一週間後。
夕方近く、ウィルはミルバーグから戻り、そのままトルシアの私邸へと入った。
「お帰りなさいませ」
クララとテリーが揃って出迎える。
「あぁ、帰った。変わりはなかったか」
「えぇ」
短く答えたクララの隣で、テリーが一歩前に出た。
「だんな様。アリス様の件は、いかがでしたか」
その問いに、ウィルはわずかに口元を緩める。
「あぁ。ミルバーグ国王から許可が下りた」
その一言に、二人は同時に息を吐いた。
「それは……よろしゅうございました」
「本当に」
安堵を隠さない声だった。
クララはすぐに気持ちを切り替え、淡々と続ける。
「では、アリス様をお迎えになるのは、一年以内ということでよろしいでしょうか」
「あぁ。時期までは決まっていないが」
「承知いたしました。準備を進めます」
テリーも頷く。
「頼む」
クララは、ほんのわずかに表情を和らげた。
「だんな様」
「なんだ」
「屋敷の者一同、アリス様がいらっしゃるのを楽しみにしておりますと――お伝えくださいませ」
その言葉に、ウィルは目を細める。
「……めずらしいな。お前が伝言を頼むとは」
クララは一瞬だけ間を置いてから、「当たり前です」と、きっぱり言い切る。
「アリス様を逃したら、だんな様のことですから、一生どなたも娶られないでしょう」
その言葉に、テリーも深く頷いた。
「できることなら、本日中にでもお越しいただきたいくらいです」
あまりに率直な言い方に、ウィルは苦笑する。
「……そうだな」
否定はしなかった。
――――――――――――――――
その翌日。
ウィルは、昼を過ぎる頃にアリスのもとを訪れていた。
紅茶を一口飲んだあと、ウィルはあまりにも自然な口調で言った。
「一年以内に、妻として屋敷に移ってもらおうと思っている」
「……つ、つま?」
何を言われたのか理解できず、思考が止まる。
「あぁ。その前に婚姻式もあるが」
さらりと続けられた言葉に、胸の奥が大きく揺れた。
「こ……婚姻? その、えと、私と……」
言葉がうまく出てこないまま、鼓動だけがやけに大きくなる。
――婚約者として、ほんの少し受け入れられただけだと思っていた。
まさか、正式に妻として迎えられるなんて。
そんな未来は、考えたこともなかった。
「……でも、トルシア国王様や、お父様には……」
「すでに許可はいただいている」
短く、迷いのない返答。
「……はぁ」
ため息とも返事ともつかない声が漏れる。
じわじわと、胸の奥に広がっていく。
嬉しい――そう思っているはずなのに。
同時に、自身が抱えている事情が頭をよぎった。
「あの、でも……私……」
簡単に受けていい話ではない。
そう分かっているのに、言葉にできないまま俯いてしまう。
ウィルは困ったように息を吐いた。
「嬉しいとは、思ってくれないのか」
「ち、違います……その……すごく嬉しくて。夢みたいで……でも……」
そこで、また言葉が途切れる。
ウィルは一瞬だけ口元を緩めて、告げた。
「これはもう正式に許可をいただいたことだ。オレの妻になる以外、アリスに選択肢はない」
逃げ場をなくすように、その言葉が落ちる。
アリスの頬がみるみる赤く染まっていく。
ようやく――“妻”という意味が、胸の奥に響いてくる。
「……あの、だから私……」
言葉を続けようとした、その瞬間。
ウィルは席を立ち、アリスの前で膝をつく。
アリスの手を取り、その手に唇をそっと押し当てた。
そして、逃さないように真っすぐアリスを見つめる。
「生涯かけて、あなたを守ると約束します。ですから――諦めて、私の傍にいてください」
「あ……の……いいの、ですか……?」
ようやく言葉になった問いに、ウィルは息を吐いて立ち上がる。
「アリスはオレの姫だから」
どこか乱暴で、だけど迷いのない声音だった。
「ミルバーグへは返さない。誰にも渡すつもりはない」
きっぱりと言い切られる。
胸がいっぱいになって、
「……はい」
かすれるような声で、アリスは頷いた。
その返答に、ウィルはわずかに力を抜く。
「クララから伝言を頼まれた」
「あ、はい」
「アリスが来るのを楽しみにしていると」
その言葉に――
アリスは、心からの笑みを浮かべた。
――――――――――――――――
ウィル様が帰ったあと、私はそのままソファに座り込んだ。
――夢、なのだろうか。
ウィル様と結婚する。
そんな言葉を、自分が受け取る日が来るなんて、思ったこともなかった。
ほんの少し好意を向けられるだけでも、奇跡みたいなものだったのに。
「……大丈夫、なのかしら……」
不安が、呟きになってこぼれる。
リリスの話を思い出す。
ウィル様は、他国の姫や、この国の貴族の女性たちにもとても人気があるらしい。
考えるまでもなく、家柄も、容姿も、頭の良さも、強さも、これ以上望むものなんてないぐらい。
それなのに。
「どうして……私なんかを……」
答えの出ない問いが、胸の中を渦巻く。
ウィル様のことを思うなら、身を引くべきなのだと思う。
――もっと相応しい方がいるもの。他国の姫でも、公爵令嬢でも。
私があの方に与えられるものなんて、何もない。
あるとすれば、不吉を呼ぶ姫を妻にしたという、ただの重荷だけ。
それでも、ぎゅっと手を握りしめる。
「……そばに、いたい……」
思わず、声がこぼれた。
一度触れてしまったものを――差し出されたその手を、なかったことになんてできない。
「放したくない……」
どれだけわがままなことを言っているのかも、分かっていた。
本当は――そんな願いを持ってはいけなかったのに。
それでも、胸の奥に一度宿ってしまった想いが、消えてくれない。
――どうしたらいいのか、もう分からなかった。



