野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)

しばらくすると山のお寺から僧都(そうづ)弟子(でし)たちがやって来た。
「今日、僧都様が下山(げざん)なさいます」
と言う。
「どうして突然」
と尋ねた女房(にょうぼう)に、弟子は得意(とくい)(がお)で答えた。
(おんな)(いち)(みや)様がご病気なので、都までお祈りにいかれるのです。今も比叡(ひえい)(ざん)で一番お(えら)い方がお祈りなさっていますが、やはり僧都様がいらっしゃらないと駄目(だめ)だということになりましてね。昨夜ご催促(さいそく)があったのです。
夕霧(ゆうぎり)大臣(だいじん)様のご子息(しそく)が、中宮(ちゅうぐう)様からのお手紙を持っていらっしゃったのですよ。中宮様から()()しのご依頼では、さすがの僧都様も断ることなどおできになりませんからね」

(おお)尼君(あまぎみ)のお部屋で聞き耳を立てていた浮舟(うきふね)(きみ)は、はっとする。
<僧都様はきっとこの家にお立ち寄りになる。お目にかかって(あま)にしていただこう。尼君がお留守の今ならちょうどよい>
そう決めると、大尼君に伝言をお願いした。
「体調がずいぶん悪いものですから、僧都様がお越しになったら、出家(しゅっけ)儀式(ぎしき)をしていただきたいのです。大尼君からそのようにお伝えください」
と言うと、聞こえているのかいないのか、大尼君はにこにことうなずかれた。

とりあえず浮舟の君は自分の部屋に戻る。
長い(かみ)(さわ)りながら、
<もうすぐばっさりと切っていただくのだ。その前にもう一度、この姿を母君(ははぎみ)にお見せしたかった。もしいつかお会いできたとしても、私は尼姿(あますがた)なのか>
と悲しい。

長い間ひどい病気だったので、髪の量が減ったような気がするけれど、まったくそんなことはない。
あいかわらず豊かで、長い髪の毛先はとても美しくて乱れてもいない。
「母君はよく私の髪を()でてくださった。その髪をばっさり切って尼になるのだ。母君のご愛情を裏切ってしまう」
とひとりでつぶやいた。

夕暮れ頃に僧都はお越しになった。
母親である大尼君にご挨拶(あいさつ)なさる。
「近ごろお具合はいかがですか。妹は長谷(はせ)(でら)へお参りに出かけたそうですね。宇治(うじ)(いん)で助けた女性はどうなりました。今もこちらにいらっしゃるのですか」
「ええ、こちらにおいでですよ。体調が悪いから、あなたの手で出家させてほしいとおっしゃっていました」
大尼君は浮舟の君からの伝言をきちんと伝えてくださった。