野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)

尼君(あまぎみ)浮舟(うきふね)(きみ)にご注意なさる。
「そんなふうではいけませんよ。少しでもお返事なさいませ。都ならそのご態度も(おく)ゆかしくてよいかもしれませんが、ここは田舎(いなか)ですからね。気どっていると思われてしまうだけです」
「そうおっしゃいましても、私は男の人との話し方を知りませんもの。きっとつまらない女だと(あき)れられてしまいます」

女君(おんなぎみ)は出てくるどころか返事さえしないので、中将(ちゅうじょう)様は(うら)(ごと)をおっしゃった。
義母君(ははぎみ)を信頼してお願いしておりますのに。また秋露(あきつゆ)()れながら帰っていかなければならないのですね」
中将(ちゅうじょう)様に同情した尼君は、
「これではお気の毒です。せめて一言(ひとこと)でも」
とお責めになるけれど、浮舟の君は(だま)りこむ。

男性と気軽に話をするのも嫌だし、一度お返事をしてしまったら、中将様がお越しになるたびにお相手をすることになるもの。
でも、そういう理由を説明することもしないから、尼君も女房(にょうぼう)たちもただただ残念に思う。
尼君は、若いころは都で風流(ふうりゅう)な恋愛を楽しんだ人なの。
当時を思い出して、浮舟の君になりきったお返事を作ってしまった。
「『ここへお越しになったせいで秋露に濡れたというわけではございませんでしょう。ご用事のついでにお立ち寄りになっただけなのですから、どうせ濡れてしまわれたはずです』とおっしゃいました。私を(うら)まれても困る、というご様子で」

<私が生きていることが世間に知られていく。あぁ、嫌だ>
浮舟の君はつらく思っているけれど、尼君も女房たちも中将様の味方なの。
「無理やりなことをなさる方ではありませんよ。結婚するしないはひとまず置いておいて、お返事くらいは優しくしておあげになっては」
と口々に(すす)める。

(あま)なのに(うわ)ついたところのある女房たちだから、浮舟の君は心配になる。
もしかすると中将様を寝室に手引きするかもしれない。
<私は生まれつき不幸なのだと分かっていたけれど、(のぞ)みどおりに死んでしまうこともできなかった。これからどうなっていくのだろう。世間から忘れ去られたままでいたいのに>

中将様はがっかりなさって、切なそうに(ふえ)をお吹きになる。
山里(やまざと)はとくに秋が(もの)(さみ)しいというけれど、本当にそうだ」
と独り言をおっしゃるお姿は、たしかに優雅な感じがする。
「ここは(とうと)比叡(ひえい)(ざん)(ふもと)ですから、この世のつらさを忘れられる場所かと思いきや、そうでもありませんね。亡くなった妻を思い出すだけでなく、新しい恋にまで苦しむようになってしまった」

(うら)めしそうに帰ろうとなさるのを、尼君はお引きとめになった。
「今夜はよい月ですよ。見ていかれませんか」
「あれほど冷たくされてはとても」
苦笑して中将様はおっしゃる。
<あまり好色(こうしょく)なように思われては恥ずかしい。ちらりと見た姿は話し相手にちょうどよさそうな感じだったが、あまりに内気(うちき)すぎる。こんな山里で深窓(しんそう)の姫君のように振舞っているなんて>

中将様に帰ってほしくない尼君は、また浮舟の君の言葉をそれらしくお作りになった。
「『()()けの月の美しさにご興味はないのでしょうか。すぐそばの山に(しず)んでいくのですけれど』と、姫君もおっしゃっていますよ」
中将様はまんまとだまされて、お心がときめく。
「それでは月が沈むまでここで(なが)めておりましょう。月の光のように私も姫君のお部屋へ入れていただけるでしょうか」
女房を通じてこんなことをおっしゃっていると、奥から(おお)尼君(あまぎみ)が出ていらっしゃった。
笛の音が聞こえたようで、うれしそうにそわそわなさっている。