天気……昨夜は濃い霧がかかっていて、空と地面の区別がつかないほどだった。夜が明けると、霧は一段と濃くなって、数メートル先も見えなかった。
ぼくと老いらくさんは万年亀が施してくれた透明術や、ミー先生の眼鏡のおかげで、桜木横丁の中を安全に探索しながら、隠された真相を知ることができた。不正なことをしている人がいたので、ぼくも老いらくさんも姿を隠したまま、その人たちを不安な気持ちに陥らせて悪事をやめさせることもできた。桜木横丁の中には、まだまだ何か怪しいことがありそうだから、もっと探索を続けたり、外からは見えにくい真相を暴きたいと、ぼくも老いらくさんも思っていた。しかし万年亀は世界中を流浪する亀だから、いつまでもこの町にはいない。天に出かけているミー先生もいつこの町に帰ってくるか分からない。それを思うと、そろそろ万年亀のところに行って透明術を解いてもらったり、シャオパイのうちへ行って、ミー先生の眼鏡を返さなければならない。ぼくも老いらくさんも、そのことがよく分かっていた。
「姿が見えなかったここ数日、とても楽しかったなあ。できたら、これからもずっと姿が見えないままでいたいなあ」
老いらくさんが、おかしなことを言った。それを聞いて、ぼくは思わず、笑ってしまった。
「何がそんなに、おかしいのだ?」
老いらくさんが、不機嫌そうな顔をしながら、そう言った。
「だって、あまりにも唐突だったから」
ぼくはそう答えた。
「そうか。でも姿が透明だと、食べたいものを盗み食いしても見つからないから楽しいではないか。もしわしが、万年亀といっしょに、この町を出て流浪すれば、おいしいものを見つけた時には万年亀にお願いしてわしの体を透明にしてもらって、食べたいものをたらふく食べることができる」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくは思わず高笑いした。
「老いらくさんらしいですね。でも、老いらくさんが、この町からいなくなったら、ぼくはとても寂しいです」
ぼくはそう言った。それを聞いて、老いらくさんは、はっとしたような顔をしてから
「わしも、おまえが、そばにいなかったら、とても寂しい。よかったら、おまえも、わしといっしょに万年亀のあとについていって流浪しないか」
と言った。ぼくはすぐに首を横に振った。
「それは絶対にできません。ぼくがこの町を出ていったら妻猫がとても寂しい思いをするだろうし、杜真子や馬小跳たちにも会えなくなるからです」
ぼくは、きっぱりとした声で、そう言った。
「そうか。だったら、わしもやはり、この町に残ることにする。おまえがそばにいなかったら、生きていても意味がないからな」
老いらくさんが、そう言った。それを聞いて、ぼくは、ほっとした。
「ぼくも姿が見えなかったここ数日、とても楽しかったです。でもこの間、妻猫には、ぼくの姿が見えないことで、とても寂しい思いをさせてしまいました。だから、ぼくはそろそろ、もとの姿に戻りたいと思っています」
ぼくはそう答えた。
「そうだな。わしもそう思う。透明生活だと、食べたいものは好き放題に食べることができるが、姿が見えないと子孫に威厳を見せられなくなるからな」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、いかにも老いらくさんらしいなと、ぼくは思った。
ぼくと老いらくさんは、おしゃべりをしながら、桜木横丁の中を歩いていた。桜木横丁の出入り口の近くでは、これまでと同じように、フェイナが飼い主さんを手伝って、桜の冠と首飾りを売っていた。フェイナは、桜模様のついたセーターを着て、頭には桜の冠をかぶり、首には桜のネックレスをつけていた。フェイナは自分のことを桜の妖精と呼んでいたが、そのようなイメージを彷彿させるような高貴な姿が人々の目を惹いていた。姿だけでなくて、客寄せをする動作も人々の目を惹いていた。前足を上げて後ろ足だけで立って、ぴょんぴょんと跳びはねながら、明るい声でワンワンと鳴いて、客に秋波を送っていたからだ。フェイナは感性豊かな犬だから、多くの人から見られていると思うと、うれしくてたまらなくなって、理性を失うところがある。多くの人の視線を浴びて、フェイナは興奮して我を忘れているように見えた。
でもフェイナの心の奥底にあるものは、今、見えているものとは違うかもしれないと、ぼくは思った。フェイナは、我を忘れるほど興奮する犬ではないからだ。フェイナの本当の気持ちを知るために、ぼくはミー先生の眼鏡をかけてフェイナを見ることにした。するとやはり、ぼくが思っていた通りだった。眼鏡の中に、フェイナの心のうちが、はっきりと見えてきた。フェイナは今の華やかな生活に酔っているところは少しもなくて、むしろ今の生活を嫌悪していた。フェイナは桜木横丁の中に住んでいて、春夏秋冬、それぞれの季節の美しさを知っているので、今の季節に桜はふさわしくないと思っていることも分かった。心の奥底にある本当の気持ちを抑えながら、周りの人たちと合わせて楽しんでいるふりをしているだけだということを知って、ぼくは心がうずいた。ぼくは老いらくさんに、フェイナの心情を話した。すると老いらくさんは
「そうか、フェイナの心のうちが、そうだとは、わしは思っていなかった」
と言って、重いため息をついていた。
「フェイナはもともと性格がとても上品な犬だから、あこぎなやり方でお金儲けをしようとしているこの桜木横丁の最近の情況にとても疲れていると思います」
ぼくはそう言った。
「そうかもしれないな」
老いらくさんが、ぼくの話に相づちを打った。
「フェイナの中にたまっている疲れを取って、もとのフェイナらしい生活を取り戻してあげるために何かよい方法はないでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「そうだなあ……」
老いらくさんは、しばらく考えにふけっていた。
「例えば、こういうのは、どうだろう」
老いらくさんがそう言った。ぼくは身を乗り出すようにして、老いらくさんの話に耳を傾けた。
「桜木横丁の中にある造花の桜を、夜間のうちに、わしらが全部取り払うのだ」
老いらくさんがそう言った。
「それはいい考えかもしれないですね。そうすれば花見客は集まってこないだろうし、今の時季にふさわしい静かな景観に戻ります。桜木横丁がもとの桜木横丁に戻ったら、フェイナのなかにたまっている疲れが取れるかもしれません。飼い主さんを手伝って、花の冠や首飾りを売る必要もないからストレスもなくなると思います。『思い立つ日が吉日』と言いますから、今夜のうちに桜木横丁の中にある桜の造花を全部取り払いませんか」
ぼくはそう言った。
「そうだな。そうしようか。わしとおまえだけで、一夜のうちに全部、取り払うのは到底無理だから、わしは、これから子孫を訪ねていって、協力を依頼することにする。おまえは日が沈んで辺りが暗くなってきたころ、桜木横丁に来なさい」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました。ぼくも協力します」
ぼくはそう答えた。それからまもなく、老いらくさんは、ぼくと別れて、この町のあちこちに住んでいる子孫たちのところへ出かけていった。ぼくは翠湖公園に帰っていった。
日が暮れて、町の明かりが灯り始めたころ、ぼくは、いそいそとしながら桜木横丁へ再び出かけて行った。するともうすでにネズミたちがたくさん集まっていて、グループごとに別れて、桜の木に登って、造花の桜を落とす作業を始めていた。老いらくさんが、ぼくのところにやってきて
「おまえは下に落とされた造花が結んである銅線をくわえていってゴミ箱の中に捨ててくれ」
と、ぼくに言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、さっそく、ぼくに割り当てられた仕事を始めた。多数の花見客を見込んで、桜木横丁の中には多くのゴミ箱が置かれていたので、ぼくの仕事は、はかどった。一晩中、深い霧に覆われていたので、ぼくやネズミたちが作業をしている姿は人に気づかれることはなかった。
夜がしらじらと明け始めたころ、ほとんどの桜の木から、造花の桜を取り払うことができた。それでもまだ何本かの桜の木には造花が残っていた。夜が明けても辺りには、朝霧がまだ深く立ち込めていたから、ネズミたちは姿を見られないまま、最後の仕事に取り掛かっていた。八時ごろ霧はようやく晴れて視界がきくようになった。そのころまでにはすべての桜の木から造花を落とすことができた。丸坊主になった桜の木を見ながら、一仕事を成し遂げた喜びがあふれてきて、ぼくも老いらくさんも晴れやかな顔をしていた。老いらくさんの子孫たちも、みんな、さっぱりしたような顔をしていた。老いらくさんは手伝ってくれた子孫たちに、ねぎらいの言葉をかけていた。それからまもなく老いらくさんの子孫たちは桜木横丁の中から風のように去っていった。
老いらくさんが、ぼくに
「これですっきりしたな。ちょっと寂しくなったが、この景観が今の季節に一番ふさわしい景観だ」
と言った。
「そうですね。ぼくもそう思います」
ぼくはそう答えた。
それからまもなく桜木横丁の中に住んでいる人たちが家の外に出てきて、桜の木を見てびっくりしていた。一夜のうちに起きた異変に、みんな信じられないような顔をしていた。フェイナの飼い主さんも、それからまもなく、フェイナを連れて、朝の散歩にやってきた。桜の木に花がないのに気がついて、フェイナの飼い主さんが
「えー、どうして」
と、とんきょうな声をあげていた。フェイナも、狐につまされたような顔をしながら桜の木を見ていた。
「フェイナに、わしや、わしの子孫や、おまえが力を合わせて造花を取り払ったことを教えてあげたらどうだ」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。でも、ぼくの姿は見えないから、声をかけたら、びっくりするのではないでしょうか」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
「そうだな、そうかもしれないな」
老いらくさんがそう言った。
ぼくは結局、フェイナに声をかけなかった。
フェイナは今は、朝の散歩中だから桜模様のついたセーターを着ていなかった。桜の冠もかぶっていなかった。桜のネックレスもつけていなかった。しかしそれでも、とても優雅に見えた。フェイナがもともと持っている高貴な気品が、朝日の中で、まばゆいほどにきらきらと輝いていたからかもしれない。これこそ、フェイナのフェイナらしいところであり、フェイナの本来の姿のように思えた。桜木横丁に造花の桜がなくなったから、フェイナはこれからは美しく着飾って客寄せをする必要はなくなった。自分の本心を偽って、桜の妖精としてふるまっていたフェイナの張りつめていた気持ちが、解きほぐされて、以前のような情にあふれた優しい性格に戻ってくれることを、ぼくも老いらくさんも心から望んでいた。
ぼくと老いらくさんは万年亀が施してくれた透明術や、ミー先生の眼鏡のおかげで、桜木横丁の中を安全に探索しながら、隠された真相を知ることができた。不正なことをしている人がいたので、ぼくも老いらくさんも姿を隠したまま、その人たちを不安な気持ちに陥らせて悪事をやめさせることもできた。桜木横丁の中には、まだまだ何か怪しいことがありそうだから、もっと探索を続けたり、外からは見えにくい真相を暴きたいと、ぼくも老いらくさんも思っていた。しかし万年亀は世界中を流浪する亀だから、いつまでもこの町にはいない。天に出かけているミー先生もいつこの町に帰ってくるか分からない。それを思うと、そろそろ万年亀のところに行って透明術を解いてもらったり、シャオパイのうちへ行って、ミー先生の眼鏡を返さなければならない。ぼくも老いらくさんも、そのことがよく分かっていた。
「姿が見えなかったここ数日、とても楽しかったなあ。できたら、これからもずっと姿が見えないままでいたいなあ」
老いらくさんが、おかしなことを言った。それを聞いて、ぼくは思わず、笑ってしまった。
「何がそんなに、おかしいのだ?」
老いらくさんが、不機嫌そうな顔をしながら、そう言った。
「だって、あまりにも唐突だったから」
ぼくはそう答えた。
「そうか。でも姿が透明だと、食べたいものを盗み食いしても見つからないから楽しいではないか。もしわしが、万年亀といっしょに、この町を出て流浪すれば、おいしいものを見つけた時には万年亀にお願いしてわしの体を透明にしてもらって、食べたいものをたらふく食べることができる」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくは思わず高笑いした。
「老いらくさんらしいですね。でも、老いらくさんが、この町からいなくなったら、ぼくはとても寂しいです」
ぼくはそう言った。それを聞いて、老いらくさんは、はっとしたような顔をしてから
「わしも、おまえが、そばにいなかったら、とても寂しい。よかったら、おまえも、わしといっしょに万年亀のあとについていって流浪しないか」
と言った。ぼくはすぐに首を横に振った。
「それは絶対にできません。ぼくがこの町を出ていったら妻猫がとても寂しい思いをするだろうし、杜真子や馬小跳たちにも会えなくなるからです」
ぼくは、きっぱりとした声で、そう言った。
「そうか。だったら、わしもやはり、この町に残ることにする。おまえがそばにいなかったら、生きていても意味がないからな」
老いらくさんが、そう言った。それを聞いて、ぼくは、ほっとした。
「ぼくも姿が見えなかったここ数日、とても楽しかったです。でもこの間、妻猫には、ぼくの姿が見えないことで、とても寂しい思いをさせてしまいました。だから、ぼくはそろそろ、もとの姿に戻りたいと思っています」
ぼくはそう答えた。
「そうだな。わしもそう思う。透明生活だと、食べたいものは好き放題に食べることができるが、姿が見えないと子孫に威厳を見せられなくなるからな」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、いかにも老いらくさんらしいなと、ぼくは思った。
ぼくと老いらくさんは、おしゃべりをしながら、桜木横丁の中を歩いていた。桜木横丁の出入り口の近くでは、これまでと同じように、フェイナが飼い主さんを手伝って、桜の冠と首飾りを売っていた。フェイナは、桜模様のついたセーターを着て、頭には桜の冠をかぶり、首には桜のネックレスをつけていた。フェイナは自分のことを桜の妖精と呼んでいたが、そのようなイメージを彷彿させるような高貴な姿が人々の目を惹いていた。姿だけでなくて、客寄せをする動作も人々の目を惹いていた。前足を上げて後ろ足だけで立って、ぴょんぴょんと跳びはねながら、明るい声でワンワンと鳴いて、客に秋波を送っていたからだ。フェイナは感性豊かな犬だから、多くの人から見られていると思うと、うれしくてたまらなくなって、理性を失うところがある。多くの人の視線を浴びて、フェイナは興奮して我を忘れているように見えた。
でもフェイナの心の奥底にあるものは、今、見えているものとは違うかもしれないと、ぼくは思った。フェイナは、我を忘れるほど興奮する犬ではないからだ。フェイナの本当の気持ちを知るために、ぼくはミー先生の眼鏡をかけてフェイナを見ることにした。するとやはり、ぼくが思っていた通りだった。眼鏡の中に、フェイナの心のうちが、はっきりと見えてきた。フェイナは今の華やかな生活に酔っているところは少しもなくて、むしろ今の生活を嫌悪していた。フェイナは桜木横丁の中に住んでいて、春夏秋冬、それぞれの季節の美しさを知っているので、今の季節に桜はふさわしくないと思っていることも分かった。心の奥底にある本当の気持ちを抑えながら、周りの人たちと合わせて楽しんでいるふりをしているだけだということを知って、ぼくは心がうずいた。ぼくは老いらくさんに、フェイナの心情を話した。すると老いらくさんは
「そうか、フェイナの心のうちが、そうだとは、わしは思っていなかった」
と言って、重いため息をついていた。
「フェイナはもともと性格がとても上品な犬だから、あこぎなやり方でお金儲けをしようとしているこの桜木横丁の最近の情況にとても疲れていると思います」
ぼくはそう言った。
「そうかもしれないな」
老いらくさんが、ぼくの話に相づちを打った。
「フェイナの中にたまっている疲れを取って、もとのフェイナらしい生活を取り戻してあげるために何かよい方法はないでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「そうだなあ……」
老いらくさんは、しばらく考えにふけっていた。
「例えば、こういうのは、どうだろう」
老いらくさんがそう言った。ぼくは身を乗り出すようにして、老いらくさんの話に耳を傾けた。
「桜木横丁の中にある造花の桜を、夜間のうちに、わしらが全部取り払うのだ」
老いらくさんがそう言った。
「それはいい考えかもしれないですね。そうすれば花見客は集まってこないだろうし、今の時季にふさわしい静かな景観に戻ります。桜木横丁がもとの桜木横丁に戻ったら、フェイナのなかにたまっている疲れが取れるかもしれません。飼い主さんを手伝って、花の冠や首飾りを売る必要もないからストレスもなくなると思います。『思い立つ日が吉日』と言いますから、今夜のうちに桜木横丁の中にある桜の造花を全部取り払いませんか」
ぼくはそう言った。
「そうだな。そうしようか。わしとおまえだけで、一夜のうちに全部、取り払うのは到底無理だから、わしは、これから子孫を訪ねていって、協力を依頼することにする。おまえは日が沈んで辺りが暗くなってきたころ、桜木横丁に来なさい」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました。ぼくも協力します」
ぼくはそう答えた。それからまもなく、老いらくさんは、ぼくと別れて、この町のあちこちに住んでいる子孫たちのところへ出かけていった。ぼくは翠湖公園に帰っていった。
日が暮れて、町の明かりが灯り始めたころ、ぼくは、いそいそとしながら桜木横丁へ再び出かけて行った。するともうすでにネズミたちがたくさん集まっていて、グループごとに別れて、桜の木に登って、造花の桜を落とす作業を始めていた。老いらくさんが、ぼくのところにやってきて
「おまえは下に落とされた造花が結んである銅線をくわえていってゴミ箱の中に捨ててくれ」
と、ぼくに言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、さっそく、ぼくに割り当てられた仕事を始めた。多数の花見客を見込んで、桜木横丁の中には多くのゴミ箱が置かれていたので、ぼくの仕事は、はかどった。一晩中、深い霧に覆われていたので、ぼくやネズミたちが作業をしている姿は人に気づかれることはなかった。
夜がしらじらと明け始めたころ、ほとんどの桜の木から、造花の桜を取り払うことができた。それでもまだ何本かの桜の木には造花が残っていた。夜が明けても辺りには、朝霧がまだ深く立ち込めていたから、ネズミたちは姿を見られないまま、最後の仕事に取り掛かっていた。八時ごろ霧はようやく晴れて視界がきくようになった。そのころまでにはすべての桜の木から造花を落とすことができた。丸坊主になった桜の木を見ながら、一仕事を成し遂げた喜びがあふれてきて、ぼくも老いらくさんも晴れやかな顔をしていた。老いらくさんの子孫たちも、みんな、さっぱりしたような顔をしていた。老いらくさんは手伝ってくれた子孫たちに、ねぎらいの言葉をかけていた。それからまもなく老いらくさんの子孫たちは桜木横丁の中から風のように去っていった。
老いらくさんが、ぼくに
「これですっきりしたな。ちょっと寂しくなったが、この景観が今の季節に一番ふさわしい景観だ」
と言った。
「そうですね。ぼくもそう思います」
ぼくはそう答えた。
それからまもなく桜木横丁の中に住んでいる人たちが家の外に出てきて、桜の木を見てびっくりしていた。一夜のうちに起きた異変に、みんな信じられないような顔をしていた。フェイナの飼い主さんも、それからまもなく、フェイナを連れて、朝の散歩にやってきた。桜の木に花がないのに気がついて、フェイナの飼い主さんが
「えー、どうして」
と、とんきょうな声をあげていた。フェイナも、狐につまされたような顔をしながら桜の木を見ていた。
「フェイナに、わしや、わしの子孫や、おまえが力を合わせて造花を取り払ったことを教えてあげたらどうだ」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。でも、ぼくの姿は見えないから、声をかけたら、びっくりするのではないでしょうか」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
「そうだな、そうかもしれないな」
老いらくさんがそう言った。
ぼくは結局、フェイナに声をかけなかった。
フェイナは今は、朝の散歩中だから桜模様のついたセーターを着ていなかった。桜の冠もかぶっていなかった。桜のネックレスもつけていなかった。しかしそれでも、とても優雅に見えた。フェイナがもともと持っている高貴な気品が、朝日の中で、まばゆいほどにきらきらと輝いていたからかもしれない。これこそ、フェイナのフェイナらしいところであり、フェイナの本来の姿のように思えた。桜木横丁に造花の桜がなくなったから、フェイナはこれからは美しく着飾って客寄せをする必要はなくなった。自分の本心を偽って、桜の妖精としてふるまっていたフェイナの張りつめていた気持ちが、解きほぐされて、以前のような情にあふれた優しい性格に戻ってくれることを、ぼくも老いらくさんも心から望んでいた。

