怪しい町

天気……昨夜は風雨が一晩中やむことなく続いていて、哀歌のように寂しく、ヒューヒュー、ザアザアと聞こえていた。明け方になって、風雨はやんだが、空は曇ったままで、昨日よりも一段と寒く感じられた。

昨夜は天気が夜通し、とても荒れていて、なかなか寝つけなかった。夜が明けて、外が明るくなりはじめたころ、ようやく風雨がやんだので、ぼくは眠気まなこをこすりながら、いつものように散歩に出かけることにした。うちを出たとたん、地面の上に積もっている落ち葉がこれまで以上に厚くなっていることに、ぼくは気がついた。昨夜の風雨で木の枝から吹き飛ばされた枯葉が何枚も重なっていたから、体が沈むほどに、ぶかぶかとしているのだと、ぼくは思った。
アオギリ林の中に入っていくと、枯葉を踏んだときに出る音が、昨日よりも一オクターブ低くなっているように感じられた。地面に散り敷いている枯葉が水分を吸って重さが変わったからではないかと、ぼくは思った。夜が明けたばかりで、空気がとてもすがすがしかったから、ぼくは口を大きく開けて深呼吸をしながら、空気をいっぱい吸い込んで、今日一日の英気を養っていた。
するとその時、さほど遠くないところから、ざわざわざわという音が聞こえてきた。
「ん?」
ぼくはびっくりして、音がしたほうを見た。すると老いらくさんが、そこにいた。
「笑い猫、おはよう」
老いらくさんが、ぼくに挨拶をしてくれた。
「おはようございます。いつもおはやいですね」
ぼくも老いらくさんに挨拶を返した。
「雨や風がやんでよかったな」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。雨や風がやんだあと、木の葉が、ますます厚く積もっているので、ぶかぶかして気持ちがいいです」
ぼくは笑みを浮かべながら、そう答えた。
「わしも同感だ。でも、もうしばらくしたら公園の中を掃除する人がやってきて、落ち葉を軽トラックに積んで持っていくから、落ち葉の上を歩くことができなくなる」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。ぼくもそう思って、早くうちを出てきました」
ぼくは老いらくさんに、そう答えた。
「笑い猫、わしらは、これから桜木横丁へ行ってみないか。昨夜の風雨で、桜木横丁の桜がどうなったのかを見てみたいからだ」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。桜は雨や風に当たると、はらはらと散っていくし、地面に散り敷いた花の上を歩くのも、風情があっていいですよね」
ぼくは老いらくさんに、そう答えた。
ぼくと老いらくさんは意気投合したので、それからまもなく翠湖公園を出て、桜木横丁へ出かけていった。まだ朝早い時間帯だったので、町の中に人や車の姿はほとんどなくて、静かな街並みをすらすらと通り抜けて、十五分ほどで桜木横丁に着くことができた。すると何と桜の花びらは一枚も散っていなかった。
(どういうことだ。昨夜のあれほど激しい風雨に打たれても一枚も散っていないとは……)
ぼくには合点がいかなかった。老いらくさんも同じだった。
「怪しいなあ、この桜は。本物ではないのではないのか?」
老いらくさんがそう言った。
「ぼくもそう思います。確かめてみましょうか?」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
「そうだな、確かめてみよう」
老いらくさんが、そう答えた。
老いらくさんは、それからまもなく、ひょいとジャンプして、木の枝に飛び上がり、枝の先を激しく揺らした。ところが枝の先についている桜の花びらは一枚も下に落ちてこなかった。老いらくさんはさらに力をこめて何度も枝の先をゆすっていた。しかしどんなに激しくゆすっても一枚も落ちてこなかった。疲れた老いらくさんは下に降りてきてから
「やはり、あの桜は、にせものだ」
と言った。
ぼくもそのあと木の枝に登っていって、枝の先についている花びらのすぐ近くまでいって、花のにおいをかいだ。桜は、もともと、におわない花だが、本物の桜だったら、生命が宿っているはずだから、生きている感触や躍動感が伝わってくるはずだと思ったからだ。ところが、花びらにどんなに鼻を近づけて、においをかいでみても生きているにおいが少しも伝わってこなかった。ぼくはそのあと、爪を伸ばして花びらをちぎって下に落とそうとした。ところが爪にどんなに力を入れてちぎろうとしても、ちぎれなかった。そのあとぼくは、花びらを口の中に入れて、味を見ることにした。桜は食べられる花ではないが、本物の桜だったら、口に入れたら、何か味がするはずだと思ったからだ。ところが何の味もしなかった。ぼくは枝の上で目を皿のようにしながら、桜の花をじっと観察していた。すると枝の上に細い銅線が張り巡らしてあって、その銅線の上に無数の造花の桜が、ゆわえつけられていることに気がついた。
ぼくは真相を知って、がくぜんとした。すぐに木の枝から下に降りてきて、老いらくさんにそのことを話した。すると老いらくさんが
「やはり、そうだったか」
と言って、深いため息をついていた。
「それにしても、どうして、そんなことをするのだろうか。春には春の美しさがあり、秋には秋の美しさがある。春の光景を、わざわざ秋にも作り出そうとした人の作意が、わしにはさっぱり分からん」
老いらくさんが首をかしげていた。
「ぼくにもよく分かりません」
ぼくは老いらくさんに、そう答えた。
「もしかしたら何か、悪いことをたくらんでいるやつがいて、人寄せのために、しつらえたのかもしれない」
老いらくさんがそう言った。
「フェイナに聞きにいってみませんか。フェイナは、この町に住んでいるし、飼い主さんを手伝って、桜の造花を売るのに一役買っていたから、何か知っているかもしれません」
ぼくは老いらくさんに、そう提案した。
「そうだな、それはいい考えかもしれないな」
老いらくさんが、ぼくの提案に乗ってきた。
「フェイナと言えば、最近、態度が少し、よそよそしくなってきたとは思わないか」
老いらくさんが、そう言った。
「どうしてですか」
ぼくは聞き返した。
「昨日、フェイナに会ったとき、わしのことはまったく眼中になくて、ちらりとも目を合わせてくれなかったからだ」
老いらくさんが不機嫌そうな顔をして、そう言った。
「そうでしたかね。気がつきませんでした。ぼくと久しぶりに会ったので、犬の言葉が話せるぼくとの会話に夢中だったからではないでしょうか」
ぼくは老いらくさんに、そう説明した。
「フェイナは以前から、お洒落好きな犬だったから、きれいに着飾って喜んでいる点は、以前とあまり変わっていないように思える。しかし今は以前とは違って、周りのものへの気配りができていないように、わしには思える」
老いらくさんがそう言った。
「そのように見えましたか。今度、会ったときに言っておきます」
ぼくはそう答えた。
「わしへの気配りが足りないことは、さほど気にしていないが、それよりも、あの、にせの桜のことを、フェイナが気がついているかどうか、わしはそのことを早く知りたい」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました。ぼくも、そのことを早く知りたいです」
ぼくは老いらくさんに、そう答えた。
それからまもなく、外がだんだん明るくなってきた。桜の木の枝にいっぱいつけられている、にせの桜の花にも、朝の光が当たって、怪しげに輝いていた。
ぼくと老いらくさんは桜木横丁の出入り口付近で、フェイナの飼い主さんとフェイナがやってくるのを待っていた。昨日、ここに露店をだして、桜の冠と首飾りを売っていたので、今日もきっと、ここに来るに違いないと思ったからだ。やはり、そうだった。
十時頃、きれいな妖精の服に着飾ったフェイナの飼い主さんが、手押し車の中に桜の冠と首飾りをいっぱい積み込んで、やってきた。飼い主さんのすぐ横には、フェイナがいた。桜模様のついたセーターを着ながら、桜の冠をかぶり、桜の首飾りをつけて、しずしずと、優雅な姿で歩いていた。昨日、フェイナに会ったとき、フェイナが飼い主さんのことを桜姫、自分のことを桜の妖精と呼んでいたが、まさにそのようなイメージを彷彿させるような姿かたちに見えた。
「フェイナ」
ぼくはフェイナに声をかけた。
ぼくに気がついて、フェイナが、ぼくの近くにやってきた。
「おー、誰かと思ったら、笑い猫でしたか。こんなに早くから、桜の花を見に来てくれたの。朝日ににおう桜の花は、すがすがしくて、いちだんときれいでしょう」
フェイナがそう言った。
「どこがきれいなものか。桜の木の枝についている花はみんな、にせものではないか。おまえはそのことを知っていたのか」
ぼくは、ぶぜんとしたような顔をしながら、聞き返した。フェイナは一瞬、ぴくりとした表情をしたが、すぐに落ち着いて
「もちろん、知っていたわ。でも、だから、どうだというのよ」
と、つっけんどんに言葉を返してきた。
「おまえや、お前の飼い主さんは、人をだまして、商売をしていたのか」
ぼくは単刀直入に聞いた。
「聞き捨てならないことを言わないでほしいわ。花見に来る人たちの多くは、この桜が本物ではないことを知っているわ。木の枝から葉が落ちて殺風景になったこの横丁に春と同じような活気を呼び戻そうと思って、有志たちが企画したイベントだから」
フェイナがそう言った。
「そうか。そうだったのか」
ぼくはようやく合点がいったように思えた。フェイナが言ったことを、ぼくは老いらくさんにも話して聞かせた。
「そうか。そういうことだったのか」
老いらくさんも納得がいったのか、うなずいていた。
しかし、ぼくにはそれでもまだ釈然としないものがあった。
(にせの桜を、一夜のうちに、木の枝にたくさん、つけるためには、莫大な労力を要しただろうに、わざわざ、そんなことをして何の意味があるのだろうか)
と、思ったからだ。
このことを、ぼくはフェイナに聞いた。するとフェイナが
「この横丁は桜で有名なところだから、たくさんの人を引き寄せるためには桜を咲かせることが一番だからよ。秋にも人がたくさんお花見に来たら、お金もたくさん、この横丁に入ってきて、商売が繁盛するではないですか」
と、臆面もなく答えた。
「そうか。ぼくは昨日、おまえの飼い主さんが桜の冠や首飾りを売っているところしか見なかったが、確かに、よく売れていて、儲かっているみたいだったな」
ぼくはそう答えた。
「わたしの飼い主さんは悪い人ではないから、あくどいことはしていないわ。もっと悪いことをして、利益をむさぼっている人が、この横丁に入ってきて、人をだまして、えげつないことをしているわ」
フェイナがそう言った。
「そうか、そんなやつもいるのか」
ぼくの表情は曇った。フェイナはうなずいた。
「桜の冠や首飾りは、どちらも一つ十元だから、たくさん売れても、それほど大きな利益にはならないわ。買った人も楽しい気持ちになって、桜の冠をかぶったり、桜の首飾りを首にさげて、この時期に、花見ができるからいいではないの。それにたいして、今、この横丁には、いかがわしいことをして、お金をたくさん取り立てて、人をだまして悪いことをする人もいるわ。笑い猫は、せっかく、この横丁に来たのだから、その両面を見るべきだわ。この横丁には明るい面も暗い面もあるから」
フェイナがそう言った。フェイナが言った言葉の意味が、このとき、ぼくにはよく分からないでいた。
お昼が近づくにつれて、花見にやってくる人たちの数がだんだん多くなってきた。フェイナの飼い主さんがだしている露店に立ち寄って桜の冠や首飾りを買っていく人の数も多くなっていた。それを見ながら、フェイナが
「わたしも一役買って飼い主さんが売るのをはやく手伝わなければ」
と言って、ぼくや老いらくさんのそばから離れて、飼い主さんの近くへ戻っていった。桜の冠や首飾りをつけたフェイナが、こびるような仕草で人を見ていたので、そのなまめかしい姿や、美しさに魅了されて、桜の冠や首飾りを買い求める人の数がますます多くなっていった。花見客のなかには、フェイナは桜の妖精だと信じて、フェイナといっしょに写真を撮る人もいた。その光景を見ながら、ぼくは、先ほど、フェイナが言った「この横丁には明るい面も暗い面もある」という言葉の意味を考えていた。