怪しい町

天気……昨夜は一晩中、強い風が吹いて、翠湖公園の中にある木の枝に最後まで残っていた木の葉はすべて吹き飛ばされてしまった。冬将軍の到来も間近となった。

博士と女の人は天才児育成センターの玄関の前に張り紙を貼ったあと、再び中に入っていった。ぼくと老いらくさんは玄関の外で人がやってくるのを待っていた。
午後の三時過ぎに、今日最初の親子がやってきて、張り紙を読んでびっくりしていた。
「どういうことなのでしょう。昨日までは何も聞かされていなかったのに」
お母さんが、けげんそうな顔をして、そう、つぶやいていた。
「お母さん、どうしたの。何と書かれてあるの?」
女の子が聞いていた。
「『都合により当面の間、休業します。お金は返金します』と、書かれてあるわ」
お母さんが、そう答えていた。
「えっ、そうなの?」
女の子が聞き返していた。お母さんは、うなずいていた。それからまもなくお母さんが玄関のインターホンを押していた。中から女の人が出てきて
「どうぞお入りください」
と言って、親子を建物の中に入れていた。十分ほどで親子は再び建物の中から出てきて、うちへ帰っていった。後ろ姿を見ながら、ぼくは老いらくさんに
「老いらくさんや、老いらくさんの子孫がひと騒ぎ起こしたことで、博士と女の人はおびえて休業に追い込まれました。あの親子はだまされているとも知らないで、お金をたくさんつぎ込みましたが、お金を取り戻すことができてよかったです。老いらくさんはとてもよいことをしました」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「そうか。おまえがそう言ってくれたら、わしはうれしい。でも、あの親子の後ろ姿を見ていると、どことなく寂しそうに見えるが、どうしてだろう?」
老いらくさんが遠ざかっていく親子を見ながら、そう言った。
「理由は、はっきりとは分かりませんが、もしかしたら、天才児という言葉に惹かれて、そうなることを期待していたからかもしれません」
ぼくは親子の気持ちを想像しながらそう答えた。
「そうかもしれないな」
ぼくの話に老いらくさんが相づちを打った。
それからまもなく安琪儿のお母さんと安琪儿もやってきた。玄関の張り紙を見て、あぜんとした顔をしていた。
「今日から訓練が始まるので、楽しみにしてやってきたのに……」
安琪儿のお母さんは、まるで魂を奪われたように、ぼんやりとした顔をしていた。老いらくさんがそれを見て
「安琪儿のお母さんも、思いがけない出来事に、ぼうぜんとしているなあ」
と言った。
「そうですね。博士が安琪儿のことを『この子は素晴らしい潜在能力を秘めている。このセンターでしっかり教育を受ければ持っている天分が花開いて天才になれる』と言っていたから、安琪儿のお母さんはそれを真に受けて、ほかの親以上に訓練をさせたく思っていたのかもしれません」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「そうかもしれないな」
老いらくさんがやりきれないような顔をしながら、そう言った。
安琪儿のお母さんは、それからまもなく建物の玄関のインターホンを押した。中から女の人が出てきて
「どうぞ、お入りください」
と声をかけたので安琪儿と安琪儿のお母さんは建物の中に入っていった。しばらくしてから安琪儿と安琪儿のお母さんは建物の中から出てきた。安琪儿のお母さんは、わびしそうな顔をしていたが、安琪儿は、うれしそうな顔をしていた。
「お母さん、わたしのことはもういいから、そのお金でお父さんが新しい車を買うための代金の一部に充ててよ」
安琪儿がそう言った。それを聞いて安琪儿のお母さんが不機嫌そうな顔をしながら
「誰がそんなものに使いますか。あなたを天才児にするために使うほうがずっと有効な使い方です」
と答えていた。
安琪儿のお母さんと安琪儿の会話の内容を、ぼくは老いらくさんに、声をひそめながら話して聞かせた。
「そうか、考え方がまったく合っていないのだなあ」
老いらくさんが小声でそう答えていた。
「これから二人はどうするのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「安琪儿のお母さんのことだから、まだあきらめきれなくて、安琪儿をどこかに連れていくかもしれない」
老いらくさんがそう答えた。
「そうかもしれませんね。でも、これまで二度もだまされたから、これ以上、だまされてほしくないです」
ぼくはそう答えた。
「わしもそう思う。しかし『二度あることは三度ある』と言うから、けっして油断してはならない」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。この桜木横丁の中には最近、怪しいところがたくさんできてきたので、目を光らせていなければなりません」
ぼくは老いらくさんに、そう答えた。
「そうだな。わしもそう思う」
老いらくさんがそう答えた。
安琪儿のお母さんと安琪儿は天才児育成センターを出たあと、花見客でにぎわっている桜木横丁の中を帰っていった。ぼくと老いらくさんは、あとからついていくことにした。ぼくも老いらくさんも、今は透明になっているから、あとをついていっても、姿を見られることはなかった。
安琪儿のお母さんと安琪儿は桜木横丁の中に出ている店をあちこち見ながら歩いていた。しばらくすると、前方に、人だかりがしているところが見えてきた。子ども連れの人の姿もたくさんあった。
「あれっ、人がたくさんいる。どうしてだろう?」
安琪儿のお母さんが、けげんそうな顔をしながら、そう言ってから、安琪儿の手をひいて人だかりがしているほうに近づいていった。本屋の前にたくさんの人がいて、まるで市場の中で野菜や肉や魚を競り落とそうとしているかのように「わたし、それを買いまーす」と言って、威勢よく手を挙げていた。
人だかりの中から出てきた女の人がいたので、安琪儿のお母さんが
「どうして人がこんなにたくさんいるのですか?」
と聞いていた。
「この本屋では今、大学受験に役立つ指南書を売っています。一流大学に合格した学生が子どもの頃から使った参考書や、子どもの頃からおこなった勉強の仕方や、大学入試の模範作文などを書いた指南書です。『コピーはとっていないので同じものはない』と、店長が言っています」
女の人がそう答えていた。
「どうしてそんなに人気があるのでしょうか」
安琪儿のお母さんが聞き返していた。
「群集心理というものかもしれません。ある人が買うと、それにつられて、ほかの人も買いたいという衝動に駆られるようです。わたしも、その一人ですが」
と言って、女の人が苦笑いしていた。
「お買いになられたのですか?」
安琪儿のお母さんが聞いていた。
「買いました」
女の人がそう答えていた。
「ちょっと見せていただけませんか?」
安琪儿のお母さんが聞いていた。
「いいですよ」
女の人はそう答えてから、買ったばかりの指南書を安琪儿のお母さんに見せていた。本というよりも、冊子といったほうがふさわしいような簡易な私製の文書だった。それでも安琪儿のお母さんは興味深そうな顔をしながら、指南書を一ページ、一ページ、ていねいにめくっていた。
「レポート用紙に書いたものをホチキスでとじただけの文書だから、見かけはとても貧弱に見えます。でも合格者本人が手書きで書いているところからは、直筆のぬくもりが伝わってきます。作文も素晴らしいです。わたしも買うことにします」
安琪儿のお母さんがそう答えていた。安琪儿のお母さんは、指南書を女の人に返すと、安琪儿に
「お母さんも指南書を買ってくるから、ここで待っていて」
と言っていた。それを聞いて安琪儿は
「買わないでいいわ。うちには勉強の仕方を書いた本がたくさんあるし、わたしはまだ全部読んでいないから」
と答えていた。
「何を言っているのよ。あれらの本と、ここで売っている指南書は違うのよ」
安琪儿のお母さんがそう答えていた。
「どう違うの?」
安琪儿がけげんそうな顔をしながら聞き返していた。
「あれらの本は誰でも読むことができる本。ここで売っている指南書は買った人だけしか読むことができないもの」
安琪儿のお母さんが、そう説明していた。
「誰が書いたの?」
安琪儿が聞いていた。
「一流大学に合格した学生が書いた」
安琪儿のお母さんが、そう答えていた。
「わたしがその指南書を読んでも一流大学に合格できるとは限らないわ」
安琪儿がそう言った。それを聞いて安琪儿のお母さんは、いらいらしたような顔をしながら
「もう、あなたと、これ以上、話をしても、らちが明かない。早く買いに行かないと、ほかの人にみんな買われてしまう」
と言って、安琪儿との話を打ち切って、人だかりの中に入っていった。ぼくと老いらくさんも、人だかりの中に入っていった。店長が、威勢のいい声で指南書を売っている姿が見えた。
「さあ、買った、買った。早く買わないと、買いそびれてしまうよ」
店長が、両手に指南書を高く掲げ持って、そう言っていた。
「わたし、買いまーす」
安琪儿のお母さんが、人だかりの中から、ひときわ大きな声で、そう言っていた。
「分かりました。どの指南書を買いますか?」
店長が聞いていた。
「どんな指南書があるのですか?」
安琪儿のお母さんが聞き返していた。
「国立大学や省立大学や市立大学に合格した学生が書いた指南書があります」
店長がそう答えていた。
「値段も違うのですか?」
安琪儿のお母さんが聞いていた。
「違います。国立大学の学生が書いた指南書は一冊三百元、省立大学の学生が書いた指南書は一冊二百元、市立大学の学生が書いた指南書は一冊百元です」
店長がそう答えていた。
「高いですね」
安琪儿のお母さんが、ため息をついていた。
「そんなことはないと思います。いい大学にお子さんを入学させようと思ったら、それくらいの投資はしなければなりません」
店長がそう答えていた。
「分かります。でも思っていた以上だったから」
安琪儿のお母さんがそう言った。
「指南書はすべて私製だし、コピーは取っていないから、同じものはありません。作文問題はすべて試験の採点者が赤で訂正したものが書かれています。過去十年間に出題された作文のテーマに基づいた作文を、合格した学生が書いてくれました。これを覚えたら、作文問題に関しては、ほぼ間違いなく合格できると思います」
店長がそう言った。
「分かりました。では買うことにいたします。国立大学の学生が書いた指南書を五冊ください」
安琪儿お母さんが、そう答えていた。
「分かりました。では国立大学の中でも超一流大学である北京大学に合格した五人の学生が書いてくれた指南書を、お母さんにお売りいたします。お子さんが北京大学に合格されることを心から願っております」
店長がそう答えていた。それを聞いて安琪儿のお母さんはとてもうれしそうな顔をしながら
「ありがとうございます」
と答えていた。
安琪儿のお母さんは、代金と引き換えに指南書を受け取ると、大事そうに抱えながら、人だかりをかき分けるようにして安琪儿のところに戻って来た。
「安琪儿、買ってきたわよ。この指南書に書かれていることをしっかり頭に入れて勉強すれば、あなたも一流大学に合格できるから、頑張りなさい」
安琪儿のお母さんがそう言っていた。お母さんの話を安琪儿は、うわのそらで聞いていた。安琪儿が、ぼうっとしているのに気がついて、安琪儿のお母さんが
「ちゃんと聞いているの」
と、叱るような声で言っていた。
「聞いているわよ。頑張ればいいのでしょう、頑張れば」
安琪儿はお母さんと視線を合わせないで、つぶやくように、そう答えていた。
安琪儿のお母さんと安琪儿は、それからまもなく、うちへ帰っていった。安琪儿と安琪儿のお母さんの後ろ姿が見えなくなったあと、老いらくさんが
「たくさんの人がいるけど、ベストセラーの小説でも売っているのか」
と、ぼくに聞いた。
「受験のための指南書を売っているようです」
ぼくはそう答えた。
「そんなものが、どうして飛ぶように売れているのか」
老いらくさんが、けげんそうな顔をしながら聞き返した。
「一流大学の学生が書いたものを私製した指南書で、同じものはないと、店長が言っています。それを聞いて買わなければ損だと思って、先を争うようにして買っているみたいです」
ぼくはそう説明した。老いらくさんはそれでもまだ合点がいかないような顔をしていた。
「そんなに売れる指南書だったら、同じものを幾つも複製して売ったら儲かるだろうに、どうして、そうしないのだろうか」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。ぼくもそう思います」
ぼくはそう答えた。
「この本屋にはどことなく怪しい雰囲気がする。本屋の中を調べてみないか」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。店長には、どこか、うさんくさいところがあるように、ぼくも感じます。ぼくも本屋の中を調べてみたいと思います」
ぼくはそう答えた。ぼくと老いらくさんは、そのあと、人だかりのなかに入っていって、本屋のすぐ前までいった。ぼくと老いらくさんの姿は透明で見えないので、店長に気づかれることはなかった。