怪しい町

天気……秋が深まってくるとともに、翠湖公園の中にある落葉樹は、木の葉が、はらはらと散っていき、地面の上には赤や黄色の枯葉が厚く積もって、じゅうたんを敷いたように、ふかふかとしていた。

一年のうちで、ぼくは今の時季が一番好きだ。地面に散り敷いた枯葉の上を歩いていると、心地よい音がして、楽しくなるからだ。翠湖公園の中には落葉樹がたくさんあるので、木々の枝から枯葉が散り始めるころになると、ぼくの心は、いつもそわそわしてくる。ぼくが一番好きな散歩コースはイチョウ林の中にある小道の上を歩くことだ。今の時季は、小道全体が黄色い葉に埋め尽くされているので、見ているだけでも、とてもロマンティックな気分になる。妻猫もイチョウ林の中がとても好きだから、天気のよい日には、ぼくはよく妻猫と連れ立ってイチョウ林へ出かけていって、深まりゆく秋の日差しを体いっぱいに浴びながら、木の下に寝転がって、ひなたぼっこをしている。
翠湖公園の中には、この時季、ぼくがよく出かけていく、もう一つの散歩コースがある。アオギリ林だ。アオギリの葉はイチョウの葉よりも大きいし、葉の形も違うので、イチョウの葉とは異なった趣がある。踏んだ時に感じる音も、イチョウの葉を踏んだ時に感じる音とは違っている。イチョウの葉を踏んだ時は、きゅっきゅっきゅっと軽やかなソプラノの音がする。アオギリの葉を踏んだ時は、ぎゅっぎゅっぎゅっと重厚なアルトの音がする。音の違いを感じながら、二つの林の中を散策するのも、この時季ならではの、ぼくや妻猫の楽しみの一つだ。
ぼくの親友である老いらくさんはアオギリ林の中で、枯葉を踏みながら感傷に浸ることが好きだから、秋が深まってくると、毎日、アオギリ林に出かけていく。ぼくは最近、妻猫と散策することが多くて、老いらくさんとはあまり会っていなかったので、今日は久しぶりに老いらくさんと会って、しみじみとした気持ちで四季の移ろいについて話をしたいと思っていた。
妻猫といっしょに昼ご飯を食べた後、ぼくはひとりでアオギリ林へ出かけていった。ところがアオギリ林の中を端から端まで歩いても、老いらくさんの姿を見かけることができなかった。仕方がないから、うちへ帰ろうと思って、アオギリ林を出て、うちがある方へ向かってしばらく歩いていた。すると公園の出入り口付近にある眼鏡橋の上をぴょんぴょん跳びはねながら公園の中に入ってくる老いらくさんの姿が目に入った。ぼくは急いで老いらくさんのほうへ走っていった。老いらくさんも、ぼくに気がついて走ってきた。
「老いらくさん、どこへ行っていたのですか。アオギリ林の中にいるものと思って、林の中をずっと探していました」
ぼくは開口一番、老いらくさんに、そう言った。
「そうか、それはすまなかったな」
老いらくさんが申し訳なさそうな顔をしていた。
「わしは今、桜木横丁から帰ってきたところだ」
老いらくさんがそう答えた。
「桜木横丁ですか。あの横丁へ何をしにいったのですか」
ぼくはけげんに思って聞き返した。
「お前は頭がよいから推測してみろよ」
老いらくさんが、すぐには答えないで、もったいぶって、逆に聞いてきた。
「さあ、どうしてでしょう。分かりません。もしかしたらフェイナに会いにいったのではないですか。あの横丁にはフェイナが住んでいるから」
ぼくは、当て推量でそう答えた。フェイナというのは、ぼくや老いらくさんが知っているプードル犬の名前だ。
「違うよ」
老いらくさんが首を横に振りながら、そう答えた。
「わしには犬の言葉は話せないから、フェイナに会ったところで話ができないではないか」
老いらくさんが白い目でぼくを見ていた。
「だったら何をしに行ったのですか」
ぼくはもう一度、老いらくさんに聞いた。
「桜木横丁の名物といったら何だか、お前もよく知っているだろう?」
老いらくさんがそう聞いた。
「もちろん知っていますよ。桜の木がたくさんあって、春になると花が豪華絢爛に咲き誇って、たくさんの花見客でにぎわうところですよね」
ぼくはそう答えた。
「そうだよ、その通りだよ。ところが今、何と、桜が満開になって咲いているのだ。春と同じように、たくさんの花見客でにぎわっていて、足の踏み場もないほど、ごった返している」
老いらくさんが興奮冷めやらないような顔をしながら、そう言った。
「うそでしょう、そんなことがありうるのですか」
ぼくはにわかには信じられなくて、ぽかんとした顔をしていた。
「桜のなかには秋にも咲く桜や、狂い咲きをする桜もあるから、今の時季に桜が咲くことも考えられないことはない。しかしそれにしても、咲きぶりが、あまりにも見事すぎた。わしは長年、この町に住んでいるから桜木横丁のこともよく知っているが、桜木横丁の桜が秋に咲いたことは、これまで一度もなかった」
老いらくさんも、あ然とした顔をしていた。
老いらくさんの話を聞いて、ぼくは居ても立ってもいられなくなった。
「『百聞は一見に如かず』と言うから、ぼくもこの目で実際に見てみたいです」
ぼくは好奇心にかきたてられながら、そう言った。
「そうか、それなら、これから、わしといっしょに桜木横丁へ行かないか」
老いらくさんの提案に、ぼくは
「うん、うん」
と二つ返事で答えた。
それからまもなく、ぼくは老いらくさんといっしょに翠湖公園の眼鏡橋を渡って公園の外に出て、町の中へ入っていった。桜木横丁は翠湖公園からそれほど遠くないところにあるので、二十分ほどで着くことができた。老いらくさんが言った通りに、桜木横丁の通りの両側に整然と植えられている桜の木は見事なほどに、花が咲き誇っていた。花の下を楽しそうに歩いている人たちの姿が見えたり、桜の木を背景にして写真を自撮りしている人もいた。
(何なのだ、この光景は)
ぼくには到底、理解しがたい光景だった。まるで夢を見ているようにしか思えなかった。
茫然としているぼくに気がついて、老いらくさんが
「わしも初めて見たときはまるっきり信じられなくて、夢か幻ではないかと思った。顔をつねったら、痛かったので、やはりこれは現実の光景なのだと思うしかなかった」
と言った。
「わしはこれまで、ずいぶん長く生きてきたので、信じられないようなことも、たびたび見たり聞いたりしてきた。夏に山の上に雪が積もっているという話や、冬に海や川で寒中水泳をする人がいるという話も聞いたことがある。しかし秋に桜がこれほど派手に咲いているのは見たことがない。聞いたこともない」
老いらくさんが、そう言って驚愕していた。
立錐の余地もないほど混雑している横丁の中に、ぼくと老いらくさんは人とぶつからないように、右によけたり、左によけたりしながら入っていった。それでも何度か人の足と接触したり、蹴とばされたりした。老いらくさんは、危うく体を踏まれそうになって、ぎゃーっと悲鳴をあげたりもしていた。
「笑い猫、これでは花見どころではないな。わしは踏み殺されるかと思ったよ」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。みんな上ばかり見て歩いているから、足元には注意がいかなくて、ぼくや老いらくさんがいることに気がついていない人がほとんどです」
ぼくはそう答えた。
「あれっ、あそこにいるのは、フェイナではないのか」
横丁の出入り口付近に露店があって、その露店のほうを見ていた老いらくさんがそう言った。露店の中には仙女の服に着飾った女の人がいて、花の冠や首飾りを売っていた。見覚えのある人だった。
(あっ、あの人はフェイナの飼い主さんだ)
ぼくはすぐにそう思った。飼い主さんの横には、花の冠をかぶって、花の首飾りをして、お洒落なセーターを着ているプードル犬がいた。
「あれは確かにフェイナです。もっと近くに行ってみましょう」
ぼくは老いらくさんに、そう誘いかけた。
「うん、そうしよう」
老いらくさんがうなずいた。
それからまもなく、ぼくと老いらくさんは、人だかりがしているなかを、そろそろと露店のほうに近づいていった。きれいな仙女の服に身をまとっている飼い主さんの姿は人目を引いていたが、それ以上にフェイナのあでやかな姿が人目を引いていた。飼い主さんは威勢のいい売り声を出さないでじっとしていたが、フェイナの美しい姿に魅了されて、人がたくさん露店の前に集まってきていて、花の冠や首飾りが飛ぶように売れていた。花はすべて造花でこしらえた桜だった。買った人は、すぐに身につけて、楽しそうな顔をしながら横丁の中に入っていった。
しばらくしてからフェイナが、ぼくと老いらくさんに気がついて
「おー、誰かと思ったら……」
と声をあげた。フェイナは一瞬、びっくりしたような顔をしていたが、すぐに冷静さを取り戻して、何事もなかったかのような顔をしながら、人にこびるようなポーズを取って、飼い主さんが花の冠や首飾りを売るのに一役も二役も買っていた。ぼくと老いらくさんは、その様子を、そばでじっと見ていた。
日が暮れて、外が暗くなってくると、花見にやってくる人の数が、だんだん少なくなってきた。フェイナの飼い主さんは露店を閉めて、うちへ帰る準備を始めていた。花の冠や首飾りは、ほとんど売り切れてしまっていたので、飼い主さんもフェイナも、とても満足したような顔をしていた。飼い主さんが売上高を数えている間に、フェイナが、ぼくと老いらくさんの近くにやってきた。
「今日のおまえは一段ときれいだね」
ぼくがそう言うと、フェイナは、にんまりしていた。
「ありがとう。笑い猫にそう言ってもらえると、とてもうれしいわ」
フェイナが嬉々とした顔でそう答えた。
「おまえの飼い主さんが、今、ここで、こんな商売をしているとは思ってもいなかったよ。威勢のいい売り声は出していなかったが、おまえのおかげで、商品がたくさん売れてよかったな」
ぼくはフェイナにそう言った。
「ありがとう。わたしには生まれつき人を惹きつける魅力が備わっているし、その上に、きれいな服を着たり、美しい冠をかぶったり、お洒落な首飾りをしたら、人はますます、わたしの魅力に惹きつけられていくのでしょうね」
フェイナが自画自賛していた。
「もしかしたら、笑い猫の気持ちも魅了したから、笑い猫は、さっきからずーっとここにいて、わたしに秋波を送っていたの?」
フェイナがそう聞いた。
「何を言っているのか。ぼくは、おまえに秋波は送らないよ」
ぼくは、不愉快そうに、そう答えた。
「だったら、どうして、ここに来たの?」
フェイナが聞いた。
「老いらくさんが、桜木横丁に桜が咲いたという情報を持ってきてくれたから、本当かどうか確かめに来たのだ」
ぼくはそう答えた。
「そうだったの。確かにおかしいかもしれないけど、桜のなかには秋に咲く桜もあるわ。知らないの」
フェイナがそう言った。
「知っているよ。でもこの桜木横丁にある桜が秋に咲いたことは、これまで一度もなかっはずだ。老いらくさんがそう言っている」
ぼくはそう答えて引かなかった。
「……」
フェイナは一瞬、答えに詰まっていたが
「狂い咲きということもあるから、それかもしれないじゃない。地球の温暖化現象で環境が少しずつ変わってきているから」
と言った。
「そうかなあ、狂い咲きにしては、あまりにも見事な咲きぶりだから」
ぼくはそう答えた。
「桜のことを、いろいろと詮索しないでほしいわ。わたしは今、とても満たされた気持ちでいるのだから」
フェイナが、不機嫌そうな顔をしながらそう言った。
「冠や首飾りをたくさん売り上げて、そんなにうれしいのか」
ぼくは聞いた。
「だって、飼い主さんの役に立つことほど、犬にとってうれしいことはないから」
フェイナがそう答えた。
「そうか。忠犬としての生き方ができていることで満たされた気持ちになっているのか」
ぼくはそう言った。
「そうよ。わたしは桜の妖精。飼い主さんは桜姫。まるでメルヘンの世界にいるようで、とても楽しいし、とても満たされているの」
フェイナがそう言った。
「そうか、それなら、桜のことをあまり詮索しないことにする。でもいつかきっと、桜の秘密を暴いてやる」
ぼくはフェイナにそう言った。
その時、フェイナの飼い主さんが、フェイナを呼ぶ声が聞こえてきた。
「飼い主さんが呼んでいるから、そろそろ、うちへ帰るわ。暗くなってきたから、笑い猫も気をつけて、うちへ帰ってね」
フェイナがそう言った。
「分かった。ではいつかまた会おう」
ぼくはフェイナにそう答えた。
それからまもなくフェイナは、飼い主さんのもとへ走っていった。