怪しい町

天気……翠湖公園の中では今の時季、遅咲きの菊の花が露と戯れるように咲いていて、見るたびに、そこはかとなく風情が感じられる。公園の外に咲いている野菊も、冷たい風に当たりながら、そよそよと揺れていて、けだかく、清らかに咲いている。秋のなごりを惜しむかのように、野辺で静かに咲いている野菊の、ほのかなにおいをかぎながら歩くのが、今の時季のぼくの一番の楽しみだ。

安琪儿が飲んだ知恵入りスープは、どんなものなのか、ぼくは知りたくてたまらなくなった。もし本当に効果があるのだったら、ぼくも一口、飲んでみたいと思ったからだ。生姜湯の辛さと、コカ・コーラの苦さが混じりあったようなスープだと、安琪儿が言っていたから、甘党のぼくには、あまり、おいしく感じられないスープかもしれない。しかし、それでも一口、飲んでみたいという欲求を抑えきれないでいた。知恵入りスープはアルミ缶に入っていて、中味は外からは見えなかったので、せめてどんな色をしているのか見てみたいと、ぼくは思った。老いらくさんに、そのことを話すと
「そうだな。わしも見てみたい」
と言った。
「ぼくの目が、ものを透視できる目だったらいいのになあ……」
ぼくはやりきれない思いをもらした。それを聞いて老いらくさんが
「世の中には透視できる眼鏡がある。その眼鏡をかけたら、中味を見ることができるのではないのか」
と言った。ぼくは、それを聞いて、ミー先生のことを、ふっと思い出した。ミー先生が以前、子どもたちの夢を集めてきて分析するときには、眼鏡をかけていたので、あの眼鏡をかけたら、見えないものを透視できるのではないだろうかと思ったからだ。老いらくさんに、そのことを話すと、
「それはいい考えかもしれない」
と言ってくれた。
「ミー先生の眼鏡はどこにあるのだ?」
老いらくさんが聞いた。
「いつもは、二階にある箱の中にいれて大切にしまっています」
ぼくは以前、シャオパイの家で見たことを思い出しながら、そう言った。
「ミー先生は今も、子どもたちの夢を集めて分析しているのか?」
老いらくさんが聞いた。
「いえ、今は、うちにいません。この前、シャオパイに会ったとき、飼い主さんは仙人から呼び出されて、天に出かけていって、まだ戻ってきていないと言っていましたから」
ぼくはシャオパイから聞いた話を老いらくさんに伝えた。
「眼鏡は持っていったのか?」
老いらくさんが聞いた。
「分かりません」
ぼくはそう答えた。それを聞いて老いらくさんが
「もし眼鏡を置いたまま天に出かけていったのなら、戻ってくるまでの間、眼鏡を借りることができるのではないのか」
と言った。それを聞いて、ぼくは老いらくさんの頭の回転のよさに感心していた。
「さすが、老いらくさん。ミー先生が眼鏡を置いたままいったことを、ぼくも願っています」
ぼくはそう答えた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく、翠湖公園を出て、シャオパイのうちへ出かけていった。朝早い時間だったので、町はまだ静かで、通りは人通りや車が少なかった。そのために、ぼくと老いらくさんは周りをあまり気にすることなく、晩秋の冷たい朝風を体いっぱいに受けながら、飛ぶように速く走っていった。道端に咲いている野菊のほのかなかおりが漂ってきたので、ぼくと老いらくさんは、野菊のにおいをかぎながら、気持ちよく走っていった。町の郊外まで走っていってから、ひと休みして、それからまた走り始めた。
やがて前方にシャオパイのうちがある高級住宅地が見えてきた。どの住宅も、家の形がそれぞれ違っていて、住んでいる人の好みによって、独自に作られていた。シャオパイが住んでいる家は、屋根の形が三角形をしていて、赤い瓦でふいてあるので、遠くからでも目につきやすい。家の周りは白い木の柵で囲ってあって、柵の内側には庭がある。庭には季節ごとに様々な花が咲いているので、ここにくるたびにミー先生の人柄を感じていた。でも、今日、ぼくと老いらくさんがシャオパイのうちの前に着いたとき、これまでとは違って庭がきれいではなかった。すでに枯れてしまったラベンダーの花が、見る影もないような形をしていて、くねくねと曲がったり倒れたりしていたからだ。きれい好きのミー先生だから、このような見苦しい状態を長く放っておくはずがない。荒れた庭を見て、ミー先生がまだ帰ってきていないことを、ぼくは知った。
玄関の扉は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。ぼくと老いらくさんは、扉を少し開いてから、家の中にこっそりと入っていった。リビングの中にシャオパイがいて、椅子にきちんと座って、窓の外をぼうっとした顔をしながら見ていた。ぼくと老いらくさんが入ってきたことに少しも気がつかないでいたから、ぼくが声をかけた。するとシャオパイはびっくりしたような顔をして、ぼくを見た。
「笑い猫のお兄さん、どうしたの。どうしてここにきたの?」
シャオパイが目を丸くしていた。
「飼い主さんはまだ帰ってきていないのか?」
ぼくはシャオパイに聞いた。
「まだ帰ってきていないよ。もう何日も、帰ってこないから、ぼくは寂しくてたまらなくて、毎日、ぼうっとしている」
シャオパイが、しみじみとした声でそう言った。それを聞いて、老いらくさんが感慨深そうな声で
「この世に犬ほど人に忠実な動物はいないというが、シャオパイを見ていると、そう言った思いが、ひしひしと伝わってくるなあ。飼い主さんがいないことが、よほど寂しいのだろう」
と、つぶやくように言った。
「そうかもしれませんね」
ぼくはそう答えて、シャオパイの気持ちに思いをはせていた。
「飼い主さんは、仙人から呼び出されて、突風に吹き上げられて、天に出かけていったと、おまえはこの前、話していたよね」
ぼくはシャオパイにそう言った。
「そうだよ。本当は、ぼくもいっしょに行きたかったのだけど……」
シャオパイが不満そうな顔をしていた。
「飼い主さんが留守の間、このうちを守るという大切な役割が、おまえにはあるではないか」
ぼくはシャオパイに、そう言った。
「でも長くひとりでいるのは寂しいよ」
シャオパイが真情を吐露した。
「飼い主さんの傘はまだうちにあるのか」
ぼくはシャオパイに聞いた。シャオパイは、ぼくの問いには答えないで
「もしかしたら、また傘を借りに来たの?」
と、逆に聞き返した。
「違うよ」
ぼくはそう言って、首を横に振った。
「だったら、今日は何をしに来たの?」
シャオパイがけげんそうな顔をして、そう言った。
「飼い主さんは眼鏡を持っていったか?」
ぼくがそう聞くと、シャオパイが、ぽかんとしたような顔をしながら
「眼鏡?」
と聞き返した。
「そう、眼鏡。ぼくは今度は眼鏡を借りたいと思って来たのだ」
ぼくはそう言った。
「眼鏡を借りてどうするの?」
シャオパイは合点がいかないような顔をしていた。
「安琪儿のことを覚えているか?」
ぼくはシャオパイに聞いた。
「うん、覚えているよ。あまり、ぱっとしない子だけども、ミー先生の傘を通して将来の姿を見たら、教師をしながら童話作家になっていた子でしょう」
シャオパイがそう言った。
「うん、その子だ」
ぼくはそう答えた。
「その子のお母さんが、今、安琪儿のことをとても心配していて、安琪儿に、おかしなスープを飲ませたり、怪しい鍼(はり)を頭に刺させたりしている。スープの中味や、鍼(はり)がどんなものなのか知りたいと思っているのだ」
ぼくはそう言った。
「そのことと眼鏡と、どう関係があるの?」
シャオパイが聞き返した。
「ミー先生は、あの眼鏡をかけて、子どもの夢を分析していたから、眼鏡をかけたら見えないものが見えるのではないかと思って」
ぼくはそう言った。シャオパイはまだ、しっくりといかないような顔をしていた。
「分かったような、分からないような……」
シャオパイがそう言った。
「ミー先生の眼鏡をかけたら、スープや鍼(はり)がどんなものなのか、分かるかもしれないと思っているのだ」
ぼくはシャオパイにそう言った。
「分かりました」
シャオパイがようやく、ぼくの話に納得してくれた。
「ミー先生の眼鏡が入った箱は二階にあるから、これから、ちょっと見てくるよ。もし眼鏡があったら、持ってくる」
シャオパイはそう言って、二回に駆け上がっていった。しばらく待っていると、シャオパイが眼鏡を口にくわえながら下に降りてくるのが見えた。それを見て、ぼくは思わず、にっこりと笑みを浮かべた。老いらくさんも、うれしそうに、ぴょんぴょん、跳びはねていた。ぼくはシャオパイに「ありがとう」と言って、眼鏡を受け取った。ぼくはそのあと試しに眼鏡をかけてみて、見えないものが見えるかどうか、みてみることにした。リビングの中に、青磁の壺があって、蓋がかぶせてあったので、(この中には何が入っているのだろう)と思って、眼鏡をかけながら壺を見た。すると壺の中に貨幣が入っているのが透けて見えた。唐の時代に作られた古い貨幣のように思えた。貨幣のほかに勾玉で作られたイヤリングも入っていた。これも古い時代に作られた装身具のように思えた。ミー先生は唐の時代からタイムスリップしてきた仙女なので、家宝を壺の中に入れて、大切に保存しているのではないかと、ぼくは思った。
「この眼鏡をかけたら外からは見えないものが見えるので、とても重宝だ。しばらく借りていきたいけど、いいかなあ」
ぼくはシャオパイにそう聞いた。
「いいよ。でも大切なものだから、絶対になくさないでね。そして必ず飼い主さんが帰ってくる前には返してよ」
シャオパイがそう言った。
「分かったよ。約束はきちんと守るよ」
ぼくはシャオパイにそう言ってから、シャオパイと指切りをした。
それからまもなく、ぼくと老いらくさんは、シャオパイのうちをあとにした。