天気……今日は二十四節気の中の『小雪』。北風が強くなる時季だから、寒さが日ごとにつのってくる。ぼくが住んでいるこの町は、雪はめったに降らないが、それでも気温はぐんと下がってきた。空気は乾燥していて、のどがからからする。
ぼくは老いらくさんといっしょに、シャオパイのうちから帰る途中、ミー先生の眼鏡を口にくわえながら大切に運んでいた。落としてレンズを割ったら大変だから、落とさないように気をつけながら、時間をかけてゆっくりと歩いていた。無事に翠湖公園まで持って帰ってくることができたので、ほっとした。眼鏡をかけたら、どんなものが見えてくるのか興味があったので、ぼくは手始めに、老いらくさんの、もともとの姿を見てみようと思った。老いらくさんの過去の姿は、ミー先生の傘を通して、ある程度分かってはいたが、眼鏡をかけたら、また違った姿が見えるかもしれないと思ったからだ。
眼鏡をかけてから老いらくさんの顔を、じっと見ると、まるで昔の映画を見るように、老いらくさんの姿が若い時の姿に変わった。太っていて、怖い顔をしていた。威圧的な態度で、ほかのネズミたちに命令を下して略奪行為をおこなっていた時の顔そのものだった。見たくない顔だったので、ぼくは眼鏡をさっとはずした。眼鏡を通して見えた顔をぼくは老いらくさんに話さなかった。老いらくさんの過去がどうであれ、その後更生して、今はぼくの親友となっている老いらくさんの隠された過去を根掘り葉掘り問いただすのはよくないと思ったからだ。ぼくが、この眼鏡を借りてきたのは、老いらくさんの、もとの姿を知るためではなくて、今、桜木横丁の中で起きている怪しい出来事の真相を知りたいと思ったからだから、老いらくさんのことはどうでもよかった。
けさ早く、ぼくと老いらくさんは、そそくさと桜木横丁へ出かけていった。今日は二十四節気の中の『小雪』。この町は南方なので、雪はめったに降らないが、それでも気温がだいぶ下がってきて、吹く風が冷たく感じられる。ぼくと老いらくさんが桜木横丁に着いたとき、桜は風に吹きちぎられることもなく、木の枝にしっかりとついたままだった。本物の桜ではないことは分かっていたから、見ても少しも感動を覚えなかったが、目の保養にはなった。桜をはっきり見るために、ぼくは眼鏡をかけながら歩いていた。朝早い時間だったので、桜見物にやってくる人はまだ少なかったが、太極拳をするために朝早く、やってきた人たちがいて、ぼくを見てけげんそうな顔をしていた。
「あれ、あの猫は眼鏡をかけている」
「本当だ。眼鏡をかけている猫を初めて見たわ」
「猫も近視になったりするのだろうか」
「いや、あの眼鏡は老眼鏡だよ」
「いや、違うと思う。たぶん、どこかに落ちていたのを拾ってきて、戯れにかけているだけだと思う」
ぼくを見て、人々がいろいろな思いを述べていた。その中のある人が、ぼくにぐっと近づいてきてから、しゃがんで、ぼくがかけている眼鏡をじっと見ていた。眼鏡を取られるのではないかと思って、ぼくは心配になったので、さっと逃げた。ぼくに近づいてきたその人は、立ち上がってぼくを追いかけてきた。それを見て老いらくさんが、その人の前に体を投げ出して、つまずかせようとした。ところが策は失敗して、老いらくさんは蹴とばされてしまった。老いらくさんのことも心配だったが、眼鏡を守ることが先だったから、かまわずに、ぼくは逃げていった。能力開発研究所の前まで走ってきて、玄関を見たら、ドアが少し開いていたので、ぼくは中に逃げ込んだ。ドクターによる診察はまだ始まっていなかったが、建物の中では室内の掃除や、診察に向けての準備がおこなわれていた。見つからないように、二階のバルコニーまでさっと上がっていって植木鉢の陰に身を隠した。
しばらくしてから老いらくさんがやってきた。老いらくさんは臭覚が鋭いし、ぼくのにおいを知っているので、ぼくがどこに隠れていても、すぐに見つけることができる。老いらくさんは猫のにおいには特に敏感だ。もしそうでなかったら、これまで長く生きることはできなかっただろうと、老いらくさんは、いつも自慢げに話している。
「笑い猫、わしは、危うく蹴り殺されるところだった」
老いらくさんが開口一番、そう言った。
「そうですか。危なかったですね。お怪我はなかったですか」
ぼくは心配げに聞いた。
「大丈夫だ。蹴られたところが痛むが、痛みはそのうちひくだろう」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくはほっとした。
「助けようとは思ったのですが、眼鏡を奪われるのはいやだったから、かまわずに逃げました」
ぼくはそう言った。
「それでいいよ。眼鏡を守るために、わしはおまえに協力したのだから」
老いらくさんがそう言った。
「ありがとうございます」
ぼくは老いらくさんにお礼を言った。
「もし眼鏡が奪われていたら、おまえはシャオパイに対して申し訳が立たないだろうし、シャオパイの飼い主さんが、うちへ帰ってきたとき、大切な眼鏡がないことを知ったらショックを受けるに違いないからな」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。危険を顧みず、ぼくを助けてくださった老いらくさんに、ぼくは心から感謝します」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「わしはまだ、その眼鏡をかけたことがないから、かけたら、どんなふうに見えるのか、わしも一度、眼鏡をかけてみたいなあ」
老いらくさんがそう言った。
「いいですよ。かけてみますか?」
ぼくが聞くと、老いらくさんがうなずいた。
ぼくはそれからまもなく、老いらくさんを手伝って、眼鏡をかけさせた。眼鏡をかけた瞬間、老いらくさんが、びっくりしたような声をあげた。
「何だ、これは」
ぼくはそれを聞いて
「どうしたのですか。何か見えたのですか?」
と、すぐに聞き返した。
「夜、たくさんの軽トラックが、この桜木横丁にやってきて、黒衣を着た人たちが荷台から、造花の桜を下ろして、桜の枝に、くくりつけている」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくはびっくりした。
(これが、造花の真相だったのか)
ぼくはそう思った。
「あれっ、あの指示を出している人は見覚えがある」
老いらくさんが、そう言った。
「誰ですか」
ぼくは老いらくさんに、すぐに聞き返した。老いらくさんはしばらく考えてから
「あ、思い出した。この建物の中で診察に当たっているドクターだ」
老いらくさんがそう言った。
「えっ、本当ですか」
ぼくが聞き返すと、老いらくさんは
「間違いない、あのドクターだ」
と言って、うなずいた。それを見て、ぼくは、この建物の中で行われている診察や治療に、ますます疑惑を感じざるを得なかった。ぼくと老いらくさんは、二階のバルコニーを出て、一階の診察室へ下りていった。診察室の前には診察の順番を待っている親子が何組かいて、『検査報告書』を持って並んでいた。
やがて診察が始まる時間がやってきて、最初の人が診察室の中に入っていった。ぼくと老いらくさんはドアが開いたすきに、さっと中に入って部屋の隅にある観葉植物の陰に隠れながら、診察の様子を見ていた。医者の白い服を身にまとったドクターが、子どもの親から『検査報告書』を受け取って、診察を始めているのが見えた。
ぼくは眼鏡をかけて細かく観察し始めた。そして思わず
(あっ、このドクターは、見覚えがある)
と、ぼくは思った。学校の校門の前に放課後、毎日やってきて、綿あめを売っていた男だったからだ。どこかで見たことがある男だと、ぼくはこれまでも何となく思っていたが、医者の白い服と、診察室の中の壁に貼ってあるたくさんの表彰状や感謝状や証明書を見て、他人の空似だと思っていた。ところがそうではなかった。ミー先生の眼鏡をかけたことで真相が見えてきて、このドクターは間違いなく、あの綿あめを売っていた商人だということが、はっきりと分かった。ドクターの目つきは、あのころと変わらずに鋭くて狡猾そうに見えたが、髪はあのころと違って、きちんと整えていたし、姿にもどことなく風格が備わっていて偉い人のように見えたから、あやうく、だまされるところだった。
(ここに診察に来ている親子は、このドクターが、以前は校門の前で綿あめを売っていた商人だということに気がついていないのだろうか)
ぼくはそう思った。人をだまして、あらたな商売を始めて、以前よりも立派なことをしているようにみせかけている、このドクターを見て、ぼくは腹立たしく思った。ぼくは不正なことは許せない性格だから、隠れている観葉植物の陰から出ていって、このドクターに向かって突進して、かみつこうかと思った。でも、今ここで騒ぎを起こすのはよくないと思ったので、じっと我慢して見ていた。眼鏡の中に、このドクターが以前、学校の校門の前で綿あめを売っていた時の場面が見えてきた。
「綿あめはいらんかね。おいしいよ」
ドクターはそう呼びかけながら、学校が終わって、うちへ帰ろうとしている子どもたちに誘いかけていた。丸くてふわふわした綿あめを見て、子どもたちが食べたそうな顔をして見ていた。でも子どもたちを迎えにきたお母さんは子どもたちの手を引っ張るようにして、買わないで、その前を立ち去ろうとしていた。するとそのとき、ドクターは
「この綿あめは栄養が豊富なだけでなくて、頭の働きがよくなる特別なエキスがたくさん入っていますよ」
と言っていた。それを聞いて立ち去ろうとしていたお母さんたちが足を止めて、買って帰っていた。
この場面を見て、ぼくは思わず、おかしくなって、笑い出してしまった。
「どうしたのだ。何がそんなにおかしいのか。何が見えたのか」
老いらくさんが、ぼくに聞いた。
「このドクターが、校門の前で、子どもたちやお母さんに、おかしなことを言って、綿あめを売っている場面が見えたからです」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「そうか、わしも見てみたい。眼鏡を、わしにもちょっと貸してくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「だめです。もうしばらく見てから貸します」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。すると老いらくさんが不愉快そうな顔をしながら
「今すぐ見たい」
と言った。貸す、貸さないで、ぼくと老いらくさんが、もめて音を立てたので、ドクターが気がついて、ぼくと老いらくさんが隠れている観葉植物のほうに近づいてきた。それを見て老いらくさんが緊張したような声で
「笑い猫、早く逃げろ。わしがこのドクターをあしらう」
と言って、ドクターの前に飛び出していって、跳んだりはねたりしながら、ドクターの目をくぎ付けにしていた。その間に、ぼくは尻に帆をかけて逃げていった。
ぼくは老いらくさんといっしょに、シャオパイのうちから帰る途中、ミー先生の眼鏡を口にくわえながら大切に運んでいた。落としてレンズを割ったら大変だから、落とさないように気をつけながら、時間をかけてゆっくりと歩いていた。無事に翠湖公園まで持って帰ってくることができたので、ほっとした。眼鏡をかけたら、どんなものが見えてくるのか興味があったので、ぼくは手始めに、老いらくさんの、もともとの姿を見てみようと思った。老いらくさんの過去の姿は、ミー先生の傘を通して、ある程度分かってはいたが、眼鏡をかけたら、また違った姿が見えるかもしれないと思ったからだ。
眼鏡をかけてから老いらくさんの顔を、じっと見ると、まるで昔の映画を見るように、老いらくさんの姿が若い時の姿に変わった。太っていて、怖い顔をしていた。威圧的な態度で、ほかのネズミたちに命令を下して略奪行為をおこなっていた時の顔そのものだった。見たくない顔だったので、ぼくは眼鏡をさっとはずした。眼鏡を通して見えた顔をぼくは老いらくさんに話さなかった。老いらくさんの過去がどうであれ、その後更生して、今はぼくの親友となっている老いらくさんの隠された過去を根掘り葉掘り問いただすのはよくないと思ったからだ。ぼくが、この眼鏡を借りてきたのは、老いらくさんの、もとの姿を知るためではなくて、今、桜木横丁の中で起きている怪しい出来事の真相を知りたいと思ったからだから、老いらくさんのことはどうでもよかった。
けさ早く、ぼくと老いらくさんは、そそくさと桜木横丁へ出かけていった。今日は二十四節気の中の『小雪』。この町は南方なので、雪はめったに降らないが、それでも気温がだいぶ下がってきて、吹く風が冷たく感じられる。ぼくと老いらくさんが桜木横丁に着いたとき、桜は風に吹きちぎられることもなく、木の枝にしっかりとついたままだった。本物の桜ではないことは分かっていたから、見ても少しも感動を覚えなかったが、目の保養にはなった。桜をはっきり見るために、ぼくは眼鏡をかけながら歩いていた。朝早い時間だったので、桜見物にやってくる人はまだ少なかったが、太極拳をするために朝早く、やってきた人たちがいて、ぼくを見てけげんそうな顔をしていた。
「あれ、あの猫は眼鏡をかけている」
「本当だ。眼鏡をかけている猫を初めて見たわ」
「猫も近視になったりするのだろうか」
「いや、あの眼鏡は老眼鏡だよ」
「いや、違うと思う。たぶん、どこかに落ちていたのを拾ってきて、戯れにかけているだけだと思う」
ぼくを見て、人々がいろいろな思いを述べていた。その中のある人が、ぼくにぐっと近づいてきてから、しゃがんで、ぼくがかけている眼鏡をじっと見ていた。眼鏡を取られるのではないかと思って、ぼくは心配になったので、さっと逃げた。ぼくに近づいてきたその人は、立ち上がってぼくを追いかけてきた。それを見て老いらくさんが、その人の前に体を投げ出して、つまずかせようとした。ところが策は失敗して、老いらくさんは蹴とばされてしまった。老いらくさんのことも心配だったが、眼鏡を守ることが先だったから、かまわずに、ぼくは逃げていった。能力開発研究所の前まで走ってきて、玄関を見たら、ドアが少し開いていたので、ぼくは中に逃げ込んだ。ドクターによる診察はまだ始まっていなかったが、建物の中では室内の掃除や、診察に向けての準備がおこなわれていた。見つからないように、二階のバルコニーまでさっと上がっていって植木鉢の陰に身を隠した。
しばらくしてから老いらくさんがやってきた。老いらくさんは臭覚が鋭いし、ぼくのにおいを知っているので、ぼくがどこに隠れていても、すぐに見つけることができる。老いらくさんは猫のにおいには特に敏感だ。もしそうでなかったら、これまで長く生きることはできなかっただろうと、老いらくさんは、いつも自慢げに話している。
「笑い猫、わしは、危うく蹴り殺されるところだった」
老いらくさんが開口一番、そう言った。
「そうですか。危なかったですね。お怪我はなかったですか」
ぼくは心配げに聞いた。
「大丈夫だ。蹴られたところが痛むが、痛みはそのうちひくだろう」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくはほっとした。
「助けようとは思ったのですが、眼鏡を奪われるのはいやだったから、かまわずに逃げました」
ぼくはそう言った。
「それでいいよ。眼鏡を守るために、わしはおまえに協力したのだから」
老いらくさんがそう言った。
「ありがとうございます」
ぼくは老いらくさんにお礼を言った。
「もし眼鏡が奪われていたら、おまえはシャオパイに対して申し訳が立たないだろうし、シャオパイの飼い主さんが、うちへ帰ってきたとき、大切な眼鏡がないことを知ったらショックを受けるに違いないからな」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。危険を顧みず、ぼくを助けてくださった老いらくさんに、ぼくは心から感謝します」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「わしはまだ、その眼鏡をかけたことがないから、かけたら、どんなふうに見えるのか、わしも一度、眼鏡をかけてみたいなあ」
老いらくさんがそう言った。
「いいですよ。かけてみますか?」
ぼくが聞くと、老いらくさんがうなずいた。
ぼくはそれからまもなく、老いらくさんを手伝って、眼鏡をかけさせた。眼鏡をかけた瞬間、老いらくさんが、びっくりしたような声をあげた。
「何だ、これは」
ぼくはそれを聞いて
「どうしたのですか。何か見えたのですか?」
と、すぐに聞き返した。
「夜、たくさんの軽トラックが、この桜木横丁にやってきて、黒衣を着た人たちが荷台から、造花の桜を下ろして、桜の枝に、くくりつけている」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくはびっくりした。
(これが、造花の真相だったのか)
ぼくはそう思った。
「あれっ、あの指示を出している人は見覚えがある」
老いらくさんが、そう言った。
「誰ですか」
ぼくは老いらくさんに、すぐに聞き返した。老いらくさんはしばらく考えてから
「あ、思い出した。この建物の中で診察に当たっているドクターだ」
老いらくさんがそう言った。
「えっ、本当ですか」
ぼくが聞き返すと、老いらくさんは
「間違いない、あのドクターだ」
と言って、うなずいた。それを見て、ぼくは、この建物の中で行われている診察や治療に、ますます疑惑を感じざるを得なかった。ぼくと老いらくさんは、二階のバルコニーを出て、一階の診察室へ下りていった。診察室の前には診察の順番を待っている親子が何組かいて、『検査報告書』を持って並んでいた。
やがて診察が始まる時間がやってきて、最初の人が診察室の中に入っていった。ぼくと老いらくさんはドアが開いたすきに、さっと中に入って部屋の隅にある観葉植物の陰に隠れながら、診察の様子を見ていた。医者の白い服を身にまとったドクターが、子どもの親から『検査報告書』を受け取って、診察を始めているのが見えた。
ぼくは眼鏡をかけて細かく観察し始めた。そして思わず
(あっ、このドクターは、見覚えがある)
と、ぼくは思った。学校の校門の前に放課後、毎日やってきて、綿あめを売っていた男だったからだ。どこかで見たことがある男だと、ぼくはこれまでも何となく思っていたが、医者の白い服と、診察室の中の壁に貼ってあるたくさんの表彰状や感謝状や証明書を見て、他人の空似だと思っていた。ところがそうではなかった。ミー先生の眼鏡をかけたことで真相が見えてきて、このドクターは間違いなく、あの綿あめを売っていた商人だということが、はっきりと分かった。ドクターの目つきは、あのころと変わらずに鋭くて狡猾そうに見えたが、髪はあのころと違って、きちんと整えていたし、姿にもどことなく風格が備わっていて偉い人のように見えたから、あやうく、だまされるところだった。
(ここに診察に来ている親子は、このドクターが、以前は校門の前で綿あめを売っていた商人だということに気がついていないのだろうか)
ぼくはそう思った。人をだまして、あらたな商売を始めて、以前よりも立派なことをしているようにみせかけている、このドクターを見て、ぼくは腹立たしく思った。ぼくは不正なことは許せない性格だから、隠れている観葉植物の陰から出ていって、このドクターに向かって突進して、かみつこうかと思った。でも、今ここで騒ぎを起こすのはよくないと思ったので、じっと我慢して見ていた。眼鏡の中に、このドクターが以前、学校の校門の前で綿あめを売っていた時の場面が見えてきた。
「綿あめはいらんかね。おいしいよ」
ドクターはそう呼びかけながら、学校が終わって、うちへ帰ろうとしている子どもたちに誘いかけていた。丸くてふわふわした綿あめを見て、子どもたちが食べたそうな顔をして見ていた。でも子どもたちを迎えにきたお母さんは子どもたちの手を引っ張るようにして、買わないで、その前を立ち去ろうとしていた。するとそのとき、ドクターは
「この綿あめは栄養が豊富なだけでなくて、頭の働きがよくなる特別なエキスがたくさん入っていますよ」
と言っていた。それを聞いて立ち去ろうとしていたお母さんたちが足を止めて、買って帰っていた。
この場面を見て、ぼくは思わず、おかしくなって、笑い出してしまった。
「どうしたのだ。何がそんなにおかしいのか。何が見えたのか」
老いらくさんが、ぼくに聞いた。
「このドクターが、校門の前で、子どもたちやお母さんに、おかしなことを言って、綿あめを売っている場面が見えたからです」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「そうか、わしも見てみたい。眼鏡を、わしにもちょっと貸してくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「だめです。もうしばらく見てから貸します」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。すると老いらくさんが不愉快そうな顔をしながら
「今すぐ見たい」
と言った。貸す、貸さないで、ぼくと老いらくさんが、もめて音を立てたので、ドクターが気がついて、ぼくと老いらくさんが隠れている観葉植物のほうに近づいてきた。それを見て老いらくさんが緊張したような声で
「笑い猫、早く逃げろ。わしがこのドクターをあしらう」
と言って、ドクターの前に飛び出していって、跳んだりはねたりしながら、ドクターの目をくぎ付けにしていた。その間に、ぼくは尻に帆をかけて逃げていった。

