ここで過ごすのも、今日が最後になるのだと思うと、胸の奥に寂しさが募っていく。
ぼんやりとそんなことを考えていたとき、扉がノックされた。
「はい」
声をかけると、すぐに返事がする。
「今、帰りました。明日のことでよろしいですか」
扉が開き、ウィル様が部屋へと入ってくる。
――二日前。
リリスから真実を聞いて以来、こうして顔を合わせるのは初めてだった。
分かっていたことなのに、胸の奥がズキズキと痛む。
あの視線の中に、わずかにでも信頼があるのではないかとどこかで期待していた。
けれど、それは違ったのだとわかってしまった。
私はその気持ちを押し込めて、できるだけ自然に笑みを浮かべた。
「お帰りなさいませ、ウィル様」
軽く礼をする。
「ええ。それと、お食事がまだと聞きましたので、ご一緒にいかがですか」
「……はい。ぜひ」
答えながら、私は机の上の包みに手を伸ばして――一瞬だけ、ためらう。
それでも、そのまま持ち上げた。
「あの……これを」
ウィル様はそれを受け取り、わずかに首を傾げる。
「手袋です。手製なのでお気に召すか分かりませんけど……この屋敷に置いていただいたせめてものお礼です」
断れないと分かっているからこそ、渡せたのかもしれない。
「ありがとうございます」
ほんの少しだけ口元を和らげて、ウィル様はそれを受け取った。
その表情は、きっと客人に向けるものと変わらないはずなのに、それでもドキッとしてしまう。
そのとき、
「リリス、少し手を借りられますか?」
と、クララの声が廊下から届く。
リリスは私たちに軽く礼をして、部屋を後にした。
扉が閉まるのを、私はほんの一瞬だけ目で追う。
それから、気持ちを切り替えるように口を開いた。
「明日の出立は、いつ頃でしょうか」
「昼頃に迎えが来ます」
淡々とした返答のあと、ウィル様は続ける。
「それと、これを。誕生日から随分遅れてしまいましたが」
そう言って、何気ない仕草で小さな箱を差し出した。
――あぁ。
とても嬉しいと思う反面、やっぱり気を遣わせてしまったのだと申し訳なくなる。
「ありがとうございます。あの……開けてもいいですか?」
確認すると、ウィル様は軽く頷いた。
箱を開ける。
中に入っていたのは、鈴蘭を模したネックレスだった。
この花が好きだと話したことを覚えていてくれた。
とても嬉しくて。
でも、同じくらい苦しくもなった。
……だから、これは。
「どうされましたか」
声をかけられて、私はゆっくりと顔を上げる。
そして、一度だけ呼吸を整えた。
「色々ご迷惑をおかけしました」
深く頭を下げる。
「……それは――」
ウィル様が言葉を継ごうとするのを、私はそっと遮った。
「リリスから聞きました」
顔を上げないまま、続ける。
「私のために色々とお心遣いをいただいて、本当にありがとうございました」
「ご無理をお願いしてしまって、本当に申し訳なく思っています」
そこまで言って、私はゆっくりと顔を上げた。
「ですから、これは受け取るわけにはいきません」
まっすぐ言い切ってから、ネックレスへと視線を落とす。
わずかな沈黙のあと、
「……貴方に関わろうと思ったのは、あくまで私の意思ですから」
ウィル様は、はっきりと言い切った。
思ってもいなかった言葉に、一瞬だけ言葉を失う。
けれど、すぐにその意味を自分なりに受け取る。
「ウィル様に、これ以上の重荷を背負わせることは、国王様も望まれないと思います」
顔を上げて、まっすぐに言葉を返す。
「ウィル様が国王様の幸せを第一にお考えなのと同じくらい、国王様もきっと……」
少しだけ息を整える。
「ご迷惑でしょうけれど、私もウィル様には幸せでいてほしいと思います」
ほんのわずかに笑みを浮かべて、続ける。
「仮初でも婚約者になって頂いただけで、私には十分すぎるくらいでした」
「……これ以上は、望んではいけないと思っています」
その言葉は、あまりにも自然に口をついて出た。
ウィル様は、その言葉に、わずかに表情を変える。
けれど、その意味を、正しく理解することはできなかった。
短い沈黙が落ちる。
ウィル様は一度だけ視線を落とし、それから深く息を吐いた。
「本当は、これ以上守るものを増やすつもりはなかったんだが」
つぶやくような言葉だった。
ゆっくりと、私を見る。
「貴方が傍にいたら、私は戦いの場で保身を考えてしまいますから」
「……え?」
言葉の意味が分からず、思わず声が漏れる。
そのまま顔を上げると――見たことのないほど真摯な眼差しが向けられていた。
顔が熱くなって、どうしていいか分からなくなる。
「何を……」
うまく言葉が出てこない。
その様子を見て、ウィル様はほんの少しだけ目を細めた。
「……決心がつきました」
「これは、受け取っていただきます」
どこか有無を言わせない言葉だった。
距離が一気に近づく。
「私は、これから先、貴方以外を婚約者に迎えるつもりはありません」
贈り物を持つ私の手を、ウィル様の大きな手がそっと包み込んだ。



