不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった


ウィルは先に馬車を降り、手を差し出した。

「どうぞ」

その手にそっと触れ、アリスは馬車を降りる。

目の前に広がっていたのは、王宮とはまるで違う佇まいの屋敷だった。

大きすぎることもなく、華美でもない。

けれど、隅々まで整えられていて、どこにも無駄がない。

――ここが、ウィル様のお住まい。

そう思いながら、アリスはその場に立った。

「こちらです」

ウィルが短く言って歩き出す。

アリスは一歩遅れて、その後をついていった。

屋敷の扉の前には、すでに使用人たちが整列していた。

扉が開き、一歩、中へ足を踏み入れる。

外の空気とは違う、落ち着いた温度が広がっていた。

ウィルはそのまま歩みを進め、使用人たちの前で足を止めた。

「今、帰った。準備は問題ないか」

短い言葉だったが、その声音はわずかに柔らかかった。

「問題ございません、旦那様」

クララがすぐに答える。

「……すまないな、突然のことで」

ウィルが続ける。

「いえ、とんでもございません」

クララは迷いなく言い、テリーも静かにうなずいた。

そのやり取りを見ていて、アリスはふと気づく。

――ウィル様って、こういう表情もされるのね。

緊張感を残しつつも、わずかに目元が緩む。

どこか無理のない、自然な空気を感じた。

国王様と一緒にいたときにも、似た表情を見たことがあった。

信頼している相手にだけ向けるものなのだろう。

私には、これからも見せてはくださらないわね、きっと……。

分かりきっていることなのに、胸の奥がほんの少しだけ痛んだ。

「アリス様」

名前を呼ばれて、アリスははっと顔を上げる。

「うちの者たちを紹介します」

そう言って、ウィルがわずかに手で示した。

「メイド長のクララです」

クララが一歩前に出る。

「クララと申します。以後、お見知りおきを」

アリスは軽く膝を折る。

「アリス・ミルバーグでございます。よろしくお願いいたします」

クララはにこりと笑った。

「ようこそお越しくださいました、アリス様」

その隣で、穏やかな男性が一礼する。

「執事長のテリーと申します」

落ち着いた声だった。

「屋敷のことはすべて我々が取り仕切りますので、どうぞご安心ください」

「突然のことで……ご迷惑をおかけします」

アリスは小さく頭を下げた。

「ご迷惑などとんでもございません。どうぞ、ゆっくりお過ごしくださいませ」

クララはアリスの様子を一目で見て取った。

わずかに赤い目元に、張りつめたままの気配。

それを察し、やわらかく微笑む。

「まずはお部屋でお休みくださいませ。ご案内いたします」

クララの後について、アリスは屋敷の奥へと進んだ。

途中で階段を上がる。

二階に上がると、人の気配がすっと遠のいた。

さらに奥へ進むにつれ、静けさが深くなっていく。

「こちらでございます」

扉の前で足が止まる。

開かれた部屋は、過ごしやすいよう整えられた客間だった。

広すぎることはないが、必要なものはすべて揃っている。

余計な装飾はなく、落ち着いた色合いでまとめられていた。

窓からは庭が見える。

やわらかな光が差し込み、部屋全体を静かに照らしていた。

「ごゆっくりお休みくださいませ」

クララがやさしく言う。

「何かございましたら、すぐにお呼びください」

アリスがうなずくと、クララはそれ以上踏み込まず、静かに身を引いた。

扉が静かに閉まる。

――――――――――

一人になった瞬間、大きくため息をついた。

ウィル様の前で泣いてしまうなんて、私、何をやっているのかしら……。

もちろん、全然気にされていない様子だった。

そもそも、私に興味なんてないのだから、何とも思われていないわよね。

それでも、自分が許せなかった。

決めていたはずなのに。

――心を許されていない相手に、弱みを見せない。

それが、ずっと守ってきた決まりだった。

それなのに、あんなふうに涙を見せてしまうなんて。

弱さを見せれば、人は無意識に優しくなるから。

必要なこと以外、ほとんど言葉をかけることのなかったウィル様が、あんなふうに強い口調で話されるなんて――。

お兄様のことがあったとはいえ、きっと無意識が働いたのだろう。

ウィル様は、基本的にとても優しい方なのだと思う。

塔での生活が過ごしやすかったのも、ウィル様が手配して下さったからなのだと国王様もおっしゃっていた。

守り紐も、なぜかまだ持っていてくださるし。

だからこそ――その優しさに、つけ込んではダメよね。

それだけは、絶対に。