野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)

僧都(そうづ)女君(おんなぎみ)の部屋の近くへ行って、
「こちらにいらっしゃいますか」
と声をおかけになる。
男性と話すのは気が引けるけれど、ここはきちんとお願いしなければいけない。
ついたて越しにお返事すると、僧都は挨拶(あいさつ)なさった。

「あなたのお世話を母や妹に(まか)せて山に戻りましたが、ずっとあなたのためのお祈りは続けておりましたよ。我々が(めぐ)りあったのも何かの(えん)でしょうからね。とはいえ、たいした用事もないのに僧侶(そうりょ)(ぞく)世間(せけん)と関わってはいけませんから、お手紙も差し上げずにおりました。
あれからいかがお過ごしですか。こんな(さみ)しいところで(とし)()いた(あま)たちに囲まれて」

「死ねずに生きながらえていることはつらいのですが、僧都様のご親切には感謝しております。それでもやはり、私はこの世で生きることに向いておらず、きっと命は短いと思うのです。どうか尼にしてくださいませ。このまま俗世間におりましても、人並みに結婚して長生きする未来などございませんから」

「まだお若いのにどうしてそこまで思いつめなさるのです。この先の人生、尼としての(さみ)しい暮らしに()えられますか。俗世間に未練(みれん)が残っていて修行(しゅぎょう)に集中できないとなれば、かえって(ばち)当たりです。今は固い決心だと思っておられるかもしれませんが、年月が()てばどうでしょう。特に女性は後悔したり問題を起こしたりしがちなのですよ」

「この思いつめてしまう性格は生まれつきなのです。親も『尼にした方がよいのだろうか』と困っておりました。大人になってこの世のつらさが分かるようになりますと、もう結婚などは(のぞ)まないから来世(らいせ)の幸せを祈りたいと思うようになりました。近ごろは命の終わりが近づいているのでしょうか、気持ちが弱っていくばかりです。これほどの状態ですから、どうか出家させてくださいませ」
浮舟(うきふね)(きみ)は泣きながらお願いする。

<こんなに美しい人なのに、どうして死にたいなどと思うようになったのだ。この人に()りついていた妖怪(ようかい)も、自殺願望(がんぼう)があったから憑りついたというようなことを言っていた。何か深い理由があって、死ねないのならせめて出家したいと思っているのだろう。
宇治(うじ)(いん)で我々が助けなければ、とっくに死んでいた人なのだ。一度妖怪に見つかってしまったのだから、もしかしたらまた(ねら)われるかもしれない>
出家させてやろうかと僧都はお思いになる。

「何はともあれ、出家を決心なさったのは立派なことです。仏様もおほめになりましょう。僧侶(そうりょ)分際(ぶんざい)で反対できることではありません。出家の儀式(ぎしき)自体はすぐにできるものですが、私は(おんな)(いち)(みや)様のお祈りのために下山(げざん)したところなのです。今夜参内(さんだい)して、明日から七日間のお祈りを始めます。それが済んで戻ってきたときに儀式をしてあげましょう」

浮舟の君はそれを待つわけにはいかない。
<そのころには尼君(あまぎみ)がお帰りになっている。きっと反対されてしまう>
どうしても今日でなければと、僧都を引きとめる。
「妖怪が憑りついていたときと同じような心地がするのです。今もとても苦しいのですが、もっとひどくなって正気を失えば、出家させていただいたかどうかも分からなくなってしまいます。今日僧都様にお目にかかれたことが、本当にうれしくありがたいと思っておりましたのに」
と言ってひどく泣くので、僧都は同情なさる。

「すっかり夜も()けましたな。都までの道のりなど昔はどうともなかったが、年を取るほどつらくなってまいりましてね。山を下りたところで一休みするために立ち寄ったのだが、それほどお急ぎなら、これから儀式をいたしましょう」