姫宮様は何もご存じなくお休みになっている。
近くで男性の気配がするので、源氏の君がお越しになったと勘違いなさった。
すると男は、かしこまった様子で宮様を抱き起こしてお座らせする。
<妖怪だろうか>
と怖がりながらそっと見上げなさると、目の前に知らない男がいるの。
何やらよく分からないことを訴えている。
不気味に思って女房をお呼びになるけれど、近くには誰もいない。
震えてしまわれて汗が水のように流れおちる。
そのご様子が衛門の督様にはおかわいらしい。
男の訴えはつづいている。
「入道の上皇様も」
姫宮様ははっとしてお聞きになる。
「けっして『おまえでは姫宮の結婚相手にふさわしくない』とは仰せにならなかったのです。それを頼みに、たいした身分でもありませんが姫宮様へのご愛情だけは誰にも負けないと信じて、あなた様のことだけを思いつづけておりました。源氏の君とご結婚なさってもう七年になりますが、年月が経つほどに悔しく、つらく、恐ろしく、悲しく、乱れる心がどうしようもなくなって、今夜こちらに参ったのでございます。あなた様に申し訳ないことをしていると分かっておりますから、これ以上のことは絶対にいたしません」
<小侍従がときどき手紙を見せてくる人だろうか>
思い当たられるけれど、驚きと恐怖で何もおっしゃることはできない。
「私などにお返事をしてくださらないのはごもっともですが、それではあふれる恋心に飲みこまれてしまいそうです。『気の毒な男だ』とだけでもおっしゃってくだされば、そのご同情を宝物にして、このまま引き下がりましょう」
たしかに衛門の督様は姫宮様に手出しなどなさるおつもりはなかった。
内親王様のなかでも特別に格の高い方だから、とてもそのようなことができる雰囲気にはならないだろうと思っておられたの。
それがお腕のなかにいらっしゃるのは、ただただ優しい雰囲気の、おかわいらしい女君。
宮様らしい上品さもおありになって、他のどこにもいないような方よ。
<何もかも捨てて、姫宮様をさらって逃げたい>
衛門の督様はとうとう恋心に飲みこまれてしまわれた。
浅い眠りの中で衛門の督様は夢をご覧になった。
かわいがっておられる猫がかわいらしく鳴きながら近づいてくる。
もともとは姫宮様の猫だからと連れてきたのだけれど、お返しなどしなければよかった、というところで目をお覚ましになった。
<動物の夢は懐妊のお告げというが、まさか>
姫宮様の方を振り向かれる。
姫宮様は現実の出来事とも思えず茫然となさっている。
「こうなる運命だったとお考えください。私もどうかしておりました。あの春の日、猫のせいで簾がめくれあがって、あなた様の姿を拝見してしまったのです。どうしてももう一度お会いしたくて、それでこのようなだいそれたことをしてしまったのかもしれません」
つくづく運命に翻弄される宮様でいらっしゃる。
<こんなことになってしまって、源氏の君にどんな顔でお会いしたらよいのだろう>
幼子のようにお泣きになるので、衛門の督様はご自分の着物の袖でぬぐってさしあげる。
衛門の督様も泣いておられる。
夜が明けていく。
人目が多くなる前にお帰りになるべきだけれど、衛門の督様は動く気になれずにいらっしゃる。
「先のことを何も考えておりませんでした。ひどくお憎みのご様子ですから、もうお目にかかることはございませんでしょうね。最後に一言だけお声をお聞かせいただけませんか」
姫宮様はお返事なさらない。
「これほどおかわいらしいのに人形のようでいらっしゃる。冷たい方だ。ご同情もいただけないのでは私はもはや生きる希望を失いました。今夜で命を終えましょう。死にゆく男への情けとお思いになって、もう少しだけお付き合いくださいませ」
姫宮様を抱き上げてご寝室をお出になる。
<私をどうするつもりだろう>
されるがままになりながら、姫宮様は不安でいっぱいでいらっしゃる。
衛門の督様は縁側の窓を少し開けて姫宮様のお顔を拝見しようとなさる。
「あなた様がいつまでもご冷淡でいらっしゃるから、私はすっかり正気を失ってしまいました。屋敷に戻れば何をするか分かりません。早まってはならないと止めるお気持ちがおありなら、一言『気の毒な』とだけでも優しいお言葉をお聞かせください」
脅すようにおっしゃるので、姫宮様は<いったい何を言っているのだ>と驚かれる。
何か言おうとはなさるのだけれど震えてしまわれるの。
いつまでも少女のような方だから。
夜明けは待ってくれない。
これ以上いつづけるわけにもいかなくて、衛門の督様は急いでお帰りになる。
「ふしぎな夢を見たのです。あまりに私をお憎みになるのでお話しできませんでしたが、すぐに何のことかお分かりになるときがまいりましょう」
意味深なことを言い残される。
それから、
「明け方前の暗い空の下、私はどこへ向かっていくのだろう」
とつぶやかれたので、姫宮様はやっと男が出ていくことに少し安心なさる。
「私は暗い空に消えてしまいたい。何もなかったことにできるだろうに」
儚げにおっしゃるお声が幼くておかわいらしい。
最後まで聞くか聞かないかのところでお別れになった衛門の督様は、姫宮様が忘れられなくて、魂だけを六条の院に置いてきたようにお思いになる。
近くで男性の気配がするので、源氏の君がお越しになったと勘違いなさった。
すると男は、かしこまった様子で宮様を抱き起こしてお座らせする。
<妖怪だろうか>
と怖がりながらそっと見上げなさると、目の前に知らない男がいるの。
何やらよく分からないことを訴えている。
不気味に思って女房をお呼びになるけれど、近くには誰もいない。
震えてしまわれて汗が水のように流れおちる。
そのご様子が衛門の督様にはおかわいらしい。
男の訴えはつづいている。
「入道の上皇様も」
姫宮様ははっとしてお聞きになる。
「けっして『おまえでは姫宮の結婚相手にふさわしくない』とは仰せにならなかったのです。それを頼みに、たいした身分でもありませんが姫宮様へのご愛情だけは誰にも負けないと信じて、あなた様のことだけを思いつづけておりました。源氏の君とご結婚なさってもう七年になりますが、年月が経つほどに悔しく、つらく、恐ろしく、悲しく、乱れる心がどうしようもなくなって、今夜こちらに参ったのでございます。あなた様に申し訳ないことをしていると分かっておりますから、これ以上のことは絶対にいたしません」
<小侍従がときどき手紙を見せてくる人だろうか>
思い当たられるけれど、驚きと恐怖で何もおっしゃることはできない。
「私などにお返事をしてくださらないのはごもっともですが、それではあふれる恋心に飲みこまれてしまいそうです。『気の毒な男だ』とだけでもおっしゃってくだされば、そのご同情を宝物にして、このまま引き下がりましょう」
たしかに衛門の督様は姫宮様に手出しなどなさるおつもりはなかった。
内親王様のなかでも特別に格の高い方だから、とてもそのようなことができる雰囲気にはならないだろうと思っておられたの。
それがお腕のなかにいらっしゃるのは、ただただ優しい雰囲気の、おかわいらしい女君。
宮様らしい上品さもおありになって、他のどこにもいないような方よ。
<何もかも捨てて、姫宮様をさらって逃げたい>
衛門の督様はとうとう恋心に飲みこまれてしまわれた。
浅い眠りの中で衛門の督様は夢をご覧になった。
かわいがっておられる猫がかわいらしく鳴きながら近づいてくる。
もともとは姫宮様の猫だからと連れてきたのだけれど、お返しなどしなければよかった、というところで目をお覚ましになった。
<動物の夢は懐妊のお告げというが、まさか>
姫宮様の方を振り向かれる。
姫宮様は現実の出来事とも思えず茫然となさっている。
「こうなる運命だったとお考えください。私もどうかしておりました。あの春の日、猫のせいで簾がめくれあがって、あなた様の姿を拝見してしまったのです。どうしてももう一度お会いしたくて、それでこのようなだいそれたことをしてしまったのかもしれません」
つくづく運命に翻弄される宮様でいらっしゃる。
<こんなことになってしまって、源氏の君にどんな顔でお会いしたらよいのだろう>
幼子のようにお泣きになるので、衛門の督様はご自分の着物の袖でぬぐってさしあげる。
衛門の督様も泣いておられる。
夜が明けていく。
人目が多くなる前にお帰りになるべきだけれど、衛門の督様は動く気になれずにいらっしゃる。
「先のことを何も考えておりませんでした。ひどくお憎みのご様子ですから、もうお目にかかることはございませんでしょうね。最後に一言だけお声をお聞かせいただけませんか」
姫宮様はお返事なさらない。
「これほどおかわいらしいのに人形のようでいらっしゃる。冷たい方だ。ご同情もいただけないのでは私はもはや生きる希望を失いました。今夜で命を終えましょう。死にゆく男への情けとお思いになって、もう少しだけお付き合いくださいませ」
姫宮様を抱き上げてご寝室をお出になる。
<私をどうするつもりだろう>
されるがままになりながら、姫宮様は不安でいっぱいでいらっしゃる。
衛門の督様は縁側の窓を少し開けて姫宮様のお顔を拝見しようとなさる。
「あなた様がいつまでもご冷淡でいらっしゃるから、私はすっかり正気を失ってしまいました。屋敷に戻れば何をするか分かりません。早まってはならないと止めるお気持ちがおありなら、一言『気の毒な』とだけでも優しいお言葉をお聞かせください」
脅すようにおっしゃるので、姫宮様は<いったい何を言っているのだ>と驚かれる。
何か言おうとはなさるのだけれど震えてしまわれるの。
いつまでも少女のような方だから。
夜明けは待ってくれない。
これ以上いつづけるわけにもいかなくて、衛門の督様は急いでお帰りになる。
「ふしぎな夢を見たのです。あまりに私をお憎みになるのでお話しできませんでしたが、すぐに何のことかお分かりになるときがまいりましょう」
意味深なことを言い残される。
それから、
「明け方前の暗い空の下、私はどこへ向かっていくのだろう」
とつぶやかれたので、姫宮様はやっと男が出ていくことに少し安心なさる。
「私は暗い空に消えてしまいたい。何もなかったことにできるだろうに」
儚げにおっしゃるお声が幼くておかわいらしい。
最後まで聞くか聞かないかのところでお別れになった衛門の督様は、姫宮様が忘れられなくて、魂だけを六条の院に置いてきたようにお思いになる。



