不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


「すまない、急な仕事で付き合えずに。夕食には戻る」

屋敷へ到着すると、ウィルは馬車から降りながらそう告げた。

「私のことなら気にしないでください。お仕事ですから」

「……そうなんだが」

ウィルはため息をつき、手を差し出す。

アリスはその手に触れ、支えられながら馬車から降りた。そして自然とウィルの腕へ手を添える。

「……ご無理しないでください。いつも忙しくされているので」

心配そうに見上げると、ウィルはアリスへ柔らかな視線を向けた。

「大丈夫だ」

屋敷へ向かって歩きながら、アリスは何か言いたげな様子を見せていた。

「あの……家具のことなんですけれど」

「あぁ」

「本当に、自分で決めてしまっていいのですか」

その言葉に、ウィルは苦笑した。

「アリスがこれから使うものだ。自分で決めた方がいいだろ」

「でも……」

アリスはどこか戸惑った表情を浮かべる。

「悩むようなら相談してくれればいい」

そして少しだけ肩をすくめた。

「まあ、あまり得意ではないが」

その言葉に、アリスがクスっと笑う。

「それでも、ウィル様にご相談に乗っていただきたいです」

思った以上にはっきりとした口調だった。

ウィルは足を止めないまま、ちらりとアリスを見る。

――少しだが、頼ってくれるようになったか。

そう思うと、自然と口元が緩んだ。

やがて二人は屋敷の玄関へ辿り着く。

そこにはすでにクララが待っていた。

「お帰りなさいませ」

「あぁ」

ウィルは短く頷く。

「アリスを頼む」

「えぇ、お任せください」

クララは穏やかに微笑んだ。

ウィルはアリスへ視線を向ける。

「では、行ってくる」

アリスは少しだけ名残惜しそうに腕から手を離した。

「はい。お気をつけて」

ウィルは軽く頷き、そのまま踵を返して屋敷の外へと出ていった。

「では、アリス様」

クララが優しく声をかけた。

「家具を選ぶ前に、まずはこれからアリス様がお使いになるお部屋をご案内いたしますね」

「よろしくお願いします」

アリスは軽くお辞儀をした。

―――――――――――――――

部屋へ向かう途中、数人の使用人たちとすれ違った。

「お帰りなさいませ、アリス様。ケーキを焼きましたので、後でお持ちしますね」

「ありがとうございます、バラクさん。楽しみです」

次々とかけられる声に、アリスは足を止めて一人一人に丁寧に挨拶を返す。

屋敷で働いている人数が多くなかった分、顔と名前も自然と覚えていた。

「アリス様、お帰りなさいませ」

声をかけてきたのはイメルダだった。

「イメルダさん、お久しぶりです」

「アリス様に作っていただいた髪飾り、娘たちが大切にしております」

イメルダはそう言って微笑んだ。

その言葉に、アリスも笑みを浮かべる。

「喜んでもらえたなら良かったです」

その様子を、クララはどこか嬉しそうに見つめていた。

ふと、その視線に気づいたアリスが首を傾げる。

「あの、クララさん。どうかしましたか?」

「いえ」

クララは穏やかに微笑んだ。

「失礼いたしました」

そして少しだけ目を細める。

「私は最初にお会いした時から、アリス様が奥様になられる日を楽しみにしておりましたので」

「……えっと、最初から——?」

アリスは目を瞬かせる。

「えぇ」

クララはどこか楽しげに微笑んだ。

「何より、皆も、アリス様がこちらへ来られる日を楽しみにしておりますから」

アリスは恥ずかしそうにコクリと頷いた。

来てほしいと言われる日がくるなんて思ってもみなかった。

胸の奥が、ふっと温かくなる。

―――――――――――――――

「こちらが、アリス様のお部屋になります」

そう言って、クララは扉を開いた。

――広い。

部屋へ足を踏み入れたアリスは、思わず目を瞬かせた。

明るい窓際に、本棚が二つだけ置かれている。

「あの……」

アリスは部屋の中を見渡すように歩きながら、少し居心地悪そうに口を開く。

「もう少し狭いお部屋ではだめですか?」

クララが首を傾げる。

「と申しますと?」

「一人で使うには、落ち着かない気がして……。以前、使わせていただいた客間で十分すぎるくらいです」

アリスは戸惑うように言う。

「アリス様」

その声は柔らかかったが、言葉ははっきりとしていた。

「アリス様はこちらの屋敷の主の奥様となられるのですよ。相応しいお部屋をお使いいただかなければなりません」

「……あ、はい。ウィル様の――」

そこまで言って、自分で恥ずかしくなったのか言葉が続かない。

頬がじんわりと熱を帯びる。

「少しずつ慣れていかれればよろしいのですよ」

クララは一度言葉を切ってから続ける。

「それに、家具が入ればまた印象も変わります。今は広く感じられるかもしれませんが、きっと落ち着かれるかと思います」

「そうですね、家具が入れば……」

アリスは頷いてから、本棚の前で足を止めた。

「こちらの本棚は?」

「えぇ。旦那様が以前読まれていた本が置かれております」

クララが答える。

「ちょうど別の場所へ移そうと思っていたところです」

アリスは本棚へ近づき、並んだ背表紙を眺めた。

物語や紀行記、植物に関する本などが並んでいる。

「ご興味のあるものがございましたか?」

「はい」

アリスは表情を和らげた。

「いくつか読んでみたい本もありますし……」

それから少し迷うように続ける。

「まだ空いている場所もたくさんありますから。このままこちらに置いておくのではだめでしょうか」

クララは一瞬だけ目を瞬かせた後、小さく微笑んだ。

「それは構いませんが――」

クララは少し考えるように視線を巡らせた。

「かなり本をお持ちだとリリスから聞いております。」

「こちらの二つの本棚だけでは、いずれ置き切れなくなるかもしれません。」

「ですので、一つはこちらへ残し、もう一つは別の場所へ移して、新しく本棚をご用意するということで、いかがでしょうか」

「新しい本棚を?」

「えぇ。アリス様がご興味のある本だけをこちらへ残します。そうすれば、新しい本棚と合わせて、アリス様の本もゆとりをもって並べていただけるかと思います。」

アリスは頷いた。

「それで、お願いします」

「かしこまりました」

ふと、アリスは部屋の奥にある扉へ視線を向けた。

「あの、こちらの扉は?」

「こちらは寝室へとつながっております」

そう言って、クララは扉を開く。

その先にあったのは、やはり広々とした空き部屋だった。

「寝室も広いんですね」

アリスは室内を見渡しながら呟く。

「こちらだけで、私のお部屋になりそうなくらいです」

その言葉に、クララは思わず苦笑した。

そして何でもないことのように口にする。

「寝室は夫婦でお使いになるものですから」

「……あ、そうですよね」

アリスの顔がみるみる赤くなる。

クララはさらに続けた。

「ですから、あちらの扉は旦那様の私室とつながっております」

アリスはドキッとして反射的にそちらへ視線を向ける。

――扉一枚向こうに、ウィル様のお部屋がある。

「……そう、なんですね」

ようやくそれだけを口にした。

そんなアリスの様子を、クララは微笑ましく見守っていた。