薫の君は小川のほとりにある岩に腰かけて、なかなか動けずにいらっしゃる。
「この小川だけは昔のままなのだから、亡き八の宮様や大君の面影を水面に映してくれてもよいのに」
そうつぶやくと、涙をぬぐって弁の尼のいる部屋に立ち寄りなさった。
弁の尼も薫の君のお姿を拝見して泣いてしまう。
遠慮してついたての後ろに隠れているので、薫の君は間の簾を引き上げて話しかけなさった。
「異母妹の姫は二条の院にお越しになっていたようだね。ちょうどそのとき私も上がったのだが、さすがに宮様のお屋敷内を探して声をかけることはできなかった。やはりそなたから私の思いを伝えてほしい」
「姫君の母親から手紙がまいりました。占いがどうこうと言って、姫君はあちこちで仮住まいしていらっしゃるようです。今はちょっとした小さな家に隠れるようにお暮らしとか。母親はそれを心苦しがって、『宇治の山荘がもう少し近ければ、娘をそちらに移すのが安心なのですけれど。あの山道ではおいそれと行かせるわけにもいかなくて』と書いてございました」
「世間で恐ろしいと言われている山道を、私はいつまでも通ってきている。どんな運命なのだろうかと我ながら思うよ」
と薫の君は涙ぐまれる。
「では、そのちょっとした家とやらに、そなたから手紙を送っておくれ。そなたが直接訪ねてくれたら一番よいのだが」
「あなた様の仰せを手紙にして送ることはできますが、今さら都に出ることはためらわれます。この世と縁を切った尼でございますから。それで二条の院にも上がらずにおりますのに」
「どうしてそんなに気を遣うのだ。誰が見ているわけでもあるまい。山に籠って修行中の尊い僧侶だって、時と場合によっては山を下りるものだろう。そうまでして人を救うのは、むしろ立派な行為ではないか」
「私に人を救う力などございませんよ。都が恋しくなって出てきたのだろうと噂されてしまいます」
困っている弁の尼に、薫の君はめずらしく強引におっしゃる。
「この機会を逃したくないのだ。明後日、ここへ乗り物を寄越す。そなたはそれに乗って姫をお訪ねしておくれ。けっして姫に無理なことをするつもりはない」
にっこりほほえまれても弁の尼は困ってしまう。
<どういうおつもりなのかは分からないけれど、たしかに軽率なご性格ではいらっしゃらない。ご自分の世間体のためにも、あくまでこっそりとお話を進めなさるはずだ>
姫君にとっても悪いことにはならないだろうと、弁の尼は承知した。
「かしこまりました。姫君のいらっしゃる家はあなた様のお屋敷の近くのようです。先にお手紙を送ってくださいませんか。いきなり私のような尼が出しゃばっては見苦しいことでございますから」
「手紙か。書くのは簡単だが、手紙を送れば世間の噂になりやすい。『薫の君が地方長官の娘ごときに恋文を送った』などと騒がれては厄介だ。またその地方長官というのが、無風流で乱暴な父親らしいな」
あぁ恐ろしいというお顔でおっしゃるので、弁の尼は笑いながらも姫君をお気の毒に思った。
浮舟の君は完全に見下されている。
「この小川だけは昔のままなのだから、亡き八の宮様や大君の面影を水面に映してくれてもよいのに」
そうつぶやくと、涙をぬぐって弁の尼のいる部屋に立ち寄りなさった。
弁の尼も薫の君のお姿を拝見して泣いてしまう。
遠慮してついたての後ろに隠れているので、薫の君は間の簾を引き上げて話しかけなさった。
「異母妹の姫は二条の院にお越しになっていたようだね。ちょうどそのとき私も上がったのだが、さすがに宮様のお屋敷内を探して声をかけることはできなかった。やはりそなたから私の思いを伝えてほしい」
「姫君の母親から手紙がまいりました。占いがどうこうと言って、姫君はあちこちで仮住まいしていらっしゃるようです。今はちょっとした小さな家に隠れるようにお暮らしとか。母親はそれを心苦しがって、『宇治の山荘がもう少し近ければ、娘をそちらに移すのが安心なのですけれど。あの山道ではおいそれと行かせるわけにもいかなくて』と書いてございました」
「世間で恐ろしいと言われている山道を、私はいつまでも通ってきている。どんな運命なのだろうかと我ながら思うよ」
と薫の君は涙ぐまれる。
「では、そのちょっとした家とやらに、そなたから手紙を送っておくれ。そなたが直接訪ねてくれたら一番よいのだが」
「あなた様の仰せを手紙にして送ることはできますが、今さら都に出ることはためらわれます。この世と縁を切った尼でございますから。それで二条の院にも上がらずにおりますのに」
「どうしてそんなに気を遣うのだ。誰が見ているわけでもあるまい。山に籠って修行中の尊い僧侶だって、時と場合によっては山を下りるものだろう。そうまでして人を救うのは、むしろ立派な行為ではないか」
「私に人を救う力などございませんよ。都が恋しくなって出てきたのだろうと噂されてしまいます」
困っている弁の尼に、薫の君はめずらしく強引におっしゃる。
「この機会を逃したくないのだ。明後日、ここへ乗り物を寄越す。そなたはそれに乗って姫をお訪ねしておくれ。けっして姫に無理なことをするつもりはない」
にっこりほほえまれても弁の尼は困ってしまう。
<どういうおつもりなのかは分からないけれど、たしかに軽率なご性格ではいらっしゃらない。ご自分の世間体のためにも、あくまでこっそりとお話を進めなさるはずだ>
姫君にとっても悪いことにはならないだろうと、弁の尼は承知した。
「かしこまりました。姫君のいらっしゃる家はあなた様のお屋敷の近くのようです。先にお手紙を送ってくださいませんか。いきなり私のような尼が出しゃばっては見苦しいことでございますから」
「手紙か。書くのは簡単だが、手紙を送れば世間の噂になりやすい。『薫の君が地方長官の娘ごときに恋文を送った』などと騒がれては厄介だ。またその地方長官というのが、無風流で乱暴な父親らしいな」
あぁ恐ろしいというお顔でおっしゃるので、弁の尼は笑いながらも姫君をお気の毒に思った。
浮舟の君は完全に見下されている。



