不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


仕事で遅くなったエドワードが、深夜になってようやく寝室へ戻ってきた。

扉の開く音に、ナタリアはゆっくりと目を開ける。

「あぁ、起こしてしまったか。すまない」

「大丈夫よ、あなたこそ遅くまでお疲れでしたでしょう」

そう返事をしながら身を起こし、エドワードへ視線を向けた。

寝室の仄かな灯りの中でも、その表情にははっきりと陰りが見える。

「どうされたの?」

エドワードはすぐには答えず、上着を脱ぐとしばらく目を伏せた。

やがて、吐息まじりに口を開く。

「ゼリアから、アリス王女を国賓として迎えたいと申し入れがあった」

「まぁ……」

ナタリアは息を呑んだ。

「それは――」

言いかけたところで、エドワードが苦々しい表情を浮かべる。

「実質……人質だ」

ゼリア国王の狙いは、ナタリアにもすぐに分かった。

——アリス様は、いつまで噂に翻弄されなければならないのだろう。

「ウィル様には?」

「急ぎで文書を出した」

「確か、お仕事でフィヨルドへ行っていらっしゃるのよね。アリス様のお姉様へ婚姻のご報告もされると聞いていたけれど……」

「ああ……姉君にも、この知らせは伝わるだろうな」

エドワードの眉間が、さらに深く寄った。

その様子を見つめながら、ナタリアは胸の前でそっと手を重ねた。

「……辛いわね」

「この間のドレスの寸法合わせでは、とても幸せそうにしていたのよ……」

ほんの数日前の、はにかむアリスの表情が脳裏によみがえった。

♢♢♢♢♢♢♢

王宮にある応接室へ足を踏み入れた瞬間、ナタリアは思わず目を見張った。

純白のドレスに身を包んだアリスが、少し気恥ずかしそうに立っていた。

胸元から袖にかけては、幾重にも重なる繊細なレース。

月や星を模した刺繍が上品にあしらわれ、幾層にも重ねられたスカートは、裾へ向かうにつれて淡い月明かりを思わせる青が溶け込むように広がっていた。

婚姻式当日の姿を十分に思い描けるほど、美しく仕立てられていた。

「アリス姉さま、すごくかわいい!」

エレナの弾んだ声が応接室に響く。

「ありがとうございます、エレナ様」

アリスは優しく微笑んだ。

「本当によくお似合いだわ」

ナタリアもつられて口元を和らげる。

その言葉に、アリスの頬がほんのり赤く染まった。

けれど、その表情はどこか不安そうだった。

「あの……本当に似合っているでしょうか?」

「もちろんよ」

ナタリアは即座に答えた。

それでもアリスは少し視線を落とす。

「……私には綺麗すぎるような、豪華すぎるような気がして……」

「あら、花嫁は婚姻式の主役なのよ」

諭すように、ナタリアは声を柔らかくする。

「華やかな方がいいわ。何より、本当に素敵よ」

「えぇ、私もそう思います」

ロイも穏やかに頷いた。

「婚姻式までには、よりアリス様にふさわしい一着へと仕上げてまいります」

クララは胸に手を添え、感慨深げに頷く。

「本当に。ウィル様も、アリス様の可愛らしさにきっと驚かれます」

その一言に、アリスはさらに頬を赤く染める。

その間も、ナタリアの傍で、エレナは月の飾りやきらめく刺繍に目を輝かせていた。

大人たちの会話が途切れたところで、エレナはアリスのもとへ駆け寄る。

「アリス姉さま、このお月さま、きれい」

「ここも、光ってる」

「ドレスも、ふわふわして、かわいいね」

嬉しそうにドレスを見上げながら、次々と話しかける。

アリスは少しかがみ込み、エレナと同じ目線になってにっこりと微笑んだ。

「とても可愛いですよね」

エレナは嬉しそうにうんうんと首を縦に振った。

それから、ふとナタリアの方を振り返る。

「お母さま」

「なあに?」

「わたしも大きくなったら、こんなドレス着たい」

「あら、きっと似合うわね」

ナタリアが優しい声でそう言うと、エレナは満足そうに笑った。

——とても楽しそうだけれど、これ以上引き留めては採寸が遅れてしまうわね。

ナタリアはクララへそっと視線を送った。

クララはすぐにその意図を察し、小さく頷いた。

「エレナ様、採寸が終わるまで、お隣のお部屋で私と待っていましょうね」

エレナは少し名残惜しそうにアリスを見上げる。

「アリス姉さま。終わったら、またお話ししてくれる?」

アリスはエレナの頭にそっと触れた。

「はい。たくさんお話ししましょうね」

「うん!」

安心したように笑うと、エレナはクララと手をつなぎ、応接室を後にした。

ロイは空気を切り替えるように姿勢を正す。

「では、寸法を確認させていただきます」

「よろしくお願いいたします」

アリスが軽く頭を下げる。

採寸が進み、ロイが全体のバランスを確認するため、一歩下がった。

ナタリアはふと口を開く。

「アリス様は、月がお好きなのかしら」

突然の問いに、アリスは目を瞬かせた。

「あ……」

少しだけ視線をさまよわせる。

「……ウィル様みたいで、その」

つぶやくような、本当に小さな声だった。

その一言に、ナタリアとロイは思わず顔を見合わせる。

笑みはこぼれたが、どちらもそれ以上は口にしなかった。

「そうなのね」

——本当に、可愛らしいわね。

ロイは再びアリスへ視線を向ける。

「本日の寸法をもとに、さらに細かな調整を進めてまいります」

「はい」

採寸が終わり、ナタリアは改めてアリスを見つめた。

「婚姻式まで、あと三か月ほどね。半年も早まったから、準備も大変でしょう?」

アリスは少し照れたように笑う。

「少し……。でも、ウィル様がいつも気遣ってくださいますので、大丈夫です」

その答えに、ナタリアは穏やかに目を細めた。

「婚姻式が楽しみだわ」

少し間を置き、優しく続ける。

「これからは家族になるんですもの。何でも話してくれていいのよ」

「……ありがとうございます」

アリスは、はにかむように微笑んだ。