怪しい町

天気……冷たい北風がびゅうびゅう吹きつけてきて、心も体も凍てつくほどに辛く感じられる。夜になると寒さが一段と厳しくなってきた。空を見上げると、大部分は雲に覆われていたが、雲のすき間から、三日月が時々、顔を出したり隠れたりしていた。

ぼくと老いらくさんは翠湖公園に帰ってから、ひと眠りして、それから再び翠湖公園を出て桜木横丁に向かった。昨日の夜、帰りがけに、老いらくさんが「万年亀の足音が遠くから、かすかに聞こえてくる」と話していたから、夜が明ける前に確かめに行こうと思ったからだ。
桜木横丁の中にある能力開発研究所のほうへ向かって、暗闇のなかを、ぼくと老いらくさんが歩を進めていると、不意に前の方から
「やあ、笑い猫」
と声をかけられた。万年亀の大先生だった。久しぶりに万年亀の姿を見て、ぼくはうれしくてたまらなくなった。老いらくさんもうれしそうな顔をしていた。
「大先生、お久しぶりです。お元気でしたか?」
ぼくは万年亀に、にこやかな顔をしながら挨拶をした。
「うん、元気にしている」
万年亀がそう答えた。
「今日はどうしてここにいらっしゃったのですか?」
ぼくは万年亀に聞いた。
「この辺りから、子どもらしいにおいが、ぷんぷんしていたので、そのにおいに引き寄せられてやってきたのだ」
万年亀がそう言った。それを聞いて、
(やはり、ぼくが思っていたとおりだった)
と思った。
「においの出どころは、分かります。ぼくがこれから案内します」
ぼくは万年亀にそう言った。
「そうか、それはありがたい」
万年亀がそう答えた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく万年亀を能力開発研究所の前まで案内していった。万年亀は、建物をじっと見ながら
「確かに、この中から子どもらしいにおいが、ぷんぷん漂ってくる」
と言った。ぼくはそのあと、この建物の中で、どんなことがおこなわれているのかを万年亀に話して聞かせた。
「ドクターと呼ばれている男がいて、『子どもの知能の働きが遅れているのは病気の一種だから、ここに来て知恵入りスープを飲んだり、頭に鍼(はり)を刺したら病気が治って知能が高くなる』と言っています。診察室の壁には表彰状や感謝状や証明書もたくさん貼ってあります。子どもたちの親はそれを見て、ドクターをとても信用して、子どもたちに知恵入りスープを飲ませたり、頭に鍼(はり)を刺させたりしています」
ぼくの話を万年亀は興味深そうな顔をしながら聞いていた。ぼくの話が終わったあと、万年亀がぼくに
「そのスープを飲んだり、頭に鍼(はり)を刺したら、本当に子どもの知能が高くなるのか」
と聞いた。
「そんなことはないと思います。甘言でつっているのだと思います」
ぼくはそう答えた。
「どうしてそう思うのか」
万年亀が聞き返してきた。
「スープはコーラのような液体に、生姜をすりつぶしたものを入れたようなものに見えたからです。鍼(はり)も怪しいものに見えます」
ぼくはそう答えた。
ぼくの話を聞き終わったあと、万年亀は憂いに沈んだような顔をしていた。
「子どもは子どもらしく、自然のままに育てていくべきではないのか。親の利己的な考え方に基づいて、親が気に入るように子どもを変えていったら、子どもらしさが失われていく」
万年亀がそう言った。
「ぼくもそう思います。ここに来ている子どもは、普通の子ども以上に天真爛漫で純粋さにあふれている子どものように見えます。子どもらしさにあふれたかわいい子どもばかりですから、そのままでいいのに、子どもの頭をよくしようと思って、親が無理やり連れてきたように思えます」
ぼくはそう言った。
「そうか、そのように思えるか」
万年亀がうなずいた。
「頭がよいとか、よくないとかは病気ではないのに、ここのドクターが言っていることを信じて、頭がよくないのは病気の一種だから、治療すればよくなると思っている親のほうこそ、『盲信病』にかかっているのではないかと、ぼくは思います」
ぼくは万年亀にそう言った。
「わしもそう思う。あてにならない民間療法にすがりたい親心はどういうものなのか、わしには想像できない。おまえに想像できたら、わしにちょっと教えてくれないか」
万年亀がそう聞いた。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、思ったことを話し始めた。
「今は競争社会が激しいですし、頭のよい子どもが将来、しあわせになれるようになっています。そのために親たちは自分の子どもを他の子どもよりも優秀にするために、怪しいやり方でも盲信しているのではないかと思います」
ぼくはそう答えた。
「そうか、そう思っているのか」
万年亀がそう言った。ぼくはうなずいた。
「ここは、そういった親心に巧みにつけこんで、お金儲けをするために作られた怪しいところなのか」
万年亀が聞いた。
「そう思います。ドクターは、一見すると、立派な医者に見えます。診察室の壁には、表彰状や証明書や感謝状がたくさん貼ってあって、とても偉そうに見えます。でも本当は医者ではなくて、綿あめを売る商人です。人をだましています。間違いありません」
ぼくは万年亀にそう言った。ぼくの話を聞いて、万年亀は、口をぽかんと開けて、あっけにとられたような顔をしていた。
「ひどい話だな。親は、そのことを知っているのか」
万年亀が聞いた。
「親も子どもも、まだ気がついていません」
ぼくはそう答えた。
「何も知らないまま、怪しい飲み物を飲んだり、痛い鍼(はり)を頭に刺している子どもがかわいそうだ」
万年亀がそう言った。
「ぼくもそう思います。ここに来ている子どもの中には、ぼくがよく知っている子どももいます。その子どもも、あのドクターにだまされていると思うと、とても心が痛みます」
ぼくはそう言った。
「そうか、おまえの気持ちがよく分かるよ」
万年亀がそう言った。
「その子の名前は安琪儿と言います。馬小跳と同じ集合アパートに住んでいるかわいい女の子です」
ぼくはそう言った。
「馬小跳なら、わしもよく知っている。子どもらしいにおいがあふれている男の子だろう。わしが一番好きな男の子だ。以前、馬小跳のうちへ行って、外のベランダからこっそりと部屋の中をのぞいたことがある。そのとき、馬小跳が女の子といっしょに楽しそうにテレビを見ていた。もしかしたら、あの女の子が安琪儿かもしれないな」
万年亀がそう言った。
「そうかもしれません。安琪儿も馬小跳と同じように、子どもらしいにおいのする子どもですから、安琪儿と馬小跳は馬が合うようです」
ぼくは笑いながらそう答えた。
「安琪儿のお母さんはどんな人なのか?」
万年亀が聞いた。
「安琪儿が、ほかの子どもよりも頭が悪いといって嘆いたり、『あんたなんか産まなければよかった』と安琪儿に言っています。ぼくはそれを聞いて、安琪儿がとてもかわいそうになりました」
ぼくはそう答えた。
「そうか、安琪儿のお母さんは、そんな人なのか。だから、安琪儿の頭をよくしようと思って怪しいスープを飲ませたり、頭に鍼(はり)を刺させたりしているのか」
万年亀が聞いた。ぼくはうなずいた。
「でも安琪儿は自分では頭は悪くないと言っています。馬小跳もそう言っています」
ぼくはそう言った。
「おまえは、どう思っているのか」
万年亀が聞いた。
「ぼくもそう思っています」
ぼくは自信をもって、そう答えた。
「何か根拠でもあるのか」
万年亀が聞いた。
「安琪儿は将来、小学校の教師をする傍ら童話作家として本を出す人になります。もし頭が悪かったら、そんなことができるでしょうか」
ぼくはそう言った。
「安琪儿の将来の姿を、どうしておまえは予見できるのか」
万年亀がけげんそうな声で聞き返した。
「ミー先生という仙女がいます。ミー先生はタイムスリップできる不思議な傘を持っています。その傘を借りて、安琪儿の将来の姿を見ました」
ぼくは万年亀にそう答えた。
「……」
ぼくの話を聞いて、万年亀はしばらく考えてから
「将来、小学校の教師になったり、童話作家になるためには、子どものころから純粋な心を持っていて、その資質を大切に伸ばしていかなければならない。頭がいいこともさることながら、それよりも純粋な心を持ち続けていくことのほうがもっと大切だ。もし、安琪儿がお母さんの意のままにされて純粋な子ども心を失ってしまったら、将来、小学校の教師や、童話作家になれなくなってしまう」
と言った。ぼくはそれを聞いて、うなずいた。
「ぼくもそう思います。安琪儿の頭は、安琪儿のお母さんが思っているほど悪くはないから、ここに来て怪しい飲み物を飲んだり、頭に鍼(はり)を刺したりする必要はないと思います」
ぼくは万年亀にそう言った。
「わしもそう思う」
万年亀がぼくの考えに同意してくれた。
「安琪儿がここに来なくてもいいようにするための何かよい方法はないでしょうか」
ぼくは万年亀に聞いた。
「そうだなあ……、安琪儿が今、瀕死の状態にあるのだったら、来なくてもいいようにするための方法を考えないこともないが……」
万年亀がそう言った。
「では、このまま、見て見ぬふりをしていればいいと、おっしゃるのですか」
ぼくは不満げにそう聞き返した。
「そうではないが、安琪儿のお母さんは安琪儿のことを深く愛していて、そのためにここに連れてきているのだと、わしは思う。安琪儿もお母さんの期待に応えようとして、ここに来ているのだと思うから、どうしたらよいか決めかねているのだ」
万年亀がそう言った。
「分かります。でも、人を信用させて、怪しい治療を施して人をだますのはよくないと思います」
ぼくはきっぱりとそう言った。
「わしもそう思う。そのような行為は絶対にするべきではない」
万年亀がそう言った。
「ここに来た人たちは、この建物の中にある診察室の壁に貼ってある、たくさんの賞状や証明書や感謝状を見て、優れたドクターだと思って信頼を寄せているようです」
ぼくは万年亀にそう言った。
「そうか。それならわしはこれから、この建物の中に入っていって、人をだますようなものは見つけ次第、取り除いたり、あらわにしてやる。おまえも手伝ってくれないか」
万年亀がそう言った。
「はい、手伝います」
ぼくはそう答えた。万年亀が言ったことを、ぼくは老いらくさんにも話した。すると老いらくさんが、うれしそうな顔をしながら
「わしも手伝うよ」
と言ってくれた。
「わしの背中に乗りなさい」
万年亀がそう言ったので、ぼくと老いらくさんは、言われる通りにした。万年亀は鍵がかかっているドアでも、通り抜けの術を使って中に入ることができるので、ぼくたちは難なく建物の中に入ることができた。ぼくは万年亀を診察室の中に案内していった。壁にたくさん貼ってある賞状や証明書や感謝状を見ながら
「これはみんな、にせものだと思います」
と、ぼくは万年亀に言った。
「そうか、こういうものを見せて、人を信用させていたのか」
万年亀は、忌々しそうにそう言うと、壁に貼ってある賞状や証明書や感謝状に息を吹き
かけていた。すると、たちまちのうちに、賞状や証明書や感謝状はすべて見えなくなってしまった。それを見て、ぼくと老いらくさんは目を丸くしていた。
「透明術を使って見えなくしたのだ」
万年亀が、そう言った。それを聞いて、ぼくはうなずいた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく万年亀の背中に乗ったまま、建物の中をあちこちと見て回った。一番奥にある部屋の戸棚の中に生姜やコーラや綿あめが置いてあったので、それを見て、(やはりそうだったか)と、ぼくは思った。ぼくと老いらくさんは万年亀の力を借りながら、生姜やコーラや綿あめを口にくわえたり、足で転がしたりしながら、診察室の中まで持っていって、机の上や床や壁際に置いた。夜が明けて、ドクターがやってきて、見たらびっくりするだろう。ぼくと老いらくさんはそう思いながら、診察室のカーテンの陰に隠れながら、外が明るくなるのを待っていた。万年亀は通り抜けの術を使って玄関から外へ出ていった。