尼君の一人娘の婿君だった人は、今は中将というお役職に出世なさっている。
中将様の弟君は出家して、僧都のお弟子でいらっしゃるわ。
僧都と一緒に山で修行なさっているから、中将様はときどき弟君に会いに行かれる。
小野の家はちょうど登山口のそばにある。
山に登る前に、今日はひさしぶりにお立ち寄りになった。
にぎやかな一行が近づいてきて、上品な男性が家に入るところを浮舟の君はこっそり見ていた。
薫の君のご様子を鮮やかに思い出す。
宇治の山荘と同じように寂しい家だけれど、住んでいる人たちは品がよく、庭の花も風情がある。
そこへお若い中将様とお供たちが入っていらしたから、家は一気に明るくなった。
中将様は二十代後半。
ちょうど薫の君と同じくらいのお年で、落ち着いて堂々となさった人よ。
尼君はついたて越しにお会いになった。
「次はいつお越しくださるだろうかと心待ちにしておりました。娘が亡くなってもう何年も経ちますから、いつまでもあなた様を頼りにしてはいけないと分かっているのですけれど」
「亡き妻のことはいつまでも忘れられませんが、こちらは静かに修行なさっているお屋敷ですから、つい遠慮してご無沙汰してしまいました。出家した弟がうらやましくて山へはよく登るのですが、ぞろぞろと供を連れてこちらへ寄ってはご迷惑かと。今日はそういう者たちは置いてまいりました。義母君と静かにお話ができます」
「出家をうらやましいと気軽にお思いになるのは、近ごろの若い人たちの流行でしょうか。古い考えの私には理解しにくうございますけれど。それでもあなた様は昔のことをいつまでも忘れずにいてくださいます。そういうところは古風でいらっしゃると、ありがたく思っておりますよ」
尼君はそう言うと、中将様とお供にちょっとしたお食事をお出しになった。
奥様が生きていらしたころを思い出して、中将様は遠慮なくくつろがれる。
雨が降りはじめたので、やむまでゆったりとお話をしていかれるの。
<姫が亡くなってしまったことは仕方がないけれど、このご立派な婿君との縁が切れてしまうのは悲しい。どうして姫は忘れ形見の子どもを遺してくれなかったのだろう>
尼君は中将様がたまにお越しになったことが、うれしくも悲しくもある。
積もるお話をたくさんなさったでしょうね。
浮舟の君はその気配を遠くに感じながら、こちらはこちらで昔を思い出している。
尼君から与えられた着物は質素で地味だけれど、かえって浮舟の君の美しさを引き立てる。
女房たちは、
「まるで姫様が生き返りなさったようですね。ちょうど中将様がお越しになっているから、いっそうそんな気がいたします。どうせならおふたりがご結婚なさったらよろしいのに。きっとお似合いでしょう」
と口々に言う。
<結婚だなんてまた嫌なことを。昔のあれこれを思い出してしまう。男女の面倒事とはもう一生無縁でいたいのに>
また俗世間に引きずりこまれそうで、浮舟の君はぞっとする。
尼君が少し席を外されると、中将様は女房に話しかけなさった。
「都のお屋敷では、あなたたちが我々夫婦の世話をしてくれましたね。みんな義母君と一緒にこちらに移ったようだから、たまには顔を見せにいかなければと思いながらも、つい足が遠のいてしまっていた。恩知らずな婿だと思っているでしょう」
女房は亡くなった姫君と中将様が仲睦まじかったことを思い出して、懐かしいお話をいくつかする。
それでふと思い出したように中将様はおっしゃった。
「このお屋敷に入ってきたとき、風で簾が揺れて、美しい女性の姿がちらりと見えてしまったのです。どなたかいらっしゃっているのですか。お髪が長かったから、出家している人ではなかったようだけれど」
これはよい機会かもしれないと女房は思う。
<あの美しい姫君をご覧になったのだ。お会いになればきっと少将様はお気に召すだろう。亡くなった姫様は、正直なところあれほどのお美しさではなかったけれど、それでもこんなに思いつづけていらっしゃるくらいだもの>
勝手にお節介して、ほのめかすようなことを申し上げた。
「尼君が偶然お見つけになった人なのです。亡き姫様の代わりとして熱心にお世話なさっています」
中将様はお心が惹かれる。
「どのような人なのですか。本当に美しい人だった」
ちらりとご覧になっただけだから、よけいに気になってしまわれる。
細かくお尋ねになるけれど、女房ははっきりとは言わず、
「きっと自然にお耳に入りましょう」
とだけお返事した。
中将様はさすがに遠慮なさって、雨がやんだのをきっかけにお帰りになる。
庭へお下りになると女郎花を一枝折って、
「尼君ばかりの家にどうして若く美しい人がいるのだろう」
とつぶやかれた。
女房たちはそのお姿にため息をつく。
「ますますご立派におなりですね。また婿君としてこちらにお通いくださらないかしら」
尼君も、
「ご再婚なさったけれど、新しい奥様にはあまり満足していらっしゃらないようよ」
と同意なさる。
それから浮舟の君に向かっておっしゃった。
「あなたも新しい人生を考えてはいかがですか。いつまでも私を頼ってくれないのが悲しい。私の娘になったと思って、もう朗らかになさってちょうだい。亡き娘をずっと恋しく思っていたけれど、あなたに巡りあってから、その気持ちがすっと収まったのですよ。きっとあなたのご両親も、あなたのいない生活にそろそろ慣れてきていらっしゃるでしょう。誰の心も変わっていくものですからね」
浮舟の君は涙ぐむ。
「あなた様を嫌っているわけではありません。むしろ今の私には唯一頼りにできるお方です。本当は死ぬはずでしたから、生きているといっても、これまでとは別の世界のような気がいたします。この世界ではあなた様だけが頼りなのです」
いかにも素直そうに言うので、尼君は困りながらも微笑まれる。
中将様の弟君は出家して、僧都のお弟子でいらっしゃるわ。
僧都と一緒に山で修行なさっているから、中将様はときどき弟君に会いに行かれる。
小野の家はちょうど登山口のそばにある。
山に登る前に、今日はひさしぶりにお立ち寄りになった。
にぎやかな一行が近づいてきて、上品な男性が家に入るところを浮舟の君はこっそり見ていた。
薫の君のご様子を鮮やかに思い出す。
宇治の山荘と同じように寂しい家だけれど、住んでいる人たちは品がよく、庭の花も風情がある。
そこへお若い中将様とお供たちが入っていらしたから、家は一気に明るくなった。
中将様は二十代後半。
ちょうど薫の君と同じくらいのお年で、落ち着いて堂々となさった人よ。
尼君はついたて越しにお会いになった。
「次はいつお越しくださるだろうかと心待ちにしておりました。娘が亡くなってもう何年も経ちますから、いつまでもあなた様を頼りにしてはいけないと分かっているのですけれど」
「亡き妻のことはいつまでも忘れられませんが、こちらは静かに修行なさっているお屋敷ですから、つい遠慮してご無沙汰してしまいました。出家した弟がうらやましくて山へはよく登るのですが、ぞろぞろと供を連れてこちらへ寄ってはご迷惑かと。今日はそういう者たちは置いてまいりました。義母君と静かにお話ができます」
「出家をうらやましいと気軽にお思いになるのは、近ごろの若い人たちの流行でしょうか。古い考えの私には理解しにくうございますけれど。それでもあなた様は昔のことをいつまでも忘れずにいてくださいます。そういうところは古風でいらっしゃると、ありがたく思っておりますよ」
尼君はそう言うと、中将様とお供にちょっとしたお食事をお出しになった。
奥様が生きていらしたころを思い出して、中将様は遠慮なくくつろがれる。
雨が降りはじめたので、やむまでゆったりとお話をしていかれるの。
<姫が亡くなってしまったことは仕方がないけれど、このご立派な婿君との縁が切れてしまうのは悲しい。どうして姫は忘れ形見の子どもを遺してくれなかったのだろう>
尼君は中将様がたまにお越しになったことが、うれしくも悲しくもある。
積もるお話をたくさんなさったでしょうね。
浮舟の君はその気配を遠くに感じながら、こちらはこちらで昔を思い出している。
尼君から与えられた着物は質素で地味だけれど、かえって浮舟の君の美しさを引き立てる。
女房たちは、
「まるで姫様が生き返りなさったようですね。ちょうど中将様がお越しになっているから、いっそうそんな気がいたします。どうせならおふたりがご結婚なさったらよろしいのに。きっとお似合いでしょう」
と口々に言う。
<結婚だなんてまた嫌なことを。昔のあれこれを思い出してしまう。男女の面倒事とはもう一生無縁でいたいのに>
また俗世間に引きずりこまれそうで、浮舟の君はぞっとする。
尼君が少し席を外されると、中将様は女房に話しかけなさった。
「都のお屋敷では、あなたたちが我々夫婦の世話をしてくれましたね。みんな義母君と一緒にこちらに移ったようだから、たまには顔を見せにいかなければと思いながらも、つい足が遠のいてしまっていた。恩知らずな婿だと思っているでしょう」
女房は亡くなった姫君と中将様が仲睦まじかったことを思い出して、懐かしいお話をいくつかする。
それでふと思い出したように中将様はおっしゃった。
「このお屋敷に入ってきたとき、風で簾が揺れて、美しい女性の姿がちらりと見えてしまったのです。どなたかいらっしゃっているのですか。お髪が長かったから、出家している人ではなかったようだけれど」
これはよい機会かもしれないと女房は思う。
<あの美しい姫君をご覧になったのだ。お会いになればきっと少将様はお気に召すだろう。亡くなった姫様は、正直なところあれほどのお美しさではなかったけれど、それでもこんなに思いつづけていらっしゃるくらいだもの>
勝手にお節介して、ほのめかすようなことを申し上げた。
「尼君が偶然お見つけになった人なのです。亡き姫様の代わりとして熱心にお世話なさっています」
中将様はお心が惹かれる。
「どのような人なのですか。本当に美しい人だった」
ちらりとご覧になっただけだから、よけいに気になってしまわれる。
細かくお尋ねになるけれど、女房ははっきりとは言わず、
「きっと自然にお耳に入りましょう」
とだけお返事した。
中将様はさすがに遠慮なさって、雨がやんだのをきっかけにお帰りになる。
庭へお下りになると女郎花を一枝折って、
「尼君ばかりの家にどうして若く美しい人がいるのだろう」
とつぶやかれた。
女房たちはそのお姿にため息をつく。
「ますますご立派におなりですね。また婿君としてこちらにお通いくださらないかしら」
尼君も、
「ご再婚なさったけれど、新しい奥様にはあまり満足していらっしゃらないようよ」
と同意なさる。
それから浮舟の君に向かっておっしゃった。
「あなたも新しい人生を考えてはいかがですか。いつまでも私を頼ってくれないのが悲しい。私の娘になったと思って、もう朗らかになさってちょうだい。亡き娘をずっと恋しく思っていたけれど、あなたに巡りあってから、その気持ちがすっと収まったのですよ。きっとあなたのご両親も、あなたのいない生活にそろそろ慣れてきていらっしゃるでしょう。誰の心も変わっていくものですからね」
浮舟の君は涙ぐむ。
「あなた様を嫌っているわけではありません。むしろ今の私には唯一頼りにできるお方です。本当は死ぬはずでしたから、生きているといっても、これまでとは別の世界のような気がいたします。この世界ではあなた様だけが頼りなのです」
いかにも素直そうに言うので、尼君は困りながらも微笑まれる。



