お披露目の会場へ向かう廊下を、アリスはウィルと並んで歩いていた。
「大丈夫ですか」
隣から落ち着いた声が降ってくる。
「はい」
そう答えたものの、自分でも分かるくらい顔がこわばっていた。
今日は、正式な婚約のお披露目で――簡単なお披露目の場だとは聞いていた。
それでも、王族や重臣たちが集まる場に出るのは久しぶりで、緊張からか足の運びもぎこちなくなる。
すると、不意に左腕へ添えていた手に、もう片方の大きな手が重なった。
「手が冷たい」
低い声が落ちる。
触れられた場所がじんわりと温かくて、張りつめていた心が少しだけほどけた。
アリスは小さく息を吐く。
「……本当は、とても緊張しています」
素直に気持ちを漏らすと、ウィルは短く頷いた。
「お披露目といっても、内輪の者たちだけですが――」
わずかに視線を落とす。
「つらくなるようなら、すぐに言って下さい」
その言葉に、アリスは慌てたように首を振った。
「いえ、大丈夫です。こういう場に出るのが久しぶりなだけですから」
それから、小さく唇を引き結ぶ。
「ウィル様に、ご迷惑をおかけしないようにします」
その瞬間、ウィルがため息をついた。
「……こちらへ」
そう言って、人の気配のない小部屋の扉を開ける。
「え……あの、ウィル様?」
戸惑いながらも、アリスはウィルに促されるまま部屋へ入った。
扉が閉まる。
二人きりになった空間で、ウィルはアリスへ視線を向けた。
「迷惑とは思わない」
はっきりと言い切る。
「むしろ、傍にいるのだから、もっと頼ってほしい」
そして、ほんの少しだけ表情をやわらげた。
「……いずれ、夫になるのだから」
アリスは目を見開き、すぐに頬が赤く染まる。
「はい……」
本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
その表情を見つめたあと、ウィルは自然な動作でアリスの頬へ口づけを落とす。
「あ、の……」
アリスは真っ赤になったまま、自分の頬へそっと触れた。
何が起きたのか整理できないまま、おろおろしている。
その様子を見て、ウィルはフッと笑う。
「少しは、緊張がほぐれましたか」
アリスはかすかに頷いた後、「……でも、心臓に悪いです」とつぶやく。
ウィルはわずかに目を細め、アリスの頭にポンと軽く触れる。
「では、行きましょうか」
「はい」
アリスはウィルの腕を少し強く握った。
――――――――――――――
会場へ足を踏み入れた瞬間、周囲の視線が一斉に二人へ向けられて、アリスは体をこわばらせた。
その瞬間、隣でウィルが手を少し強く握る。
アリスが思わず顔を見上げると、落ち着いた翡翠の瞳と視線が合って、自然に体の力が少し抜けた。
アリスが頷くと、ウィルはそのまま国王と王妃のもとへ歩みを進める。
「この度は、お披露目の場を設けていただき、ありがとうございます」
ウィルが礼を取り、アリスもそれに合わせて丁寧に頭を下げた。
「あぁ、婚約おめでとう」
エドワード国王が穏やかに笑う。
その隣で、ナタリア王妃もやわらかく微笑んだ。
「アリス様、本当におめでとう。また皆でお食事をしましょうね。子どもたちにも会わせたいと思っていたのよ」
その言葉に、アリスは口元を綻ばせる。
「はい……ぜひ、よろしくお願いいたします」
それから、どこか申し訳なさそうに視線を伏せた。
「この度は、私のためにご尽力いただき、本当にありがとうございます」
そう言って頭を下げる。
「アリス、それは――」
ウィルが口を開きかけた、そのときだった。
エドワード国王はアリスを見つめ、ふっと目を細める。
「むしろ、こちらがお礼を言いたいくらいだよ」
どこか楽しそうな声音だった。
「アリス様に出会わなければ、弟は一生独身だっただろうからね」
わずかにいたずらっぽく笑う。
アリスは困ったように笑みを浮かべて、そっとウィルを見上げる。
ウィルは軽く肩をすくめた。
「では、失礼いたします」
そう言って二人は軽く礼をし、その場を離れる。
それを合図にしたように、周囲の人々が次々と二人へ挨拶に訪れ始めた。
初めてアリスを見る者たちは、黒い髪と瞳へ必ず視線を向ける。
中には、物珍しそうな目を隠さずに向ける者もいた。
自身の容姿が珍しいことはアリスもよく分かっている。
だから、居心地の悪さはあっても、嫌悪や忌避の視線ではないだけで、気持ちは少し軽かった。
けれど、それだけではなかった。
「ウィル殿下、アリス様。おめでとうございます」
重臣の一人が、二人へ声をかけてくる。
後ろには、年若い女性が控えていた。
「こちらは、娘のアリシアです」
「おめでとうございます」
彼女は綺麗な所作で一礼する。
その目がウィルを見た瞬間、ほんのわずかに切なげに揺れたことに、アリスは気づいてしまった。
――また。
胸の奥がほんの少しだけ苦しくなる。
これで、三人目だ。
――きっと私と同じように。
皆、とても綺麗な女性たちだった。
華やかな髪色に、洗練されたドレス。
貴族の女性らしい綺麗な所作も、自分とはまるで違う。
……そうよね、ウィル様なら、たくさんの縁談があったはずだもの。それなのに、私のどこを気に入ってくださったのかしら。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、無意識にウィルの腕へ添えていた手から力が抜け、少しだけ離れそうになった。
そのときだった。
「疲れましたか?」
低い声がすぐ隣から落ちてくる。
アリスははっとして顔を上げた。
「い、いえ……」
慌てて小さく首を振る。
ウィルはしばらくアリスを見つめていたが、やがて小さく息をついた。
「でしたら、傍を離れないようにしてください」
そう言いながら、アリスの手が離れないように、自分の腕へそっと重ね直す。
その仕草はあまりにも自然だった。
「……はい」
返事をしながら、アリスは頬を染める。
不安だった気持ちが、少しずつ消えていくのが分かった。
言葉は多くなくても、時折向けられる視線や、軽く手を添えられるだけで安心できる。
社交の場など、これまでほとんど出たことがなかった。
そして、その記憶はアリスには良いものではなかった。
それなのに、今日は少しだけ楽しいと思えている。
――ウィル様の傍に、ずっといられたら。
アリスは、ただそれだけを願わずにはいられなかった。
――――――――――――――
話しかける人々の波が途切れたところで、エドワードとナタリアは顔を見合わせた。
「驚いたな。あいつが、あんな顔をするとは」
「あなた、その言い方は」
ナタリアはたしなめるような口調だったが、口元には笑みが浮かんでいた。
「だが、そう思っただろう?」
「えぇ、そうね。アリス様のことを大切に想われているのは、十分すぎるほど伝わってくるわ」
自然と二人の視線は、人々に囲まれているウィルとアリスへ向かう。
ウィルも社交が好きな方ではない。
それでも、常にアリスを守るように人々と会話を交わしているのが分かった。
エドワードはその様子を見て、ふっと口元を緩める。
あの姫が妻になれば、弟も少しは無茶を控えてくれるだろう。
どうなることかと思ったが、こうして無事に話がまとまり、本当に良かった。
ミルバーグ国王からも、感謝の書状が届いていた。
二国にとっても、これまで以上に強固な同盟を築いていけるはずだ。
「本当に、幸せそうね」
ナタリアも笑みをうかべる。
「あぁ」
エドワードは頷いた。
「できれば――あの二人の幸せを脅かすものが現れなければいいが」
そう呟くと、表情を引き締めた。



