野いちご源氏物語 五〇 東屋(あずまや)

(かおる)(きみ)山荘(さんそう)にある(きん)(そう)を出すと、
<音楽などできはしないだろう>
と残念に思いながら、ひとりでお弾きになる。
(はち)(みや)様がお亡くなりになってから、この山荘では楽器を弾いていなかった。ひさしぶりだ>
と、しみじみ弾いていらっしゃるうちに月が出た。

<八の宮様の(きん)は、格式ばった感じではなく、さりげなく優しい音色だった>
薫の君には(なつ)かしい記憶だけれど、浮舟(うきふね)(きみ)父宮(ちちみや)様の演奏を聞いたことがない。
「あなたが姉君(あねぎみ)たちとご一緒にここでお育ちになっていたら、お父宮の琴の音色を懐かしく思い出したでしょうにね。宮様のことは他人の私でさえ恋しく思い出されるのですよ。どうしてそんな田舎(いなか)で育ってしまわれたのか」

(くや)しそうにおっしゃるから、浮舟の君は恥ずかしい。
白い(おうぎ)をもじもじと触りながら()してしまった。
その横顔は色白で、上品な前髪のあたりなどは大君(おおいぎみ)にそっくりなのだもの。
見捨ててしまおうとはとてもお思いになれない。

<楽器もこれから教えていけばよいのだ>
と思ってお尋ねになる。
東国(とうごく)育ちでも和琴(わごん)なら少しは弾いたことがありますか。(あずま)(ごと)とも言うくらいですからね。この国で生まれた(こと)だから、(やまと)(ごと)とも呼ばれているけれど」
(やまと)(うた)さえろくに()まずに育ちましたから、(やまと)(ごと)などとても」
それなりに気の()いたお返事をするあたり、まったく頼りない女性ではないのよね。
宇治(うじ)に隠しておいても思うように来られないだろう>
と、薫の君は今から苦しくなってしまわれる。
それだけ浮舟の君をお気に召しているのでしょう。

琴は押しやって、薫の君は昔の中国の詩を口ずさまれた。
常陸(ひたち)(かみ)のような荒々しい主人に慣れきっている侍従(じじゅう)は、
<まぁ、すてき。さすが都の貴公子(きこうし)は違うわ。姫様は最高の婿君(むこぎみ)とご結婚なさった>
とうっとりしている。
薫の君は<しまった>とお思いになる。
その詩は、皇帝(こうてい)からの愛情を失った女性が悲しむ詩だったの。
<どうしてこんな詩を口ずさんでしまったのだろう>
侍従も浮舟の君も気づいてはいなかったけれど。