不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


ウィルの屋敷に来てから、2週間ほどが過ぎていた。

最初は、多くの人と共に過ごすことに慣れず、落ち着かない様子のアリスも、少しずつ、この場所での過ごし方を覚え始めていた。

クララからは、屋敷の使用人の多くが元騎士であり、屋敷の中は安全だと聞かされていた。そのため、人目のある場所であれば、ある程度自由にして構わないとも言われていた。

実際に過ごしてみると、思っていた以上に自由に動くことが許されていた。屋敷の者たちの落ち着いた様子や、さりげない気配りは、塔の護衛騎士たちのように自然なもので、少しずつ居心地の良さを感じ始めていた。

朝は、庭へ出るのが日課になっていた。

屋敷の庭は、塔の花壇よりもずっと広く、手入れをする場所も多い。

アリスはリリスと共に庭へ出て、使用人たちに教わりながら、花がらを摘み、伸びすぎた枝を整え、水をやるようになっていた。

「アリス様、こちらはもう大丈夫です。次はこの辺りをお願いできますか」

剪定ばさみを差し出したのは、元王宮の女性騎士だったイメルダだ。

庭の手入れを教えてくれたのもイメルダで、何かと気にかけてくれている。作業をしながら、五歳と三歳の子どもがいることも話してくれた。

「分かりました」

「無理はなさらないでくださいね」

「えぇ」

屋敷へ来た当初は、初対面の人々と並んで作業をすることに、少しだけ緊張していた。

けれど今は、その緊張も少しずつやわらいでいる。

庭の手入れや料理の手伝いをするうちに、声をかけられることが増えていった。

気を遣いすぎるでもなく、距離を置きすぎるでもなく、ただ当たり前のように接してくれる。そのことが、アリスはとても嬉しかった。

リリスはアリスの手伝いをしながら、侍女としての務めも欠かさずこなし、この屋敷での暮らしに馴染めるよう、さりげなく支えてくれていた。

昼前になると、別の仕事があるリリスと別れ、アリスは一度部屋へ戻って身支度を整え、それから厨房へ向かう。

厨房では、料理人のバラクが昼食の準備をしていた。

「今日は何をすればよろしいでしょうか」

「それでは、その豆をさやから出していただけますか。終わったら、そちらの芋の皮を薄くむいてください」

「はい」

バラクは穏やかな話し方をするため、アリスも気負わずに言葉を交わせていた。口数は多くないが、教え方はとても丁寧だった。

昼食の準備が一段落した頃になると、リリスがアリスの食事を部屋へ運んできてくれる。アリスは一度部屋へ戻って食事をとる。

普段はそのまま部屋で過ごすのだが、今日は再び厨房へ向かう。

少しだけ迷ってから、扉を押す。

バラクは、ちょうど片付けを進めているところだった。

「あの……」

声をかけると、バラクが手を止めて振り向く。

「どうされましたか」

アリスは小さく息をのみ、それから言葉を続けた。

「昼食のお片付けが終わりましたら、お台所と食材をお借りしてもよろしいでしょうか」

「構いませんが」

バラクはそう返しながら、わずかに首を傾げる。

「何か作られるのですか」

「はい。お菓子を作れればと……」

アリスは控えめに微笑んだ。

「皆さんに良くしていただいているので……少しでも、お返しができたらと思って」

その言葉に、バラクは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに穏やかに頷いた。

「そういうことでしたら、もちろん。必要なものがあれば言ってください。材料は揃えましょう」

それから、ふと思い出したように続ける。

「よろしければ、お手伝いしましょうか」

その申し出に、アリスは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

けれどすぐに、小さく首を振る。

「ありがとうございます。でも……」

少しだけ迷ってから、言葉を選ぶ。

「バラクさんにも差し上げたいので、リリスと一緒に作ろうかと思っていて」

バラクは一瞬だけ目を瞬かせ、それからわずかに口元を緩めた。

「……それは、楽しみにしております」

アリスはほっとしたように頷いた。

厨房を出ると、廊下でクララと出会う。

「まあ、何かご相談でも?」

「あの……皆様にお菓子を差し上げられたらと思いまして」

そう伝えると、クララはふっと表情を和らげた。

「それは、皆もきっと喜びますよ」

「そうでしょうか」

少し不安そうに言うアリスに、クララは穏やかに言葉を重ねる。

「アリス様が作られたお菓子ですから、喜ばない者はおりませんよ」

その言葉に、アリスは頬を少し染めた。

「そんな……でも、上手くできるように頑張ります」

クララは小さく頷きながら、その様子を温かく見守っていた。

その日の午後。

アリスは再び厨房に立ち、準備を始める。

しばらくして、リリスが合流した。

「遅くなりました、アリス様」

「私も今準備を始めたところよ」

2人で並んで作業を進めるうちに、甘い香りがゆっくりと広がっていく。

出来上がった菓子を皿に並べながら、アリスはふと手を止めた。

隣のリリスに、小さく声をかける。

「……ウィル様にも、お出ししたいのだけれど」

言いかけて、少しだけ視線を落とす。

「食べてもらえるかしら?」

リリスはわずかに目を細め、やわらかく答えた。

「大丈夫ですよ、きっと」

その言葉に、アリスは小さく頷いた。

それでも、少しだけ不安は残ったままだった。

ご迷惑にならないか。

それだけが、どうしても気にかかっていた。