、少しだけ遠慮深げに続ける。

「……あの、お手紙を書きますので、渡していただけますか?」

「もちろんだ」

「ありがとうございます」

アリスはほっとしたように微笑む。

「あの……」

少し照れたように視線を伏せてから、続けた。

「婚姻式には来てくれるでしょうか?」

その一言には、久しく会えていない姉を慕う気持ちが滲んでいた。

「きっと来てくださる」

ウィルはそう言って、アリスの頭へ軽く触れた。

アリスは安心したように微笑んだ。

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一週間ほど前に交わしたアリスとの会話を思い返しながら、ウィルはフィヨルド王城の応接室へ足を踏み入れた。

「本日は、ご挨拶に来ていただきありがとうございます」

クラリスが丁寧に頭を下げる。

ウィルは軽く首を振った。

「こちらこそ、お時間をいただき感謝いたします。王の名代としてフィヨルドへ来る機会がありましたので、正式にご挨拶をと思いまして」

落ち着いた声音でそう答えながら、一通の封筒を差し出す。

「アリスからも、クラリス様へ手紙を預かっています」

その言葉に、クラリスの表情がわずかにやわらいだ。

「……ありがとうございます」

封筒を受け取りながら、小さく息を吐く。

「元気にしているのですね」

「えぇ。クラリス様に挨拶に伺うと伝えたら、とても嬉しそうにしていました」

ウィルの柔らかな笑みを見て、クラリスはホッと肩の力を抜いた。

妹が突然トルシアへ渡り、“仮初の婚約”を結んだと知らされた時、クラリスは強い不安を抱いた。

だが少し前、父であるミルバーグ国王から届いた手紙には、仮初だったはずの婚約は、今では本物になっていると記されていた。

そして実際に会ったウィルからは、言葉の端々にアリスへの誠実な配慮が感じられる。

「妹を、どうかよろしくお願いいたします」

「……はい」

短い返答だが、確かな覚悟が感じられるものだった。

その時だった。応接室の扉が控えめに叩かれる。

「トルシアから伝令の騎士がきております」

クラリスにより入室を許可されたトルシアの騎士は、険しい表情のまま一礼した。

「ウィル団長。至急、トルシア国王からの文書です。」

空気が変わった。

ウィルは一瞬だけ表情を引き締め、そのまま文書を受け取る。

封を切り、視線を落とした瞬間だった。

クラリスは思わず息を呑む。

ウィルの顔色が強張り、室内の空気が一気に張り詰めていく。

「……ウィル様?」

呼びかけても、返事はない。

ウィルはしばらく無言のまま文書を見つめ、それからゆっくり目を閉じた。

まるで、感情を押し殺すように。

クラリスは不安げに視線を向ける。

「何か、あったのですか……?」

問いかけに、ウィルはすぐには答えられなかった。

どう伝えればいいのか分からなかった。

――いや、本当は、自分の口で伝えたくなかっただけだ。

深く息を吐いてから、ウィルは手にしていた文書をそのままクラリスへと差し出した。

クラリスが文書へ目を通している間、無意識に手首へ触れる。

指先に守り紐の感触が伝わった。

―――――――――――――――

ウィルが険しい表情のまま部屋を退出した後も、クラリスはしばらくその場から動けなかった。

手元にある文書を何度読み返しても、そこに記された現実は変わらない。

これから妹が置かれる状況を思うと、胸が締めつけられる。

――どうして、あの子ばかり。

同じ言葉が何度も頭の中を巡る。

そして自然と、父と兄のことが思い浮かんだ。

今頃二人も、国を背負いながら苦しい決断を迫られているのだろう。

ふと、手首へ視線を落とす。

そこには、アリスから贈られた守り紐が結ばれていた。

毎日身につけているわけではない。

けれど今日は妹の婚約者が訪ねてくるため、その日を大切に迎えたいと思い、身につけていた。

深いため息をつく。

そのときになってようやく、机の上に置かれた封筒へ視線が向いた。

――アリスからの手紙。

震える指先で、そっと最初の便箋を開く。

手紙は一枚ではなかった。

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お姉さま、お元気にされていますか。

もう何年もお会いできていないので、とても寂しいです。

私は今、トルシア王国で穏やかな毎日を過ごしています。

ウィル様との婚約は仮初のものだったはずなのですが、気がつけば三か月後に婚姻式を迎えることになりました。

今でも夢を見ているようで、目が覚めてしまうのが少し怖いくらいです。

お姉さまがこの手紙を読む頃には、ウィル様とお会いになっているのでしょう。

私にはもったいないくらい素敵な方でしたでしょう?

とても優しくて、怖いくらい大切にしてくださるんです。

お忙しいのに、いつも私のことを気にかけてくださって、相談するとちゃんと一緒に考えてくださいます。

最近は婚姻に向けて、新しい生活の準備をする時間も増えてきました。

これからは塔ではない場所が、私の帰る場所になるのだと思うと、今でも信じられません。

こんな日を迎えられるなんて、昔の私は想像もしていませんでした。

だからこそ、少しでもウィル様に相応しい女性になれるよう、頑張りたいと思っています。

婚姻式には、お姉さまやご家族にも来ていただけたら嬉しいです。

まだ一度もお顔を見たことのないお子様たちにも会いたいです。

そういえば、お姉さまは私がお送りした守り紐を、今でも持ってくださっていますか。

これからも、お姉さまとご家族が幸せでありますように。

またお会いできる日を、心から楽しみにしています。

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便箋を持つ手が小さく震えた。

一枚、また一枚と読み進めるたび、何気ない日々や婚姻に向けての準備が綴られていた。

そこには、ようやく自分にも幸せな未来があるのだと信じられるようになった妹の姿があった。

「……アリス」

かすれた声で、妹の名を呼ぶ。

クラリスは手紙をそっと胸へ抱きしめた。

「どうして……」

堪えていた涙が、頬を伝う。

妹がようやく手にした幸せだった。

心から望み、掴みかけた未来だった。

だからこそ、その幸せを奪おうとする現実が、どうしようもなくつらかった。

クラリスは手紙を抱きしめたまま、声を殺して静かに涙を流し続けた。