不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


やはり――お願いしようと。

リリスは、もう決めていた。

アリスの様子を見ているうちに、その思いは少しずつ形になっていった。

庭で過ごす時間も、厨房での手伝いも、屋敷の皆と交わす何気ない言葉のやり取りも、どれも確かにアリスをこの場所に馴染ませていた。

それは間違いなかったし、実際に表情も柔らかくなっている。

ふとした瞬間に見せる笑顔も、以前より増えていた。

ただ一つだけ、気になることがあった。

夕方が近づく頃になると、アリスはソワソワと落ち着きがなくなる。

窓の外に視線を向けることが増え、手元の手芸の針がふと止まることもある。

けれど何も言わず、そのまま何事もなかったかのように振る舞う。

その日の夕食の時間になっても、屋敷の主人が戻ることはなかった。

最初から分かっていたかのように、アリスは一人で夕食をとる。

それを、リリスは知っていた。

屋敷の者たちは皆、丁寧に接してくれているし、アリスも最近は楽しそうに過ごしている。

それでも、リリスの中には拭えない思いが残っていた。

(――もっと、アリス様には何かを残して差し上げたい)

屋敷の主人であるウィルと言葉を交わす機会は、ほとんどない。

唯一といえば、先日、アリスが菓子を差し出したときくらいのものだ。

それも、ほんのわずかなやり取りで終わっている。

それでもアリスは頬を染めて嬉しそうだった。

だが、このままでは、ほんの少しの淡い思い出しか残らない。

いずれ、また塔へ戻ることになる。

そうなれば、ウィルと顔を合わせる機会など、ほとんどなくなるだろう。

だからこそ、今だけでも、せめて。

リリスは一度息を整え、その足をクララのもとへと向けた。


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クララは、いつものように穏やかな様子でリリスを迎えた。

「どうなさいましたか」

「アリス様のことで、少しお話がございます」

言いかけて、わずかに視線を落とす。

「いずれ、また私とだけの生活に戻られるのだと思いますので――その前に、少しでも、ウィル殿下との思い出を残して差し上げたいのです」

そこでリリスは言葉を切り、続けた。

「ウィル殿下に、アリス様のことを――少しだけお気にかけていただけますよう、お願いしてもよろしいでしょうか」

「……もちろん、お願いできる立場ではないことは承知しております。ですが……」

そこで、リリスは両手を握りしめた。

クララはしばらく何も言わず、リリスを見つめていた。

やがて、わずかに微笑む。

その表情は穏やかで、どこか先を見通しているようでもあった。

「よろしいかと存じます」

ただそれだけを、告げる。

クララが否と判断すれば、この話はここで終わりにするつもりだったが、
その言葉が返ってきたことで、リリスの中で一つの線が定まった。


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執務室の扉の前で、リリスは一度足を止めた。

わずかに足先が震える。

主人であるアリスを差し置いて、その侍女である自分が口にしてよいことではない。

そんなことは分かっていた。

それでも、リリスは一度息を整え、扉を叩いた。

「……入れ」

中からの声に、扉を開ける。

「失礼いたします」

室内へ入り、所定の位置で一礼する。

ウィルは手元の書類から顔を上げ、視線を向けた。

「どうした」

短い問いに、リリスはわずかに間を置く。

「……アリス様のことでお願いしたいことがあり、伺いました」

まっすぐに視線を上げる。

ウィルは眉をひそめ、「姫に何か」と返す。

リリスは一呼吸おいてから続けた。

「……僭越ながら申し上げます」

「せめてこの屋敷にいらっしゃる間だけでも、アリス様に少しでも接する時間を設けていただけたらと……」

一度言葉を切り、さらに続ける。

「もちろん、屋敷の皆様にはとても良くしていただき、深く感謝しております。ですが、塔へ戻られればウィル殿下ともお会いする機会は限られてしまうかと存じます」

わずかに視線を伏せる。

「ですから、ここにいらっしゃる間だけでも、どうかお願いできないでしょうか」

言い終えて、リリスは深く頭を下げた。

ウィルは、すぐには答えなかった。

言葉そのものよりも、目の前に立つリリスの隠しきれていない必死さに意識が向いていた。

――姫のため、か。

身分を越えて口にしたことを咎める気は毛頭ない。

ただ、その言葉が主人を思ってのものだということは、迷いなく伝わってきた。

そして、ふと思い当たる。

先日、アリスから菓子を受け取ったときのことを。

礼は述べたが、それ以上、言葉を交わすことはなかった。

それでも、彼女の笑みだけが妙に記憶に残り、ふとした拍子に思い出すことがあった。

ウィルは、短く息を吐いた。

「……わかった」

「ありがとうございます」

深々と頭を下げながら、その言葉に肩の力が抜ける。

その一言だけだったが、確かに何かが動き出した。