怪しい町

天気……今朝、起きたら小雨が降っていて、外に出ると雨粒がぼくの体に当たり、ひんやりした。翠湖公園の中を歩いている人たちは様々な色の防寒服に身を固めながら、寒風が吹きすさぶなか、傘をさして黙々と行き交っていた。

ぼくと老いらくさんは今日も、桜木横丁に行って、怪しいものがあふれている桜木横丁の真相を確かめることにした。安琪儿と、安琪儿のお母さんが桜木横丁にやってくるのは、夕方の四時過ぎだから、その時間を見計らって老いらくさんといっしょに行って、安琪儿の治療の様子を見ることにした。
三時過ぎに、ぼくは眼鏡橋の上で、老いらくさんと落ち合った。開口一番、ぼくは老いらくさんに
「昨日は助けてくださって、ありがとうございます」
と、丁重にお礼を言った。
「いやいや、どうってことはないよ。それにしても隠れているところを見つかって、危なかったな。わしが、あのドクターの前で、とっさに跳んだりはねたりして、ドクターの目をくぎ付けにしたから、その間に、おまえを逃がすことができてよかった」
老いらくさんが、そう言った。
「老いらくさんは、あのあと、どうしたのですか」
ぼくは心配そうに老いらくさんに聞き返した。
「おまえの姿が見えなくなったのを確認してから、跳んだりはねたりするのをやめて、開いていた窓に飛び上がって、一目散に逃げてきた」
老いらくさんがそう答えた。
「そうでしたか。ぼくはずっと心配していました。昨日、老いらくさんは、無慈悲な人に蹴り飛ばされたから、また、ひどい目に遭っているのではないかと思って、うちへ帰ってからもずっと心配していました」
ぼくはそう言った。
「同じ失敗は二度しないから、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」
老いらくさんがそう答えた。
「いえいえ、老いらくさんが無事でよかったです」
ぼくはそう答えた。
「昨日、おまえは眼鏡をかけて、あのドクターを見ていたとき、ドクターが、校門の前で、子どもたちやお母さんに、おかしなことを言って、綿あめを売っている場面が見えたと話していたが、その場面をわしにも話して聞かせてくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「いいですよ」
ぼくはそう答えてから、話してあげた。
「ドクターが、校門の前で綿あめを売っていたとき、初めのうちは、子どもの親は見向きもしませんでした。ところが、ドクターが『この綿あめは栄養が豊富なだけでなく、頭の働きがよくなる特別なエキスがたくさん入っていますよ』と言ったとたん、子どもの親が足をとめて、一人、そしてまた一人と、子どものために買い求めていました」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
ぼくの話を聞いたあと、老いらくさんが
「そうか、そういう男だったのか」
と答えていた。
「そうです。初めは他人の空似かと思っていましたが、あのドクターに間違いなかったです」
ぼくは確信をもって、そう言った。
「ドクターづらをして、子どもや親の尊敬を集めている、あの男が、もともとは綿あめを売る商人だったのか」
老いらくさんが、憤慨しながらそう言った。
「ぼくにも信じられない話ですが、あのドクターは、人をたぶらかす才にたけていて、他人の気持ちを読んで、その気持ちにつけこんで、お金儲けをしようとしているようです」
ぼくはそう言った。
「そうか。けしからんやつだな。どの親も子どもの頭がよくなることを願っているはずだから、そういった親心につけこんでお金儲けを、たくらむとは、まったくけしからんやつだ」
老いらくさんがそう言った。
「綿あめを売ることで、お金儲けに味を占めたあのドクターは、利益がもっと大きくて、することがもっと知的なやりかたでお金儲けをすることをたくらんで、能力開発研究所を作ったのかもしれません」
ぼくは老いらくさんにそう言った。
それを聞いて老いらくさんが
「さすがだ、笑い猫。おまえの推測は的を射ている」
と言った。
話をしているうちに、日がだんだん傾きかけているのが分かったので、ぼくと老いらくさんはそれからまもなく、眼鏡橋を渡って翠湖公園を出て、町のほうへ入っていった。桜木横丁に着くと、ぼくと老いらくさんは、造花の桜には目もくれずに、能力開発研究所の方へ向かって走っていった。昨日、ぼくと老いらくさんは診察室の中に隠れているところを見つかってしまったので、今日はくれぐれも気をつけなければと思った。
能力開発研究所へ治療に来る子どもは鍼(はり)治療を受ける前に缶に入った知恵入りスープを飲むので、スープの中味がどんなものなのかを知るために、ぼくは今日は、ミー先生の眼鏡をもってきた。眼鏡をかけて缶を見たら、缶の中味が見えるはずだと思ったからだ。
能力開発研究所の入口の前でしばらく待っていると、安琪儿がお母さんに付き添われて、やってくるのが見えた。安琪儿は背中にランドセルを背負っていたので、今日も学校の放課後に、お母さんが、まっすぐ、ここへ連れてきたことが分かった。
「いらっしゃい、安琪儿。待っていたわ」
安琪儿の姿を見ると、玄関の前にいた受付の女の人が、優しそうな声で呼びかけていた。
「さあ、中に入って。お母さんもいっしょに、どうぞ」
女の人がそう言ったので、安琪儿のお母さんは、受付の女の人に軽く会釈をしてから、安琪儿の手を引いて建物の中に入っていった。ぼくと老いらくさんも、ドアが開いたすきに、さっと中に入っていった。ドアの内側にも女の人がいて
「わたしについてきてください」
と言って、安琪儿と、安琪儿のお母さんを、この前と同じ部屋の前まで案内していった。部屋の前には子ども連れの親子が五組いて、椅子に座ってテレビを見たり、雑誌を読みながら、治療の順番を待っていた。
「順番が来たらお呼びいたしますから、呼ばれたら、お子様だけを中に入れてください」
女の人が安琪儿のお母さんに、そう言っていた。
「分かりました。よろしくお願いします」
安琪儿のお母さんは、女の人にそう答えていた。
三十分ぐらい待ってから、ようやく安琪儿の順番が来て、名前が呼ばれたので、安琪儿は部屋の中に入っていった。部屋のドアが開いたすきに、ぼくと老いらくさんも、さっと部屋の中に入り込んだ。カーテンの陰に隠れながら治療の様子を見ることにした。
女の人は、この前と同じように部屋の内側からかぎをかけてから、安琪儿に椅子の上に座るように言っていた。そのあと椅子の後ろにある机の上に置いてある缶を手に取って
「さあ、これを飲みなさい」
と言って、安琪儿に手渡していた。
安琪儿はうなずいてから、缶のふたを開けていた。缶の中から出ているにおいをかぎながら、安琪儿は顔をしかめていた。
「生姜のにおいはあまり好きでないけど、コーラのにおいもするので、我慢して飲むことにするわ。コーラは好きだから」
安琪儿がそう言っていた。
安琪儿はそれからまもなく、缶を手に持って、中に入っていたものを、ぐぐぐっと飲み始めた。ぼくはミー先生の眼鏡をかけて、カーテン越しに、その様子を見ていた。缶の中に入っているものが見えた。コーラのような液体が入っていて、その中に細かい粒が浮いているのが見えた。(生姜かもしれない)と、ぼくは思った。安琪儿は、粒をさほど気にすることなく、全部飲み干してしまった。それを見て女の人は、目を細めながら
「知恵入りスープを今日も飲んだから、あなたは、ますます賢くなるわよ。明日もまたいらっしゃい。待っているわ」
と言った。安琪儿は、それを聞いて、にっこりと、うなずいていた。それからまもなく安琪儿はその部屋を出た。安琪儿のお母さんが安琪儿に近づいてきて
「どうだった?」
と聞いていた。
「知恵入りスープを全部飲んだわ。あまりおいしくはないけど、我慢して飲んだわ」
と答えていた。
「そう。よかったわ。次は頭に鍼(はり)を刺す治療だね」
安琪儿のお母さんがそう言った。安琪儿はうなずいた。
それからまもなく、別の女の人がやってきて、安琪儿と安琪儿のお母さんを、鍼(はり)を刺す部屋へ案内してくれた。部屋の前まで来たとき、部屋の中から子どもの泣き声が聞こえてきた。安琪儿はその泣き声を聞いて、顔の表情を曇らせていた。
「痛いのだろうなあ」
安琪儿が、つぶやくような声でそう言った。
「おじけてはいけないわ。賢い頭に変えるための荒療治なのだから」
安琪儿のお母さんがそう言った。
「分かっているわ。でもわたしは、お母さんが思っているほど、知能の発達が遅れているわけではないから、痛い思いをしてまで鍼(はり)を刺したくないなあ」
安琪儿が本音を吐いた。安琪儿のお母さんは、それを聞いて
「つべこべ言わないで鍼(はり)を刺しなさい」
と言って、相手にしなかった。
部屋の前で安琪儿と安琪儿のお母さんがしばらく待っていると、安琪儿の名前が呼ばれたので、安琪儿は部屋の中に入っていった。この部屋は保護者も中に入ることが許されていたので、安琪儿のお母さんもいっしょに部屋の中に入っていった。ぼくと老いらくさんも、さっと入ってカーテンの陰に隠れながら治療の様子を見ることにした。部屋の中には、治療師がいて、安琪儿のお母さんと安琪儿に
「いらっしゃい」
と言って、挨拶をしていた。部屋の奥には、もう一つ小さな部屋があって、そこには頭に鍼(はり)を刺した子どもと保護者が七組いて、時間が来て鍼(はり)が抜き取られるのを待っていた。女の子のなかには痛そうな顔をしながら、べそをかいている子もいた。
「お嬢ちゃん、あそこにあるベッドの上に横たわりなさい」
治療師が安琪儿にそう言った。安琪儿は言われたとおりにした。するとそれからまもなく、治療師が近づいてきて、鍼(はり)を刺すための準備を始めていた。安琪儿が頭を動かしたら危ないので、安琪儿の首の周りにベルトを巻いて、頭が動かないように固定してから、箱の中から取り出した鍼(はり)を慎重に、安琪儿の頭皮の上に刺していた。刺されたときに、ちくりとした痛みが走ったので、安琪儿は思わず顔の表情をゆがめて、泣きそうな顔をしていた。でも心配そうにのぞきこんでいるお母さんの顔を見て、安琪儿は涙を流さないでじっと耐えていた。治療師は全部で三十六本の鍼(はり)を、安琪儿の頭の上に刺し終えた。そのあと治療師が
「終わったから、ベッドから下りていいよ」
と言った。それを聞いて、緊張からやっと解き放された安琪儿は、ほっとしたような顔をしていた。安琪儿のお母さんも胸をなでおろしていた。
鍼(はり)が取り除かれるまでの間、安琪儿は、小部屋の中で、お母さんといっしょに、テレビを見たり、雑誌を読みながら、時間を過ごしていた。そのとき、安琪儿よりも先に鍼(はり)を刺していた女の子が
「泣かなかったけど、痛くなかった?」
と、安琪儿に聞いてきた。
「痛かったけど、泣いたら、お母さんが心配するから泣かなかったの」
安琪儿は女の子に、そう答えていた。
「偉いなあ、わたしも見習わなければ」
女の子はそう答えて、ふふふと笑っていた。女の子のお母さんが、それを見て、安琪儿のお母さんに
「あなたの娘さんは、親の気持ちが分かって感情を抑えることができるから、少しも馬鹿ではありません。高いお金を払って、わざわざ、こんなところで治療をする必要はないのではないですか」
と言っていた。それを聞いて安琪儿のお母さんは首を横に振りながら
「何をおっしゃっているのですか。感情を抑えることができても、うちの娘は学力がとても低いです」
と言っていた。
「そうは見えませんけどね。道理が分かっていて、とても賢い娘さんのように見えます」
女の子のお母さんが、そう言っていた。
「道理が分かっていることと、賢いかどうかは、まったく別の問題だと思います」
安琪儿のお母さんが、そう反論していた。
「……」
女の子のお母さんは答に詰まっていた。安琪儿のお母さんが
「うちの娘のクラスに、優秀な男の子がいて、その子は『成語辞典』に書かれていることをすべて覚えています。その男の子と比べると、うちの娘は、とても劣っています」
と言って、軽蔑したような目で、安琪儿を見ていた。安琪儿はそれを聞いて不機嫌そうな顔をしながら
「丁文涛のことを言っているの?」
と、お母さんに聞き返していた。
「そうよ。あの子に匹敵するくらいに、あなたが賢くなってくれることを願って、わたしは、あなたをここに連れてきているのよ」
安琪儿のお母さんが、そう言った。それを聞いて、女の子のお母さんが
「どの子にもよいところがあると思うので、子ども同士を比べるのはよくないことは分かっています。でもわたしもつい、うちの娘を、ほかの子と比べてしまいます」
と言っていた。それを聞いて、女の子が
「わたしを誰と比べているの?」
と、お母さんに聞き返していた。
「林子聡」
女の子のお母さんがそう言った。それを聞いて、安琪儿も安琪儿のお母さんも、飛び上がらんばかりに、びっくりしていた。
「林子聡は、わたしのいとこです」
安琪儿が、そう答えていた。それを聞いて今度は、女の子と、女の子のお母さんが、びっくりしたような顔をしていた。
「本当ですか?」
女の子のお母さんが信じられないような顔をしながら、安琪儿のお母さんに聞き返していた。
「本当です。林子聡は、わたしの一番下の妹の子どもです」
安琪儿のお母さんが、そう答えていた。
「そうですか。林子聡のお母さんと話したことがありますが、まさか、ここでお姉さんとお会いするとは思ってもいませんでした」
女の子のお母さんが意外そうな顔をしながら、そう言った。
「林子聡は、そんなに優秀なのですか」
安琪儿のお母さんが聞き返していた。
「成績がダントツで、学年一の秀才です」
女の子のお母さんが、そう答えていた。
「そうですか。妹は二十四歳の時に、あの子を産みました。わたしは四十歳の時に、この子を産みました。高齢出産のためか、この子の成績はあまりよくないです」
安琪儿のお母さんは、そう答えていた。それを聞いて、安琪儿が
「お母さんが思っているほど、わたしは馬鹿ではないわ。校長先生も馬小跳も、いとこの韓力兄さんも、わたしのことを馬鹿ではないと言っているわ」
と言った。
「みんな、おまえが傷つかないように、気を遣って、そう言っているだけですよ」
安琪儿のお母さんがそう言った。それを聞いて、女の子のお母さんが
「うちの子も、自分はそれほど馬鹿ではないと言っているの。あなたの甥御さんである林子聡に比べたら、足元にも及ばないくせにね」
と言って、困ったような顔をしていた。安琪儿のお母さんと、女の子のお母さんは、気が合ったようで、自分の子どもが,他の子どもより劣っていると思える点を互いに列挙していた。ぼくは聞いていて、あまり楽しくなかったので、老いらくさんに
「治療は終わったみたいだから、そろそろ、うちへ帰りませんか」
と誘いかけた。
「うん、そうしよう。日が暮れて、外は暗くなっているし、おなかもすいてきたから、そろそろ、うちへ帰ろう」
老いらくさんがそう答えた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく能力開発研究所をあとにして、翠湖公園へ帰り始めた。途中で老いらくさんが
「ちょっと待って」
と言って、立ち止まった。
「どうしたのですか?」
ぼくはけげんに思って、老いらくさんに聞き返した。
老いらくさんは耳をすましてから
「聞き覚えのある足音が、遠くから、かすかに聞こえてくる」
と言った。
「何の足音ですか?」
ぼくは聞き返した。
「亀の足音だ」
老いらくさんがそう答えた。
「亀?」
ぼくは、オウム返しにそう答えた。
「あ、思い出した。あの足音は万年亀の足音だ」
老いらくさんがそう言った。
それを聞いて、ぼくは万年亀のことを、ふっと思い出した。万年亀は人間の子どもの体についている子どもらしいにおいをかぐのが好きなことを、ぼくは知っている。
(もしかしたら、能力開発研究所の中には子どもらしいにおいが残っているので、そのにおいを感じて、近づいてきているのではないだろうか)
ぼくはそう思った。