ふと時計を見ると、夕食の時間が近いことに気づく。
今日はウィル様にお会いできるかしら――そう思っただけで、なんとなく気持ちが浮足立つのが分かる。
この屋敷に来たばかりの頃は、顔を合わせることもほとんどなくて、言葉を交わす機会は数えるぐらいしかなかった。
それなのに、今は、夕食の時間を一緒に過ごしてくれる。
最初は何を話せばいいのか分からなくて、沈黙ばかりだった。
それでもウィル様は、時折問いかけてくれて、会話が途切れそうになるとさりげなく言葉を足してくれた。
それに、私の話にきちんと耳を傾けてくれる。
だから、庭のことや料理のこと、日々の何気ない出来事を自然に話せるようになっていた。
――こんな時間が、ずっと続いたら。
そんな大それた想いが、つい胸に浮かぶ。
……それにしても、どうしたのだろう。
ふと思う。
今まで、ほとんど話しかけられることなんてなかったのに。
最近は穏やかな声やふと向けられる視線に、一瞬だけ錯覚しそうになる。
屋敷の皆さまへ向ける信頼が、ほんの少しだけ――自分にも向けられているんじゃないかって。
そう思いかけて、首を振った。
……そんなはず、ないのに。
私はただの客人で、ここを離れる立場でしかない。
最初から、ここに居続けられる存在じゃないもの。
だとすれば、一つしか思い当たらなかった。
リリスだわ、きっと。私のことを気にかけて、ウィル様に何か伝えてくれたのかもしれない。
でも、それを彼女に確かめることはできなかった。
もし、本当にリリスの言葉で今の時間があるのだとしたら。
それを知ってしまえば――
今感じているこの時間が、きっと、全てなくなってしまうから。
だから、聞けない。
このまま気づかずにいたいと思ってしまっている自分に気づいて、手を握りしめた。
結局、その曖昧なままの距離を手放すこともできずに、時間だけが過ぎていく。
ーーーーーーーーーーーーーーー
塔へ戻る日が、あと三日後に迫っていた。
何も知らないまま終わってしまうことに、どこか落ち着かない気持ちが残る。
このままでいいのか、何度も考えて。
やっと、区切りをつけなければいけないと思えた。
「リリスが伝えてくれたのでしょう?」
私がそう言うと、リリスはわずかに表情を強張らせてから、視線を落とした。
「はい……あの、アリス様……」
言葉が途中で止まる。
あぁ、やっぱり。
そう思った瞬間、胸の奥がズキンと痛んだ。
でも、リリスのために、それを表に出すわけにはいかなかった。
リリスが何か言う前に、私は先に言葉を重ねる。
「ちゃんと、分かっているから、だから怒ってないのよ。私のことを思って、勇気を出してくれたんでしょう?」
リリスは顔を上げられないまま、何も言わない。
「でもね……やっぱり、ウィル様にご迷惑をおかけするのはよくないと思うの」
「とてもお忙しい方なのに、私のために時間を使わせてしまうのは、申し訳ないもの」
その言葉に、リリスは苦しそうに眉を寄せた。
「……それは、わかっています」
「それでも……アリス様には、大切にしてほしかったんです」
少しだけ顔を上げて、まっすぐこちらを見る。
「今、アリス様が抱えているお気持ちを……」
言い切る前に、再び視線が落ちる。
「塔に戻れば、ウィル殿下とお会いになる機会がほとんどなくなってしまいますから」
そのまま、うつむいてしまった。
リリスの言葉が、胸に落ちてくる。
――やっぱり、リリスにはかなわない。
そう思ったら、なぜか、気持ちが和らぐ。
「それにしても、困ったメイドね」
自然と、そんな言葉がこぼれる。
「主人の叶わない想いの後押しをするなんて」
ほんの少しだけ意地悪に言ってみると、リリスは「すみま……」と言いかけて、はっとしたように顔を上げた。
私が笑みを浮かべていることに気づいたのだろう。
少しの間を置いてから、表情を引き締める。
「当たり前です」
「アリス様には、強くなっていただかなくては」
その声は、いつもより少しだけ強かった。
「これからも、お一人で、きちんと立っていられるように」
まっすぐに向けられたその言葉を、私は正面から受け止める。
その重さも、意味も、分かっている。
「……わかってるわ」
小さく息を吐いてから、私はゆっくりと頷いた。
「大丈夫よ」
「味方が誰もいなくなっても、どんなに人に疎まれても、最後まできちんと立ち続けるから」
それは、ずっと前から決めていることだ。
「お父様との約束だもの」
そう言って、私はリリスの腕にそっと手を添えた。
それが、私なりの――リリスへの感謝だった。



