こうして四月と五月が過ぎた。
女がまったく回復しないので、尼君は山に籠っている兄僧都にお手紙をお書きになった。
「どうか下山なさって、この人のためにお祈りをしてあげてください。こんな状態でも生きつづけているということは、死ぬ運命ではない人なのでしょう。しつこい妖怪が憑りついているだけのように思われます。兄君が尊い修行中ということは存じておりますが、華やかな都へ出るならともかく、麓まで下りるくらいは仏様もお許しくださるのでは」
切実そうなお手紙に僧都は同情なさる。
<まだ生きているとはたしかに不思議だ。ひどい容態だったから、すぐに死んでしまうと思っていた。私が見つけたのも何かの縁だろう。できるだけやってみようか。もし助けられなければ、それがあの人の寿命だったと思えばよい>
僧都が小野の家にやって来ると、尼君は兄を拝むようにしておよろこびになった。
このふた月の様子を泣きながらお聞かせなさる。
「長く寝たきりでいると見た目がどんどん汚くなるものですが、まったくそんなことはないのです。あいかわらずお美しくて、ただ弱々しく寝ていらっしゃいます」
「この人は最初から何もかもふつうとは違ったからな」
僧都は女の顔を覗きこまれる。
「本当にすばらしい美人だ。前世でよほど徳を積んだに違いない。それがどうしてこんなことになっているのだろう。行方不明になった女の噂などは聞いていないか」
「まったく何も。だって兄君、この人は長谷寺の観音様が私に授けてくださった人ですもの」
「観音様は何でもかんでも願いを叶えてくださるわけではないよ。それだけの理由と縁がそろわなければ」
観音様のお導きだと信じたい妹の気持ちも分かるけれど、僧都としてはどうにも腑に落ちない。
不思議に思いながらもお祈りを始めなさった。
僧都は普段、朝廷から仕事で呼ばれても「山に籠って修行中ですので」とお断りになる。
それなのに、こんな素性の知れない女のために山を下りてお祈りしていると噂になれば、立場が悪くなってしまわれる。
弟子たちは心配してあれこれ申し上げた。
「そう騒ぐな。私はたいして真面目な僧ではないが、これまで女のことで問題を起こしたことはない。六十を過ぎた今になって女と噂が立つなら、それはもうそういう運命だったのだと諦めるしかない」
あっけらかんとした僧都の態度に弟子たちは納得できない。
「わざと悪い噂を立てる人だっているだろう。すばらしい僧都様だというのに、もしお名前が汚れれば仏教界全体の損失だ」
僧都のためを思ってぶつぶつ文句を言う。
ところが僧都は、
「今から私は全力でこの人のためにお祈りをします。もし失敗したら潔く引退しましょう」
などと、とんでもないことを仏様にお誓いになった。
一晩中お祈りを続けなさる。
すると、これまでまったく現れなかった妖怪が大声でわめきはじめた。
「あぁ、苦しい。もう許してくれ。こんなところまで来るつもりはなかったのだ。
ほんの少しこの世に未練を残して死んで、成仏できずにさまよっていたら、宇治の八の宮様の山荘にたどり着いた。大君という人は憑りつくとすぐに殺せたので、次に憑りつく相手を探していたところ、新しくやって来たこの女性は、しばらくするとなぜか死にたいと願うようになったのだ。ちょうどよかったから、夜一人で外にいるところに憑りついた。
しかしこの女性は殺せなかった。観音様に厳重に守られている。きっと何度も長谷寺にお参りしたのだろう。その上、立派な僧都様にお祈りされては敵わない。もう出ていく」
「名を名乗れ」
と僧都は問いただしなさったけれど、妖怪はそれ以上答えなかった。
女がまったく回復しないので、尼君は山に籠っている兄僧都にお手紙をお書きになった。
「どうか下山なさって、この人のためにお祈りをしてあげてください。こんな状態でも生きつづけているということは、死ぬ運命ではない人なのでしょう。しつこい妖怪が憑りついているだけのように思われます。兄君が尊い修行中ということは存じておりますが、華やかな都へ出るならともかく、麓まで下りるくらいは仏様もお許しくださるのでは」
切実そうなお手紙に僧都は同情なさる。
<まだ生きているとはたしかに不思議だ。ひどい容態だったから、すぐに死んでしまうと思っていた。私が見つけたのも何かの縁だろう。できるだけやってみようか。もし助けられなければ、それがあの人の寿命だったと思えばよい>
僧都が小野の家にやって来ると、尼君は兄を拝むようにしておよろこびになった。
このふた月の様子を泣きながらお聞かせなさる。
「長く寝たきりでいると見た目がどんどん汚くなるものですが、まったくそんなことはないのです。あいかわらずお美しくて、ただ弱々しく寝ていらっしゃいます」
「この人は最初から何もかもふつうとは違ったからな」
僧都は女の顔を覗きこまれる。
「本当にすばらしい美人だ。前世でよほど徳を積んだに違いない。それがどうしてこんなことになっているのだろう。行方不明になった女の噂などは聞いていないか」
「まったく何も。だって兄君、この人は長谷寺の観音様が私に授けてくださった人ですもの」
「観音様は何でもかんでも願いを叶えてくださるわけではないよ。それだけの理由と縁がそろわなければ」
観音様のお導きだと信じたい妹の気持ちも分かるけれど、僧都としてはどうにも腑に落ちない。
不思議に思いながらもお祈りを始めなさった。
僧都は普段、朝廷から仕事で呼ばれても「山に籠って修行中ですので」とお断りになる。
それなのに、こんな素性の知れない女のために山を下りてお祈りしていると噂になれば、立場が悪くなってしまわれる。
弟子たちは心配してあれこれ申し上げた。
「そう騒ぐな。私はたいして真面目な僧ではないが、これまで女のことで問題を起こしたことはない。六十を過ぎた今になって女と噂が立つなら、それはもうそういう運命だったのだと諦めるしかない」
あっけらかんとした僧都の態度に弟子たちは納得できない。
「わざと悪い噂を立てる人だっているだろう。すばらしい僧都様だというのに、もしお名前が汚れれば仏教界全体の損失だ」
僧都のためを思ってぶつぶつ文句を言う。
ところが僧都は、
「今から私は全力でこの人のためにお祈りをします。もし失敗したら潔く引退しましょう」
などと、とんでもないことを仏様にお誓いになった。
一晩中お祈りを続けなさる。
すると、これまでまったく現れなかった妖怪が大声でわめきはじめた。
「あぁ、苦しい。もう許してくれ。こんなところまで来るつもりはなかったのだ。
ほんの少しこの世に未練を残して死んで、成仏できずにさまよっていたら、宇治の八の宮様の山荘にたどり着いた。大君という人は憑りつくとすぐに殺せたので、次に憑りつく相手を探していたところ、新しくやって来たこの女性は、しばらくするとなぜか死にたいと願うようになったのだ。ちょうどよかったから、夜一人で外にいるところに憑りついた。
しかしこの女性は殺せなかった。観音様に厳重に守られている。きっと何度も長谷寺にお参りしたのだろう。その上、立派な僧都様にお祈りされては敵わない。もう出ていく」
「名を名乗れ」
と僧都は問いただしなさったけれど、妖怪はそれ以上答えなかった。



