怪しい町

天気……お昼を過ぎると霧は晴れて、温かい陽ざしが大地を照らし、周りの景色がはっきりと見えるようになってきた。

安琪儿と安琪儿のお母さんは昼ご飯を食べたあと、再びうちを出て、桜木横丁へ出かけていった。ぼくと老いらくさんもついていった。週末の昼下がりで、天気もよくなってきたので、桜木横丁の中は桜見物の人で、いつも以上に、にぎわっていた。天才児育成センターの前には女の人が立っていて、親子連れの人を見かけると、にこやかな笑顔で声をかけて客引きをしていた。安琪儿と安琪儿のお母さんの姿を見かけると
「待っていたわ。本は持ってきましたか」
と聞いていた。
「持ってきました」
安琪儿のお母さんが、そう答えていた。
「さあ、中に入って。博士も今はいらっしゃいます」
女の人がそう答えていた。
安琪儿と安琪儿のお母さんは、それからまもなく女の人に案内されて、建物の中に入っていった。ぼくと老いらくさんも、中に入っていった。安琪儿のお母さんはロビーに飾ってある博士の肖像画に一礼していた。ロビーを抜けて通路の突き当りにある博士の部屋の前までくると、部屋の前には診察の順番を待つ親子が五組いた。
「順番が来たら、お呼びしますから、それまでここで待っていてください」
女の人はそう言ってから、入口のほうへ戻っていった。
順番を待っているあいだ、安琪儿のお母さんは隣のお母さんと話をしていた。安琪儿はテレビを見ていた。
やがて順番がきて、安琪儿の名前が呼ばれたので、安琪儿のお母さんは安琪儿を連れて博士の部屋の中に入っていった。ぼくと老いらくさんも部屋の中に入っていった。ぼくも老いらくさんも姿は見えないので気づかれることはなかった。
部屋の中には博士がいて、黒いガウンを身にまとい、角帽をかぶりながら、高級そうないすに座っていた。目には黒いサングラスをかけていて、いかめしそうに見えた。
「どうぞ、おかけください」
博士が威厳に満ちた声でそう言った。安琪儿と安琪儿のお母さんは軽く会釈をしてから、博士の前にあるいすの上に腰を下ろした。
「博士、ここで訓練を受けたら、ほとんどの子どもは天才になれると伺いましたが、なれるか、なれないかの絶対的な違いは、何かあるのでしょうか?」
安琪儿のお母さんが博士に聞いていた。
「絶対的な違いはないが、相対的な違いはある」
博士がそう答えていた。安琪儿のお母さんは、それを聞いて首をかしげながら
「もう少し、分かりやすくお教えしていただけないでしょうか」
と聞き返していた。
「普通の子どもは遊ぶことが好きだが、天才児は考えることが好きだ。遊んでばかりいると、知能の発達が遅れる。天才児は、難しくて、よく分からないことを、大人の助けを借りながら、考えて理解しようと努める。そのことで賢くなる」
博士がそう言った。それを聞いて、安琪儿のお母さんがうなずいていた。
「分かります。わたしも、そう思います」
安琪儿のお母さんがそう答えていた。
「では、これから質問紙法と投影法を組み合わせながら、お子さんの性格の傾向を理解して、得られた結果を科学的に分析して、データに基づいて天才児になるための指導方法を実践していくことにしよう」
博士がそう言った。
「よろしくお願いします」
安琪儿のお母さんがそう言った。博士はそのあと安琪儿に日常生活に関するいろいろなことを聞いたり、夢の中でどんなものを見たかや、あいまいな絵を見せて何に見えるかを聞いていた。検査のあと、博士は感心したような顔をしながら
「この子は素晴らしい潜在能力を秘めている。このセンターでしっかり教育を受ければ持っている天分が花開いて天才になれる」
と言っていた。それを聞いて安琪儿のお母さんは、誇らしそうな顔をしながら、にこにこと笑っていた。安琪儿も満更ではなさそうな顔をしていた。
「これらの本を使って、この子の中に眠っている天分を開花させていくのでしょうか」
安琪儿のお母さんがそう言って、かばんの中から、本を取り出していた。
「そうです。初めは難しく感じられるかもしれませんが心配はいらない。専門のスタッフが一つ一つの言葉や文の意味を、子どもにも分かるような易しい言葉に置き換えて説明しながら何度も読ませていくから」
博士がそう答えていた。
「分かりました。訓練はいつから始まるのでしょうか?」
安琪儿のお母さんが聞いていた。
「明日からいかがでしょうか」
博士がそう言った。
「いいですよ」
安琪儿のお母さんが、そう答えていた。
「では明日の午後四時半に、ここにくることができますか」
博士が聞いていた。
「いいですよ。くることができます」
安琪儿のお母さんがそう答えていた。
「分かりました。ではお待ちしております」
博士がそう答えていた。
それからまもなく、安琪儿と安琪儿のお母さんは満たされたような顔をしながら、博士の部屋を出ていった。
ぼくと老いらくさんは、そのあとも引き続き、博士の部屋の中にとどまって診察の様子を見ることにした。
安琪儿と安琪儿のお母さんが出ていったあとも、親子が入れ替わり立ち替わり入ってきて、博士の診察を受けていた。どの親子もまるで立派な聖人でも見るような目で博士を見ていた。
夕方の八時前に、ようやく最後の親子が診察を終えて、うちへ帰っていった。それからまもなく、女の人が博士の部屋の中に入ってきて
「今日も盛況でしたね。これからますます来る人が多くなりますよ」
と、にんまりしながら、そう言っていた。
「そうだね、この商売に鞍替えしてよかったね。今までのように、ネズミ退治の薬を売る仕事では、これほど儲からなかったし、人から尊敬のまなざしで見られることもなかったから」
博士がそう答えていた。
それを聞いて、ぼくは、この博士は、老いらくさんが言っていたとおり、ネズミ退治の薬を売る商人だったということを、はっきりと知ることができた。
「子どもが愚かなら、親も愚かですね。だまされていることには少しも気がつかないで、すっかり、あなたを信用してくれているみたい」
女の人がそう言った。
博士と女の人の会話の内容を、ぼくは小声で老いらくさんに話して聞かせた。すると老いらくさんが気色を悪くしながら
「この親子はぐるになって悪事をおこなっていたのか」
と言って激しく憤っていた。老いらくさんの声は大きかったので、博士と女の人の耳にも聞こえた。
「あれ、今、ネズミの声がしたが、気のせいかな」
博士がそう言った。
「わたしも確かに、ネズミの声を聞きました。まだどこかに隠れているのでしょうか」
女の人がけげんそうな声でそう答えていた。博士と女の人は、部屋中をくまなく見て回って、ネズミを探し出そうとしていた。老いらくさんは姿が透明になっていて見えないので、博士と女の人がどんなに探しても、ネズミを見つけることができないでいた。それからまもなく博士は机の引き出しの中に入れていたネズミ退治の薬を取り出して、部屋中に置いてから出ていった。ぼくと老いらくさんは、博士と女の人のあとに続いて部屋の外に出た。博士と女の人は建物の入口に鍵をかけたあと、車に乗り込んで、うちへ帰っていった。ぼくと老いらくさんも、車のドアが開いた瞬間にさっと車の中に乗り込んだ。悪事をおこなっているこの親子が、どんなうちに住んでいて、どんな生活をしているのか見てみたいと、ぼくも老いらくさんも思っていたからだ。ぼくも老いらくさんも後部座席に座って外の夜景を見ながら、親子の会話を聞いていた。
「どうして、あの部屋の中でまるで幽霊みたいにネズミの声がするのだろうか。不気味で怖い」
博士がハンドルを握りながら、そう言っていた。
「もしかしたら誰かが、わたしたちの本当の姿に気がついていて、何か悪いことが起きる前兆かもしれないわ」
女の人が不安そうな顔をしながら、助手席でそう言っていた。
老いらくさんが声を出したことで、博士と女の人の気持ちを萎縮させたことが分かったので、ぼくは声を潜めながら、くすくすと笑った。
ぼくも老いらくさんも姿が見えないので、博士も女の人も、ぼくや老いらくさんが車の中に乗っていることに、まったく気がつかないでいた。車はやがて町の郊外にある高級住宅地の中に入っていって止まった。