不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


あれから一か月が過ぎていた。

婚姻式は一年後に定められ、準備はすでに動き始めている。

応接室に入ると、クララと年配の紳士が立っており、その傍らではリリスが紅茶の準備を進めていた。

「アリス様、ウィル様より伺っておりますとおり、本日は仕立て屋をお連れいたしました」

クララが一歩進み出て、丁寧に一礼する。

それに続いて、紳士も静かに頭を下げた。

「初めまして。ロイと申します。このたび、婚姻式の衣装を担当させていただきます」

落ち着いた声音だった。

アリスも慌てて頭を下げる。

「よ、よろしくお願いいたします」

クララは軽く頷き、淡々と続けた。

「ウィル様より、こちらで打ち合わせを進めるよう仰せつかっております」

当然のように告げられたその一言に、胸の奥がわずかに揺れる。

――婚姻式、ドレス。

嬉しいと思う気持ちは確かにあるのに、それと同じだけ、うまく言葉にできない不安が胸の奥に残っていた。

やがて、テーブルの上にいくつものデザイン画が並べられていく。

一枚一枚が息を呑むほどに美しく、繊細な刺繍や流れるような布の線、光を受けて輝く装飾の細部まで丁寧に描き込まれている。

それらを見つめながら、アリスはわずかに息を詰めた。

――本当に、これを私が着て、ウィル様と婚姻式に臨むのかしら。

まだ夢を見ているようで、現実感が湧かない。

ふと、先日交わしたウィルとの会話が、頭の奥に浮かんだ。

「婚姻式のドレスだが、仕立て屋を近くここへ呼ぶから、打ち合わせをしておいてほしい」

何気ない口調だった。

けれど、その意味を理解した瞬間、思わず口をついて出た。

「……ドレス、あの、わざわざ作っていただかなくても……お借りするもので十分です」

自分なんかのために新しく仕立ててもらうのは申し訳なくて、気づけばそんな言葉が口をついて出ていた。

ウィルは一瞬だけ目を細め、それから苦笑する。

「そういうわけにはいかない」

ほんのわずかに間を置いてから続けた。

「何より、アリスが選んだものを着てほしい」

あまりにも自然に言われて、胸の奥がいっぱいになった。

「こちらなどはいかがでしょうか」

ロイの声に、意識が現実へと引き戻される。

差し出された一枚のデザインを見て、アリスは曖昧に頷いた。

「どう……なんでしょうか」

どれも美しくて、自分には遠いもののように思えてしまう。

こんな綺麗なドレスが本当に似合うのかという想いが、どうしても消えてくれない。

その様子を見て、クララとリリスがわずかに視線を交わす。

そしてクララが静かに別のデザインを手に取った。

「私はこちらなどもよろしいかと思いますよ」

落ち着いた声だった。

続けてリリスがやわらかく問いかける。

「アリス様は、どれがお好きですか」

好きなものを、と言われて、少しだけ戸惑う。

視線を落としながら、並べられたデザインを一つずつ見ていくうちに、ふと、一枚の絵に目が止まった。

「……これは、月のモチーフですか」

ロイは穏やかに頷く。

「えぇ。夜をイメージした意匠でございます。こちらは王女様によくお似合いになるかと」

アリスの視線はそのデザインから離れなくなった。

綺麗に描かれた月を見つめているうちに、ふとウィルの姿が頭に浮かぶ。

――月も、ウィル様も、私には相応しくない。綺麗なものには、きっと手は届かない。

「お気に召しましたか」

ロイの言葉に、はっとする。

「はい、いえ、……」

選ばなければいけないと分かっているのに、どうしても上手く言葉が出てこない。

「アリス様」

リリスがそっと声をかける。

「お好きなものを着ていいんですよ。ウィル殿下も、アリス様に選んでほしいと思われてロイさんをお呼びしたのでしょうし」

やわらかな声だった。

その言葉に心がわずかに揺れる。

クララも続ける。

「私は、そのドレス、とてもアリス様らしいと思いますよ」

はっきりとした言葉だった。

――月を選んでもいいのかしら。

迷いは消えないままだけれど、クララの言葉にそっと背中を押された。

アリスはもう一度月のモチーフを見つめ、小さく息を吸い込んだ。

「……これで、お願いします」

声はかすかに震えていたが、それでもちゃんと言葉にできた。

月のドレスを選んだことで、婚姻式そのものが急に近づいた気がした。