野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)

翌日、山をお下りになった中将(ちゅうじょう)様は、また小野(おの)の家にお寄りになった。
中将様が婿君(むこぎみ)としてお通いになっていたころのように、女房(にょうぼう)たちがお世話をする。
尼君(あまぎみ)は昔を思い出して、昨日以上に悲しそうになさっている。
「あの(かく)していらっしゃる女性はどなたなのですか」
お尋ねするなら今だろうと、中将様はおっしゃった。

尼君は少しためらわれたけれど、
<見つけてしまわれたのだ。とぼけるわけにもいかない>
とお思いになる。
「亡くなった娘をいつまでも恋しがっていては仏様がお怒りになりますから、その代わりにここ何か月かお世話している人なのです。どんな事情があるのか、ひどく物思いなさって、世間に知られることを怖れていらっしゃいます。こんな田舎(いなか)にお連れすれば見つかるはずはないと思っておりましたが、どこでお聞きになったのですか」

「亡き姫君(ひめぎみ)の代わりと思っておいでなら、ますます私には教えてくださってもよろしいでしょう。その人はどうして世間から隠れていらっしゃるのですか。私に(なぐさ)めさせていただけませんか」
まずはお手紙をお書きになる。
「他の男になびかないでください。私がお守りいたしましょう」
女房が浮舟(うきふね)(きみ)に届けると、尼君も一緒にご覧になった。

「お返事をお書きなさいな。落ち着いた男性ですから、すぐにどうこうはなさいません。安心してよいのですよ」
尼君が優しく(すす)めても、浮舟の君はまったくそのつもりはない。
「字が下手ですもの、とても書けません」
仕方なく尼君が代わりにお書きになる。
「お返事は書けないとおっしゃいます。やはり世間に慣れていない人ですので。ひょんなことでこの家にお連れしましたが、まだ男性との交流はお考えになれないのでしょう」
最初のお手紙だから、お返事が本人からでなくてもおかしくはない。
まして事情を考えれば仕方ないだろうと中将様は納得してお帰りになった。