午前中、アリスはリリスとともに花壇の手入れをしていた。
土を軽くほぐし、芽の様子を確かめる。
まだ小さいが、確かに根づいていることが分かる。
「こっちは、もう少しで出てきそうね」
そう言って顔を上げたとき、視界の端に人影が入る。
「――ウィル様」
思わず手を止める。
こんな時間に庭で顔を合わせるとは思っていなかった。
慌てて立ち上がり、軽く礼をする。
「おはようございます」
「ええ」
簡単な挨拶だけなのに、ドキドキと心臓の音が早くなる。
「少し、よろしいですか」
「はい」
「塔の警備体制の見直しが終わりました」
当たり前のように続ける。
「昨日の会議にて、姫には塔へ戻っていただくことが決まりました」
アリスはわずかに目を伏せる。
「……そうですか」
塔にいずれ戻ることはもちろん分かっていた。
それでも、実際に言葉として聞くと、少しだけ寂しさがよぎる。
この屋敷で、皆と過ごす時間もなくなる。
何より――ウィル様と夕食をご一緒することもなくなるのね。
慌ててその思いを打ち消した。
「いつ頃になりますか」
「二週間後になる見込みです」
「わかりました。リリスとともに準備いたします」
それだけを、きちんと返す。
ウィルはふと視線を花壇へと向けた。
「そういえば、鈴蘭はどれになりますか」
その問いに、アリスはほんの少し驚いた表情を浮かべる。
「こちらです」
小さな芽を指さす。
「まだ分かりづらいのですが……」
「他には何を?」
次を問われ、アリスはどこか嬉しそうに続ける。
「こちらがマーガレットで、こちらがカスミソウです」
順に指で示していく。
言葉にするたびに、アリスの表情がやわらいでいく。
その様子を見ながら、ふと昔の記憶がよぎる。
同じように、花壇の前に立っていた幼い少女の姿。
♢♢♢♢♢♢♢♢
ウィルが九歳の頃だった。
亡父とともにミルバーグ国へ滞在していたときのこと。
暇を持て余して歩いていた林の奥で、大きな塔を見つけた。
興味のままに近づいた先で、彼女はそこにいた。
土に触れながら、楽しそうに何かをしていた。
黒い髪と、見たことのない黒い瞳。
思わず足を止める。
気配に気づいたのか、その瞳がこちらを向いた。
「……綺麗、天使みたい」
こちらを見たまま、驚いたようにそう呟いた。
“綺麗”。
自分に向けられることの多いその言葉に、苛立ちが先に立つ。
「綺麗って言うな」
強く返してしまった。
彼女は驚いたように肩を震わせて、「ごめんなさい」と頭を下げる。
そこで、ようやく怯えさせたことに気づいた。
「……ごめん」
短く謝る。
それから、気になっていたことを口にした。
「目の色、黒いんだな」
彼女はすぐに視線を落とした。
「気味の悪い色だから」
その言葉に、思わず口を開く。
「別に、気味が悪いとは思わない」
振り返った顔は、少し驚いたようで。
それでも、すぐに視線を逸らして、逃げるように塔の中へ戻っていった。
♢♢♢♢♢♢♢♢
「姫は、小さい頃と変わりませんね」
思わず口にしていた。
アリスは不思議そうに首を傾げる。
「小さい頃……ですか。どこかでお会いしましたか?」
その問いに、ウィルはわずかに視線を外す。
「あぁ、いえ」
曖昧に返し、それ以上は続けなかった。
アリスも、それ以上は尋ねようとはしなかった。
わずかな沈黙が落ちる。
ウィルは視線を花壇へと戻した。
先ほどアリスが指していた鈴蘭の芽が、風に揺れている。
「……」
わずかに眉を寄せた。
何に引っかかっているのか、自分でも分からない。
ただ、鈴蘭の芽からしばらく目を離せなかった。



