『ドリアン山の最後の二等兵』~桃色の寺の菩提樹の下で~



 納屋の扉は、わずかな力で開いた。

 ぎぎっ、と軋む音がして、相沢は思わず息を止めた。

 背後で中村軍曹がこちらを見ている気配がある。

 だが、もう振り返らなかった。

 中は真っ暗だった。
 
 湿った藁の匂いと、家畜の体温のようなぬるい空気が満ちている。

 手探りで一歩踏み込むと、足元で何かが動いた。

 羽ばたき…鶏だった。

 相沢の心臓が跳ねる。

 目が慣れてくると、壁際に積まれた白い袋が見えた。

 昼間、視線を吸い寄せられたあの米だ。
 
 喉の奥がひりつく。――これを持っていけば、生き延びられる。

 西田の顔が浮かぶ。

 土の中に消えていった若い戦友。
 
 中村軍曹の声が、頭のどこかでまだ響いている。
 
 兵隊である前に人間であれ。
 
 相沢は目を閉じた。
 
 そして次の瞬間、袋の口に手を突っ込んでいた。
 
 米は乾いていた。
 
 指の間からさらさらと零れ落ちる。
 
 夢のような感触だった。
 
 背嚢を開き、両手で掬って詰め込む。
 
 止まらない。止められない。
 
 その時、足元で鶏が激しく暴れた。
  
 コケッ――!!
 
 甲高い鳴き声が闇を裂く。
 
 相沢は反射的にその首を掴んだ。
 
 細い骨が指の中で震えている。
 
 ――殺せ。
 
 どこからともなく声がした気がした。
 
 相沢は歯を食いしばり、力を込めた。
 
 ぐしゃり、と嫌な感触が伝わる。
 
 羽が顔に当たった。
 
 温かい何かが手の甲を濡らす。
 
 静かになった。
 
 相沢はしばらくその場に立ち尽くしていた。
 
 胸が激しく上下する。
 
 だが空腹は、むしろはっきりとした輪郭を持って彼を支配していた。
 
 背嚢を担ぎ直し、扉へ向かう。
 
 開けた瞬間だった。
 
 外に、誰か立っていた。
 
 月明かりの中に浮かぶ細い影。
 
 ほんのりと香り高い線香の香りが漂ってくる。
 
 彼女は何も言わない―ただ相沢の手元を見る。
 
 ぶら下がったままの鶏の死体。
 
  米で膨らんだ背嚢。
 
 その目には、驚きも怒りもなかった。
 
 ただ、深い憐れみにも似た赦しと慈悲のようなものが宿っていた。
 
 相沢は何か言おうとした。
  
 だが喉は閉ざされたままだ。
 
 次の瞬間、背後から腕を掴まれた。
 
 中村軍曹だった。

「……やってしまったな」

 低い声だった。
 
 遠くで犬が吠え始める。

 別の家の戸が開く音がする。

 村が目を覚まそうとしていた……。