野いちご源氏物語 五三 手習(てならい)

女は意識がはっきりして、周りを見回すと知らない人たちに囲まれている。
お年寄りばかりだから別の国に来たような気がする。
かといって昔住んでいた場所のことも思い出せない。
記憶が混乱していて自分の名前さえすぐには出てこない。

<川に身を投げたと思ったのに。ここはいったいどこだろう>
少しずつ記憶をたどっていく。
<あの夜、私はとにかくつらくて、女房(にょうぼう)たちが()(しず)まってから()(えん)に出たのだった。風は激しく、川音が恐ろしかった。()()げするにもどうしたらよいか分からず、『いっそ(おに)に食べられて姿を消してしまえたら』とぼんやり座っていると、美しい男の人が近づいてきたのだ。

『さぁ、私のところにいらっしゃい』とその人は言った。()きかかえられて、『あぁ、(みや)様だ』と安心した。そこで意識を失ったのだ。気づいたら見知らぬ大木(たいぼく)の根元に座っていて、男の人は消えていた。()()げできなかったと涙がこぼれたところまでは覚えている。その後のことはまったく記憶がないけれど、この人たちが言うには、あれからもう何か月も()っているらしい。こんなみっともない姿を赤の他人に看病(かんびょう)されていたなんて>

そう、この女は浮舟(うきふね)(きみ)よ。
浮舟の君は死にきれなかったことが(くや)しくて、薬湯(やくとう)も飲まなくなった。
「もうご気分はよろしいのでしょう。どうして召し上がらないのです。お熱も下がって回復なさったから、私はうれしく思っているのに」
尼君(あまぎみ)は付ききりで世話をなさる。
女房たちも、この若く美しい人に元気になってほしくて心配している。

浮舟の君がどれほど死にたいと願っても、あの状況から生き返った命だもの。
たくましい生命力で頭を持ち上げられるようになって、食事までとれるようになった。
体の方に優先的に栄養が行くのか、顔が少しやせるのを、
「元気になっていかれる証拠(しょうこ)だ」
と周りはよろこんでいる。

「どうか(あま)にしてください。生きていくにはそれしかないのです」
浮舟の君は僧都(そうづ)に頼むけれど、
「お若い(さか)りにそんなことはできません」
と、本格的に出家(しゅっけ)させることはお断りになる。
そのかわり、病気回復のため(かみ)をほんの少しだけ切る儀式(ぎしき)をなさった。

<これでは尼とは言えない>
と思うけれど、おっとりした性格なのでそれ以上無理を言うことはできない。
「今日のところはこれで満足して、まずはお体を大事になさい」
そう言って僧都は山に戻っていかれた。