野いちご源氏物語 五〇 東屋(あずまや)

乳母(めのと)は元常陸(ひたち)(かみ)の屋敷に戻った。
(かみ)夫人(ふじん)に昨夜の出来事を報告するためよ。
夫人は胸もつぶれそうなほど驚いて(さわ)ぐ。
中君(なかのきみ)の女房たちは、さぞやけしからぬことだと腹を立てているだろう。中君ご自身もどうお思いになっていることか。高いご身分の方は嫉妬(しっと)などなさらないと言うけれど、男女関係の嫉妬だけは、どんなご身分の方だって無縁(むえん)ではいられないのだから」

()ても立っても居られなくなって、夕方、二条(にじょう)(いん)に参上した。
匂宮(におうのみや)様はお留守だったことにひとまず安心する。
中君のお部屋に上がって、何も知らないようにさりげなく申し上げた。
「子どもっぽくぼんやりした娘をお預けいたしましたので、あなた様をご信頼してはおりますが、なんだか(むな)(さわ)ぎがして戻ってまいりました。家の者はぎゃあぎゃあと文句を申しましたけれど」

中君はお笑いになる。
「あらまぁ、心配性な母君(ははぎみ)だこと。いつまでも幼子(おさなご)のような気がしているのですね」
優雅で貫禄(かんろく)ある微笑(ほほえ)みに、思わず守夫人は(ちぢ)こまった。
<乳母が報告したとおり、姫と宮様の間には何もなかったと私は信じているけれど、中君はどうお思いになっているだろう。微笑みの裏にお怒りがあるかもしれない>
今のお言葉が嫌味(いやみ)のように思えて、お尋ねすることはもちろん弁解(べんかい)もできない。

ただ涙がこぼれて、泣きながら申し上げる。
「長年ずっと、娘をいつか人並みに(あつか)ってやりたいと思っておりました。こうしてこちらに置かせていただいて、その願いが(かな)ったような気がしていたのでございます。宮様の奥様にご親切にしていただきましたら、娘を馬鹿(ばか)にしている夫はさぞや驚くだろうと、そんなことまで考えていたのです。すっかり浮かれておりました。もともとは(あま)にするしかないと思っていた娘ですのに、()(ほど)をわきまえもせず」

中君は、
<昨夜の出来事を聞いたのだ>
とお気づきになった。
気の毒に思っておっしゃる。
「何も心配はありませんよ。女房たちも姫を大切なお客様として()(づか)っています。たしかにこちらにはちょっと困った宮様がおいでになりますけれど、皆それは分かっていますからね。姫が困らないように十分()(くば)りをさせていますよ。これでもまだ心配ですか」

「もちろんあなた様のご親切は重々承知(しょうち)しております。どうかこの先も、娘の将来のためにお力()えくださいませ。亡き(はち)(みや)様が私たち母娘(おやこ)をお見捨てなさったことなど、今さら()し返すつもりはありません。ただ、あなた様の亡き母君と私は伯母(おば)(めい)の関係でございました。私の娘を遠い親戚とお思いいただいて、お世話していただきたいのです。
うっかり忘れておりましたが、(うらな)いによると娘は明日と明後日、厳しい謹慎(きんしん)生活をする日でございました。ふさわしい場所へ移しまして、またあらためてこちらへ上がらせていただきます」

中君は浮舟の君に同情なさる。
<私の思いやりが母親に伝わらなかったのだろうか>
心外(しんがい)に思われるけれど、お止めになることもできない。
守夫人は気が動転(どうてん)している。
ろくに中君にご挨拶(あいさつ)も申し上げないまま、浮舟の君を連れて出発した。