野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)

行ってみると、宇治(うじ)(いん)はひどく荒れて恐ろしいところだった。
僧都(そうづ)()()けのために弟子(でし)にお(きょう)を読ませなさる。
何か気になることがあったのか、弟子のひとりがお(とも)(あか)りを持たせて建物の後ろを見にいった。
めったに人が近づかない場所で、まるで森のような大木(たいぼく)がある。

ぞっとしながら弟子があたりを見回すと、大木の根元に白い物が広がっている。
「あれは何だ」
何かが座りこんだような姿が灯りに照らされる。
(きつね)妖怪(ようかい)でございましょう。うっとうしい。よく見てまいります」
お供は灯りを持って近づいていく。
「やめておきなさい、危険だ」
止めても聞かないから、弟子はその場で魔除けのおまじないをしながら見守った。

怖いもの知らずのお供は、何も気にせず()き進んでいく。
そばで見てみると妖怪らしきものにはつやつやとした長い髪があった。
木の根元に寄りかかってひどく泣いている。
「めずらしいこともあるものだな。僧都様にお知らせしよう」
弟子が呼びにいくと、
「狐が人に()けるというのはよく聞くが、私はまだ見たことがない」
と言いながら僧都は出ていらっしゃった。

下働きの者たちは食事の用意などにかかりきりになっている。
もうすぐ(おお)尼君(あまぎみ)たちも到着なさるから、急がないといけない。
建物の裏の方はひっそりとしていて、僧都をはじめ四、五人の僧侶(そうりょ)だけで妖怪を見つめる。
しばらくそのまま観察していたけれど、とくに変化はない。

夜が明けると僧都はこれは人間だとお(さと)りになった。
「妖怪ではない。そばへ行って尋ねてみよ。死んではいないようだ。死んだと思ってここに捨てられた人が、生き返ったのかもしれない」
「いくら荒れているとはいえ、ここは恐れ多い宇治の院でございます。死人を捨てるなどということがありましょうか。人間だとしても、狐などが()りついてどこかから連れてきたのでしょう。困りましたね。こういう不吉(ふきつ)なものがいては、大尼君のお具合がよけいに悪くなってしまうのでは」
弟子は心配しながら言うと、とりあえず先ほどの留守番の老人を呼んだ。

食事の支度(したく)で大忙しのなか呼び出された老人は、烏帽子(えぼし)がずれたままやって来た。
「この若い女性は宇治の院にお住まいの人か。先ほどからずっとここでうずくまって泣いているのだが」
弟子が尋ねると、老人は慣れた様子で答える。
「あぁ、これは狐の仕業(しわざ)でございますな。この木の根元では、ときどき(みょう)なことが起きるのです。一昨年(おととし)の秋も、院で働く人の子どもがいなくなって、ここで見つかりました。とくにめずらしいことではございません」
「その子どもは死んでいたのか」
「いいえ、生きておりました。いたずらな狐ですが、たいして悪いことはいたしませんので」
老人はそれよりも台所が気になっている。

「この者の言うとおりかどうか、確かめてまいれ」
僧都は怖いもの知らずのお供にお命じになった。
(おに)か神か狐か、正体が何であろうと、ご立派な僧都様がいらっしゃるのだから(かく)れることはできないぞ。さぁ、名乗れ、名乗れ」
お供が着物をはぎ取ろうとすると、女は顔を着物に引き入れてますます泣く。

往生(おうじょう)(ぎわ)の悪いやつめ、いつまで隠れようとするのだ」
さすがに気味悪くなってきたけれど、お供は頼りがいのあるところを僧都にお見せしようと、勇気を出して着物を引っ張る。
すると女はうつ伏し、激しく泣いた。

あまりに奇妙(きみょう)すぎる。
正体を()き止めたいけれど、雨が降りはじめた。
「ひどい雨になりそうだ。このままにしておいたら死んでしまうだろう」
縁起(えんぎ)が悪い。いっそ院の敷地(しきち)の外に出してしまうか」