天気……夏至が過ぎてからまもなく、一年中で一番暑い時季がやってきた。これまで早朝はいくぶん涼しさも感じられたが、今はもう早朝でも少しも涼しさが感じられなくなった。午前中から気温がぐんぐん上がり、風は無風状態に近く、体中がじっとりと汗ばむほどの熱気が、そこかしこにあふれている。お昼から午後三時頃までが一日のうちで最も暑く、この時間帯は、涼しいところにいても熱中症にかかりやすく、十分に気をつけなければならない。日が暮れても蒸し暑くて、なかなか寝つけなくなった。
ぼくが今、住んでいるところは、翠湖公園の築山の中にある洞窟で、外と比べたら、気温が数度低い。夏でも比較的しのぎやすいところなので、避暑地のような環境に、ぼくも妻猫もとても満悦している。しかしそうは言っても、一番暑い時季は洞窟の中にいても、外の熱気が洞窟の奥にまで入ってきて、寝苦しくて、寝つけないことが多い。昨夜は特に暑かった。何度も寝返りを打って、もだえてから、ぼくは洞窟の中にいることに我慢できなくなったので、夢遊病者のような足取りで、ふらふらと外に出た。しばらく湖畔沿いの小道に沿って歩きながら涼をとって、そのあと、うちへ帰って朝までまどろむことにしていた。草木も眠るうしみつ時は、公園の中はひっそりとしていて、猫の子一匹いなかった。夜風がかすかに吹いていて、小道に沿って整然と植えてある柳の木の枝が、かさかさと小刻みに揺れていて、とても不気味に思えた。まるでホラー映画の中の一場面を見ているようで、木の陰に幽霊が潜んでいるように思えて、不気味なこと極まりなかった。
三十分ほど公園の中を散策してから、うちへ帰ろうとした時に、後ろから不意に声をかけられた。びっくりして振り返ると、親友の老いらくさんだった。
「誰かと思ったら、老いらくさんでしたか」
まさか、こんな時間に、こんなところで老いらくさんに会うとは思ってもいなかったので、ぼくは、目を白黒させた。
「老いらくさんも蒸し暑くて眠れなくて、涼をとりにきたのですか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。すると老いらくさんが首を横に振った。
「いや、そうではない。わしはどんなに暑くても眠れないことはない。ただ、何だかこれまで聞いたことがない不思議な声がかすかに聞こえてきたので、何だろうと思って気になって出てきたのだ」
老いらくさんがそう答えた。それを聞いて、ぼくは地面に体を伏せて耳をそばだてた。すると確かに何か、この公園では聞きなれない声がかすかに聞こえてくるのが、ぼくの耳にも入ってきた。何の声だかよく分からないが、たくさんの声が、だんだん、公園のほうに近づいてきているような気配がした。しばらくしてからようやく、ぼくは、声の主が分かった。トノサマガエルだった。この公園の中にはトノサマガエルは生息していないので、聞きなれない声を耳にして、ぼくの気持ちは落ち着かなくなって、そわそわし始めた。
「あの独特の鳴き声はトノサマガエルです。たくさんのトノサマガエルが、この公園に向かって近づいてきています。ここは町なので、カエルたちはあまりいないはずですが、どうしたのでしょう。田舎で何かあったのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。老いらくさんは首をひねっていた。
「わしにもよく分からん。もしかしたら何かが起きる不吉な前兆かもしれない」
老いらくさんがそう言った。
「不吉な前兆ですか?」
ぼくの頭の中に不安がよぎった。
「笑い猫、覚えているか」
「何をですか?」
「以前、この町で大きな地震が起きた時、その数日前に、たくさんのカエルたちが、田舎からこの町にやってきて、盛んに鳴いて町の人たちに何かを訴えようとしていたではないか」
老いらくさんが、そう言ったので、ぼくは昔のことをふっと思い出した。
「そう言えば確かに、そういうことがありましたね。もしかしたら、今度もまたあの時のような大きな地震が起きることを予知して、知らせにきているのでしょうか」
「さあ、それはどうだか、わしには分からんが、いずれにせよ、これから何か異変が起きるかもしれない」
老いらくさんは、そう言って顔の表情を曇らせていた。
先の四川大地震が起きた時、ぼくは妻猫とすでに所帯を持っていたが、住んでいた家が壊れて、命からがら逃げ延びた。混乱の中で妻猫と生き別れになってしまい、再び巡り合えるまでに、ずいぶん長く時間がかかった。もうあの時のような目には二度と遭いたくないので、これからすぐに、うちへ帰って、地震のことを早く妻猫に知らせなければと思った。このことを老いらくさんに話すと
「笑い猫、まあ、そんなに慌てるな。まだ地震が来ると決まっているわけではないから、もう少し落ち着いてから行動しろよ」
と言って、ぼくに忠言した。
「分かりました。ぼくはカエルの言葉も話せますから、ここへ来たわけを聞くことができます。行動に移すのは、それからにします」
ぼくはそう答えた。
カエルたちの声は、だんだん大きくなってきて、長い隊列を作りながら、翠湖公園の正門の前から、威風堂々と公園の中に入ってきた。カエルたちは湖のほとりまで来ると、次々と湖の中に飛び込んで、気持ちよさそうに泳ぎ始めた。それを見て、老いらくさんが
「笑い猫、わしの心配は杞憂に過ぎなかったのかもしれない」
と言った。ぼくはけげんに思ったので
「どうしてですか」
と、すぐに聞き返した。
「ここ数日、暑すぎたので、カエルたちは水浴びをするために、ここへやってきたのかもしれない」
老いらくさんが、そう答えた。それを聞いて、ぼくは納得がいかなかった。
「水浴びをするための川や池は田舎にもたくさんあると思います。どうして遠路、危険を冒して、わざわざ町の真ん中にあるこの湖までやってきたのでしょうか」
「……」
ぼくの問いに老いらくさんは答に詰まっていた。
「あれこれ推測しても仕方がないから、笑い猫、自分で聞きにいったらどうだ。お前はカエルの言葉も話せるので、そのほうが確かな情報が得られるではないか」
老いらくさんが、そう言った。それを聞いて、ぼくはうなずいた。
「でも、ぼくがカエルに近づいていったら、食べられるのではないかと思って、慌てふためいて一目散に逃げていくのではないでしょうか」
ぼくは、そう言った。
「食べるつもりはないことを、カエルの言葉で言えばいいではないか。それを聞いてカエルたちが逃げるのを思いとどまったら、にっこりと笑顔を見せて友好的な態度を取りなさい。そうすればカエルたちは心を開いてくれるはずだ」
老いらくさんがそう言った。さすが老いらくさん。適切なアドバイスを送ってくれたので、ぼくは老いらくさんのアドバイスに従うことにした。
「でも今はまだ外は暗いから、ぼくが微笑んでも、ぼくの笑顔が見えないのではないでしょうか」
ぼくは、心配そうに言った。
「確かにそうかもしれないな。カエルの目は動いているものを捕まえる時は昼夜関係なく大丈夫だと思うが、笑顔のような表情を暗闇の中で見分けることができるかどうか、わしにはあまり自信がない」
老いらくさんが、そう言った。
「だったら、もう少し待って、夜が白々と明け始めてから、カエルたちのところへ行って、ここへ来たわけを聞いてみることにします」
ぼくはそう答えた。
「そうだな。それが賢明かもしれないな」
老いらくさんがそう言った。
ぼくと老いらくさんは、そのあと朝までずっと、湖畔にいて、カエルたちが楽しそうに湖の中を泳いだり、ハスの葉の上や岸辺でひと休みしている姿を見ていた。どのカエルも、喜びと開放感に満たされていて、嬉々とした表情で、静寂な公園の中で思い思いのひとときを過ごしているように見えた。
それからまもなく、空が白み始めた。
「さあ、行くなら今だ。早く行って、カエルたちに、ここへ来たわけを聞いてこい」
老いらくさんが、そう言って、ぼくにけしかけた。ぼくはうなずいた。
「くれぐれも微笑みを忘れないようにしろ」
老いらくさんが念を押すように、そう付け加えた。
「分かりました」
ぼくはにっこりとうなずいた。
それからまもなく、ぼくは微笑みを浮かべながら、カエルたちのほうへ、ゆっくりと近づいていった。ぼくの微笑みを見て、カエルたちは、ぎょっとして、かたまっていた。ぼくがカエルの言葉で、にこやかにあいさつをすると、カエルたちはびっくりして魂を奪われたような顔をしながら、ぼくの顔をじっと見ていた。
「お前は猫なのに、どうしてカエルの言葉が話せるのか」
カエルの中の一匹が、けげんそうな顔をしながら、ぼくに聞いた。
「ぼくは特殊な猫なので、どんな動物の声も話すことができます」
ぼくはそう答えた。
「お前は笑うこともできるのか」
別のカエルが、ぼくにそう聞いた。
「できます」
ぼくはそう答えた。
「何をしに来たのだ。おれたちを捕まえて食うつもりか」
さらに別のカエルが、警戒心にあふれた顔をしながら、ぼくに聞いた。
「違います。ぼくはカエルは食べません」
ぼくは、きっぱりとした表情でそう答えた。
「口では何とでも言えるからな。お前たち猫は、ネズミを好んで食べるではないか。ネズミよりも、おれたちカエルのほうが肉の味がよいと、風の便りに聞いているので、お前たち猫がおれたちを食べることに興味がないことはないはずだ」
カエルがそう言った。それを聞いて、ぼくは首を激しく横に振った。
「ぼくは普通の猫とは違います。ネズミは食べません。カエルも食べません」
ぼくは語気を強めながら、そう言った。言っていることに少しも偽りはないことを示すために、ぼくは心の底から笑みを浮かべてみせた。ぼくの屈託のない笑顔を見て、それまで少しも緩めなかったカエルたちの警戒心が少し緩んでくるのを、ぼくは感じた。微笑みは、心と心を通じ合わせるための一番有効な手段だというが、まさにその通りだと、ぼくは思った。
「そうか。お前の笑顔を見ていると、下心は少しもないことが、はっきりと伝わってくる。おれはお前の言うことを信じることにする」
ひとりだけ帽子をかぶったリーダー格のカエルが、そう言った。
「それにしても、お前はカエル語がうまいな」
リーダー格のカエルが、そう言って、ぼくをほめてくれた。
「ありがとうございます。おほめに預かり、とても光栄に存じます」
ぼくはリーダー格のカエルに敬意を表して、そう答えた。
「おれは、このカエルのグループを率いている団長で、名前はカンマ―と言う。おれたちの故郷は、ここから少し離れたところにある田舎だ。昨夜、この町へ来たばかりだ」
団長がそう言った。
「そうですか。ここは、町の中とはいえ、静かでいいところなので、ゆっくり休んでいってください」
ぼくは団長に、そう答えた。
「ありがとう。ここは湖がとてもきれいだから、おれはとても気に入っている」
団長が、そう答えた。
「そうですか。ありがとうございます」
ぼくは、そう答えた。
「おれの名前はカンマ―だが、お前は何と言うのか」
団長が聞いた。
「笑い猫と言います」
ぼくは、そう答えた。
「そうか。お前は笑うことができるからな。笑えるだけでなくて、カエルの言葉も話せるし、お前はたいした猫だな」
団長がそう言って、ぼくをほめてくれた。
「ありがとうございます。ぼくはいろいろな動物の言葉が話せるだけでなくて、人間の言葉も分かります」
ぼくがそう言うと、団長が、びっくりしたような顔をして
「お前は人の言葉も話せるのか」
と言って、聞き返してきた。
「いえ、人の言葉は話すことができません。話の内容が分かるだけです」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それでもたいしたものだ」
団長がそう言って、ぼくをまたほめてくれた。
「団長はさっき、昨夜、この町へ来たばかりだと、おっしゃいましたが、町の様子を見学させるために、たくさんのカエルたちを引き連れていらっしゃったのでしょうか。それとも何か大きな異変を予知して、町の人たちに知らせるために、いらっしゃったのでしょうか」
昨夜から気になって仕方がなかったことを、ぼくは団長に聞いた。
「町の様子を視察するために来た。田舎には、もうこれ以上住めなくなったから、町はどうなのだろうと思って、視察に来たのだ」
団長がそう答えた。思ってもいなかった意外な答が返ってきたので、ぼくは、一瞬、ぽかんとして、返す言葉がなかった。カエルたちがたくさん住んでいるところは田舎だし、田舎の環境こそが、カエルたちにとって一番住みやすくて一番快適な環境だと、ぼくはこれまでずっと思っていたからだ。田舎には田んぼや畑がたくさん広がっていて、そこには、カエルたちのえさになる虫がたくさんいるし、田舎を流れている川は町を流れている川よりも、きれいなので、カエルたちにとって田舎は楽園のようなところだと、ぼくは思っていた。その田舎に、これ以上住めなくなったとは、どういうことだろうか。釈然としないものを、ぼくは感じていた。
ぼくが今、住んでいるところは、翠湖公園の築山の中にある洞窟で、外と比べたら、気温が数度低い。夏でも比較的しのぎやすいところなので、避暑地のような環境に、ぼくも妻猫もとても満悦している。しかしそうは言っても、一番暑い時季は洞窟の中にいても、外の熱気が洞窟の奥にまで入ってきて、寝苦しくて、寝つけないことが多い。昨夜は特に暑かった。何度も寝返りを打って、もだえてから、ぼくは洞窟の中にいることに我慢できなくなったので、夢遊病者のような足取りで、ふらふらと外に出た。しばらく湖畔沿いの小道に沿って歩きながら涼をとって、そのあと、うちへ帰って朝までまどろむことにしていた。草木も眠るうしみつ時は、公園の中はひっそりとしていて、猫の子一匹いなかった。夜風がかすかに吹いていて、小道に沿って整然と植えてある柳の木の枝が、かさかさと小刻みに揺れていて、とても不気味に思えた。まるでホラー映画の中の一場面を見ているようで、木の陰に幽霊が潜んでいるように思えて、不気味なこと極まりなかった。
三十分ほど公園の中を散策してから、うちへ帰ろうとした時に、後ろから不意に声をかけられた。びっくりして振り返ると、親友の老いらくさんだった。
「誰かと思ったら、老いらくさんでしたか」
まさか、こんな時間に、こんなところで老いらくさんに会うとは思ってもいなかったので、ぼくは、目を白黒させた。
「老いらくさんも蒸し暑くて眠れなくて、涼をとりにきたのですか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。すると老いらくさんが首を横に振った。
「いや、そうではない。わしはどんなに暑くても眠れないことはない。ただ、何だかこれまで聞いたことがない不思議な声がかすかに聞こえてきたので、何だろうと思って気になって出てきたのだ」
老いらくさんがそう答えた。それを聞いて、ぼくは地面に体を伏せて耳をそばだてた。すると確かに何か、この公園では聞きなれない声がかすかに聞こえてくるのが、ぼくの耳にも入ってきた。何の声だかよく分からないが、たくさんの声が、だんだん、公園のほうに近づいてきているような気配がした。しばらくしてからようやく、ぼくは、声の主が分かった。トノサマガエルだった。この公園の中にはトノサマガエルは生息していないので、聞きなれない声を耳にして、ぼくの気持ちは落ち着かなくなって、そわそわし始めた。
「あの独特の鳴き声はトノサマガエルです。たくさんのトノサマガエルが、この公園に向かって近づいてきています。ここは町なので、カエルたちはあまりいないはずですが、どうしたのでしょう。田舎で何かあったのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。老いらくさんは首をひねっていた。
「わしにもよく分からん。もしかしたら何かが起きる不吉な前兆かもしれない」
老いらくさんがそう言った。
「不吉な前兆ですか?」
ぼくの頭の中に不安がよぎった。
「笑い猫、覚えているか」
「何をですか?」
「以前、この町で大きな地震が起きた時、その数日前に、たくさんのカエルたちが、田舎からこの町にやってきて、盛んに鳴いて町の人たちに何かを訴えようとしていたではないか」
老いらくさんが、そう言ったので、ぼくは昔のことをふっと思い出した。
「そう言えば確かに、そういうことがありましたね。もしかしたら、今度もまたあの時のような大きな地震が起きることを予知して、知らせにきているのでしょうか」
「さあ、それはどうだか、わしには分からんが、いずれにせよ、これから何か異変が起きるかもしれない」
老いらくさんは、そう言って顔の表情を曇らせていた。
先の四川大地震が起きた時、ぼくは妻猫とすでに所帯を持っていたが、住んでいた家が壊れて、命からがら逃げ延びた。混乱の中で妻猫と生き別れになってしまい、再び巡り合えるまでに、ずいぶん長く時間がかかった。もうあの時のような目には二度と遭いたくないので、これからすぐに、うちへ帰って、地震のことを早く妻猫に知らせなければと思った。このことを老いらくさんに話すと
「笑い猫、まあ、そんなに慌てるな。まだ地震が来ると決まっているわけではないから、もう少し落ち着いてから行動しろよ」
と言って、ぼくに忠言した。
「分かりました。ぼくはカエルの言葉も話せますから、ここへ来たわけを聞くことができます。行動に移すのは、それからにします」
ぼくはそう答えた。
カエルたちの声は、だんだん大きくなってきて、長い隊列を作りながら、翠湖公園の正門の前から、威風堂々と公園の中に入ってきた。カエルたちは湖のほとりまで来ると、次々と湖の中に飛び込んで、気持ちよさそうに泳ぎ始めた。それを見て、老いらくさんが
「笑い猫、わしの心配は杞憂に過ぎなかったのかもしれない」
と言った。ぼくはけげんに思ったので
「どうしてですか」
と、すぐに聞き返した。
「ここ数日、暑すぎたので、カエルたちは水浴びをするために、ここへやってきたのかもしれない」
老いらくさんが、そう答えた。それを聞いて、ぼくは納得がいかなかった。
「水浴びをするための川や池は田舎にもたくさんあると思います。どうして遠路、危険を冒して、わざわざ町の真ん中にあるこの湖までやってきたのでしょうか」
「……」
ぼくの問いに老いらくさんは答に詰まっていた。
「あれこれ推測しても仕方がないから、笑い猫、自分で聞きにいったらどうだ。お前はカエルの言葉も話せるので、そのほうが確かな情報が得られるではないか」
老いらくさんが、そう言った。それを聞いて、ぼくはうなずいた。
「でも、ぼくがカエルに近づいていったら、食べられるのではないかと思って、慌てふためいて一目散に逃げていくのではないでしょうか」
ぼくは、そう言った。
「食べるつもりはないことを、カエルの言葉で言えばいいではないか。それを聞いてカエルたちが逃げるのを思いとどまったら、にっこりと笑顔を見せて友好的な態度を取りなさい。そうすればカエルたちは心を開いてくれるはずだ」
老いらくさんがそう言った。さすが老いらくさん。適切なアドバイスを送ってくれたので、ぼくは老いらくさんのアドバイスに従うことにした。
「でも今はまだ外は暗いから、ぼくが微笑んでも、ぼくの笑顔が見えないのではないでしょうか」
ぼくは、心配そうに言った。
「確かにそうかもしれないな。カエルの目は動いているものを捕まえる時は昼夜関係なく大丈夫だと思うが、笑顔のような表情を暗闇の中で見分けることができるかどうか、わしにはあまり自信がない」
老いらくさんが、そう言った。
「だったら、もう少し待って、夜が白々と明け始めてから、カエルたちのところへ行って、ここへ来たわけを聞いてみることにします」
ぼくはそう答えた。
「そうだな。それが賢明かもしれないな」
老いらくさんがそう言った。
ぼくと老いらくさんは、そのあと朝までずっと、湖畔にいて、カエルたちが楽しそうに湖の中を泳いだり、ハスの葉の上や岸辺でひと休みしている姿を見ていた。どのカエルも、喜びと開放感に満たされていて、嬉々とした表情で、静寂な公園の中で思い思いのひとときを過ごしているように見えた。
それからまもなく、空が白み始めた。
「さあ、行くなら今だ。早く行って、カエルたちに、ここへ来たわけを聞いてこい」
老いらくさんが、そう言って、ぼくにけしかけた。ぼくはうなずいた。
「くれぐれも微笑みを忘れないようにしろ」
老いらくさんが念を押すように、そう付け加えた。
「分かりました」
ぼくはにっこりとうなずいた。
それからまもなく、ぼくは微笑みを浮かべながら、カエルたちのほうへ、ゆっくりと近づいていった。ぼくの微笑みを見て、カエルたちは、ぎょっとして、かたまっていた。ぼくがカエルの言葉で、にこやかにあいさつをすると、カエルたちはびっくりして魂を奪われたような顔をしながら、ぼくの顔をじっと見ていた。
「お前は猫なのに、どうしてカエルの言葉が話せるのか」
カエルの中の一匹が、けげんそうな顔をしながら、ぼくに聞いた。
「ぼくは特殊な猫なので、どんな動物の声も話すことができます」
ぼくはそう答えた。
「お前は笑うこともできるのか」
別のカエルが、ぼくにそう聞いた。
「できます」
ぼくはそう答えた。
「何をしに来たのだ。おれたちを捕まえて食うつもりか」
さらに別のカエルが、警戒心にあふれた顔をしながら、ぼくに聞いた。
「違います。ぼくはカエルは食べません」
ぼくは、きっぱりとした表情でそう答えた。
「口では何とでも言えるからな。お前たち猫は、ネズミを好んで食べるではないか。ネズミよりも、おれたちカエルのほうが肉の味がよいと、風の便りに聞いているので、お前たち猫がおれたちを食べることに興味がないことはないはずだ」
カエルがそう言った。それを聞いて、ぼくは首を激しく横に振った。
「ぼくは普通の猫とは違います。ネズミは食べません。カエルも食べません」
ぼくは語気を強めながら、そう言った。言っていることに少しも偽りはないことを示すために、ぼくは心の底から笑みを浮かべてみせた。ぼくの屈託のない笑顔を見て、それまで少しも緩めなかったカエルたちの警戒心が少し緩んでくるのを、ぼくは感じた。微笑みは、心と心を通じ合わせるための一番有効な手段だというが、まさにその通りだと、ぼくは思った。
「そうか。お前の笑顔を見ていると、下心は少しもないことが、はっきりと伝わってくる。おれはお前の言うことを信じることにする」
ひとりだけ帽子をかぶったリーダー格のカエルが、そう言った。
「それにしても、お前はカエル語がうまいな」
リーダー格のカエルが、そう言って、ぼくをほめてくれた。
「ありがとうございます。おほめに預かり、とても光栄に存じます」
ぼくはリーダー格のカエルに敬意を表して、そう答えた。
「おれは、このカエルのグループを率いている団長で、名前はカンマ―と言う。おれたちの故郷は、ここから少し離れたところにある田舎だ。昨夜、この町へ来たばかりだ」
団長がそう言った。
「そうですか。ここは、町の中とはいえ、静かでいいところなので、ゆっくり休んでいってください」
ぼくは団長に、そう答えた。
「ありがとう。ここは湖がとてもきれいだから、おれはとても気に入っている」
団長が、そう答えた。
「そうですか。ありがとうございます」
ぼくは、そう答えた。
「おれの名前はカンマ―だが、お前は何と言うのか」
団長が聞いた。
「笑い猫と言います」
ぼくは、そう答えた。
「そうか。お前は笑うことができるからな。笑えるだけでなくて、カエルの言葉も話せるし、お前はたいした猫だな」
団長がそう言って、ぼくをほめてくれた。
「ありがとうございます。ぼくはいろいろな動物の言葉が話せるだけでなくて、人間の言葉も分かります」
ぼくがそう言うと、団長が、びっくりしたような顔をして
「お前は人の言葉も話せるのか」
と言って、聞き返してきた。
「いえ、人の言葉は話すことができません。話の内容が分かるだけです」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それでもたいしたものだ」
団長がそう言って、ぼくをまたほめてくれた。
「団長はさっき、昨夜、この町へ来たばかりだと、おっしゃいましたが、町の様子を見学させるために、たくさんのカエルたちを引き連れていらっしゃったのでしょうか。それとも何か大きな異変を予知して、町の人たちに知らせるために、いらっしゃったのでしょうか」
昨夜から気になって仕方がなかったことを、ぼくは団長に聞いた。
「町の様子を視察するために来た。田舎には、もうこれ以上住めなくなったから、町はどうなのだろうと思って、視察に来たのだ」
団長がそう答えた。思ってもいなかった意外な答が返ってきたので、ぼくは、一瞬、ぽかんとして、返す言葉がなかった。カエルたちがたくさん住んでいるところは田舎だし、田舎の環境こそが、カエルたちにとって一番住みやすくて一番快適な環境だと、ぼくはこれまでずっと思っていたからだ。田舎には田んぼや畑がたくさん広がっていて、そこには、カエルたちのえさになる虫がたくさんいるし、田舎を流れている川は町を流れている川よりも、きれいなので、カエルたちにとって田舎は楽園のようなところだと、ぼくは思っていた。その田舎に、これ以上住めなくなったとは、どういうことだろうか。釈然としないものを、ぼくは感じていた。

