「……ということで、うちのクラスの図書委員は十司さんに決まりました。皆さん、拍手をお願いします」
クラス委員長の言葉を合図に教室内でバラバラと拍手が起こる。
わたし、十司文は「ありがとう……」と言って、どうにか笑ったのだった。
(もうっ! なんでこうなっちゃうのよ……)
拍手が止んで次のクラス委員決めに移ったのをいいことに、こっそり溜め息を吐く。
もう誰もわたしのことなんて見ていなかった。
ただ一人、わたしを図書委員に勧めた担任の国下先生は別として。
(先生のせいなんだからね!)
怒る代わりに小さく頬を膨らませて国下先生を睨んだけれども意味が通じなかったのか、国下先生は「やったな」と言いたげな顔で小さく親指を立てた。
そういう意味じゃ無かったのに……。
クラスの女子から人気の爽やか系の若い男の先生。笑うと頬にえくぼができるのが可愛いんだって。
担当科目が国語ということもあって、生徒の目線で一緒に考えてくれて、面白おかしい話をたくさんしてくれる。
悪い先生では無いけれども、わたしは苦手な先生だった。
(先生がパパのファンなんて聞いていないよ~!)
ついさっきのことを思い出す。
この春にわたしが入学した中高一貫の永都学園の大きな特徴と言われている、学園の創立時から建っている歴史のある図書館。
三階建ての図書館の中には、子供向けの絵本から大人が読むような難しい本までたくさん置いているって、数日前の学園内ツアーで国下先生が教えてくれた。
そんな図書館のお掃除や本の片付け、生徒や先生たちに本を貸したり、返された本を元の本棚に戻したりするのがこの学園の図書委員のお仕事。
でも誰も来ない古い図書館に置いてある全ての本の場所を覚えて、図書館内の階段を昇り降りして本を探さなきゃならないから、どこのクラスでも人気の無いクラス委員なんだって。
わたしのクラスでも図書委員に立候補する人がいなくて、そこから話が進まなくなったんだけど、見かねた国下先生がみんなに話しちゃったんだよね。
『このクラスにはな、先生も大好きな人気小説家の十司英蒔の子供がいるんだ』
国下先生のその言葉をきっかけにクラス中がざわざわと盛り上がって、『えっ! そうなの!?』や『マジかよ。十司英蒔って有名人じゃん!』という声があちこちから聞こえてくる。
そして国下先生はニヤリと笑うと、わたしを見たのだった。
『十司、図書委員をやってみないか?』
国下先生の言葉でクラスは大盛り上がり。誰もがわたしを期待するように見つめてくる。
注目を集めたわたしは早く解放されたくて、つい小さく手を挙げて言っちゃったんだよね。
『じゃあ、やります……』
その言葉を待っていましたというように、教壇の上でクラス委員決めを取りまとめていたクラス委員長に国下先生が合図を送ってしまう。
それで図書委員になったんだけど……。
「文ちゃんのお父さんが人気の作家さんって知らなかったな。なんで教えてくれなかったの?」
他の委員が決まっていく中で、入学式で仲良くなった隣の席の夏樹ちゃんに小声で聞かれる。
将来の夢はアナウンサーという夏樹ちゃんは、クラス委員決めを始めてすぐに放送委員に立候補して決まったんだよね。
目がぱっちりして可愛いし、みんなの話しをまとめるのが上手だから人前で話す仕事は絶対向いていると思うの。ぱっとしない見た目のわたしとは大違い。
「だって、パパがこんなに人気なんて知らなかったから……」
本当はウソ。わたしのパパである十司英蒔は今や日本国内に限らず世界中で人気のミステリー作家なんだ。
ある時は警察官のお話、その次は探偵のお話、高校や大学を舞台にしたお話もあるんだって。
パパが書いた小説の中にはドラマや映画になっている作品がいくつもあって、ついこの間映画になったパパの小説には小中学生に人気の俳優やアイドルが何人も出演していることで有名なんだって。
わたしはパパのお仕事や小説に興味が無いから話を聞いても「ふーん」としか思わなかったけれども、テレビのワイドショーやインターネットで何度も話題になっているから本当みたい。
「お父さんが作家さんなら図書委員は文ちゃんにピッタリだね! だって小さい頃からたくさん本は読んでいるでしょ?」
「そうだね……」
これも真っ赤なウソ。本当は本なんて大嫌いだし、読書なんてもっとイヤ。
パパのせいで昔から国語が得意と思われていたわたしは、国語のテストの点数が悪いとすぐに先生から心配されるの。
問題が難しかったのかとか、具合が悪かったのかとか。
だから国語だけは猛勉強してクラスの平均点をキープしてきた。
でもそれが原因で、本を見ると国語の点数を落とされないように勉強していた日々を思い出して憂うつになる。
漢字や文字がたくさん連なっている長い文章を見ても同じ。プレッシャーでお腹が痛くなるんだ。
だからパパが小説家だって知る人や知り合いが誰もいないこの永都学園の中学部に進学したのに……。
(大丈夫。クラス委員は一年間だけ。二年生になれば、もう図書館なんて行かなくていい)
そう自分に言い聞かせて、クラス委員決めが終わるのを待ったのだった。
◆◆◆
「十司、少しいいか?」
その日の放課後、帰り支度をしていると国下先生に呼び止められて一冊の古い本を渡された。
表紙には『楽しい図書館の使い方』と書かれていて、エプロン姿の女の人が本棚の前で本を手にして笑っていたのだった。
「早速、図書委員の仕事だ。この本を図書館に返しに行ってくれ」
「何ですか? この本……」
「学級文庫。去年図書館に返しそびれた本らしい。掃除当番がロッカーの裏に落ちていたのを見つけてくれたんだ」
わたしの学校には朝のホームルームの前に朝読書の時間がある。
そこで各々準備した本を読むんだけど、読みたい本が無い人や本を忘れた人のために、各クラスには学級文庫と呼ばれる図書館から借りた本のセットが置いてある。
定番の文学作品から読んでタメになる科学や社会の本、戦国武将や政治家の伝記やスポーツの本まで、自由に読んで良いことになっているの。
三月になると図書館に返して、四月からはまた別のクラスに貸すってことを繰り返しているらしいけど、どうやら去年このクラスを使っていた人たちが返し忘れたみたい。
「せっかくだから図書館を見学してこい。ここの図書館はいいぞ。静かで本の種類も豊富で。勉強に集中できるからって、うちの大学生からも人気だ」
わたしが通っている永都学園は中高一貫の学校だけど、市外には大学部がある。そこに通う大学生も希望すればここの図書館を使えるんだって。
基本的には中学生と高校生のための図書館だけど、今は図書館を使う人が全然いないから大学生が一番使っているとか。
(まあ、そうだよね。今どき本なんて読まなくても困らないし)
わたしも読書が嫌いだけどクラスでも読書が苦手な人は多いみたいで、朝読書の時間はかなり評判が悪い。
読書なんてやるくらいなら短時間でできる漢字や計算ドリルをやった方が良いって。
今どき本を読まなくても物語の内容を短くまとめた動画がいくつもあるし、ネットには感想が溢れていて本を読まなくても読んだ気になれる。
そもそも学生は勉強や部活が忙しくて本を読む暇が無いもの。
家に帰ったらSNSで新しい情報をチェックして、好きなアニメやドラマを観るのに忙しい。
わたしは国下先生から本を受け取ると、「はーい」と適当に返事をして教室を出たのだった。
下駄箱で靴を履き替えて校舎から少し離れた場所に建つ図書館に向かっていると、近くのテニスコートからは賑やかな声が聞こえてくる。
「やったじゃん! いいスマッシュだったぜ!」
「えへへっ……まあな!」
今日は男子テニス部が使っているのか、永都学園のロゴ入りジャージ姿の男子二人組がハイタッチを交わす姿が見える。
吹奏楽部が練習しているのか遠くからは金管楽器の音が辺りに響いていた。
今は新入生の勧誘期間だからかどの部も力を入れて活動しているみたいで、夏樹ちゃんもホームルームが終わるとすぐに放送部の見学に行っちゃったんだよね。
(いいな。みんな本気になれるものがあって)
わたしには特技と呼べるものも趣味というものも無い。
運動はあまり得意じゃないし、人並みに動画を観たりゲームをしたりするけどそれだけ。
夏樹ちゃんのように将来の夢が決まっているわけでもないし、特にやりたいことも無い。
パパを知っている人たちからは、パパを真似して物語を書いてみたらと言ってくれるけど、文章を読むことさえイヤなわたしが長い文章を書けるわけが無いじゃない。
そんなことを考えていると、やがて童話に出てくるようなドーム状の古い建物が目の前に現れる。
(あれが図書館だっけ……)
今にも崩れてしまいそうな黒ずんだ黒い壁、窓は本棚で隠れているのか真っ暗で中は何も見えなかった。
図書館というよりはお化けが出てくる洋館って言われてもおかしくない。
読書が嫌いなわたしには縁が無い場所だって思っていたけど、まさか図書委員として行くことになるなんて……。
(頼まれた本を返したらさっさと帰ろう)
そう心に決めて、わたしは図書館に入る。
図書館は土足が禁止されているので玄関で専用のスリッパに履き替えると、自動ドア前の入場ゲートに入学時に渡された顔写真付きの生徒証をかざす。
駅の改札口みたいで、タッチするとピコンと音が鳴ってゲートが開くのが楽しい。
(へぇ。ここが図書館なんだ……)
そして初めて立ち入った図書館は見渡す限り天井まで埋め尽くすような本棚に囲まれていて、外の明かりがほとんど入ってこないからかどこか息苦しく思えた。
去年まで通っていた小学校の図書室は校舎の最上階にあって、場所も狭くて開放的な明るい場所だったから、ここの図書館とは大違い。
(えっと、本を返すには一階のカウンターに持っていけばいいんだっけ?)
入り口脇に貼られた新入生向けの図書館の使い方と図書館内のマップを確かめる。
今いるのが一階で、突き当たりには図書館で働く人――司書って呼ばれている図書館の専任のスタッフさんが座っているカウンターがある。
ここのカウンターで本を外に持ち出す手続きや持ち出した本を返すことができるんだよね。
他にも探している本が見つからない時や本の探し方が分からない時は司書さんが代わりに探して教えてくれる。
図書館の中に置いているパソコンからも本を調べられるけど、司書さんに聞いた方が早いもの。だって「餅は餅屋」ってことわざがあるでしょう?
その道のことは、その道に詳しい人に聞いた方が良いみたいな。
国下先生から預かった本を持ってカウンターに行ったけれども、そこには誰も座っていなかった。
カウンターの奥にドアがあるから、そこに居るのかな。
「あの。すみません。本を返したいんですけど」
ドアに向かって声を掛けたけれども、人が出てくる気配は無かった。
カウンターに置かれたパソコンの電源は点いたままだから、どこかに行っているだけだと思うけど。
(困ったな……)
わたしは腕時計を確認する。家から学校まで電車で一時間は掛かるから、あまり遅くならないうちに帰りたい。
パパとママには遅くなるって言わなかったから、心配されるかも。
(自分の本じゃ無いし、ここに置いて帰ろうかな……)
目の前のカウンターに本を置いて帰ろうかと思ったところで、どこから現れたのか若い男の人がカウンターに入ってくる。この人が図書館で働く司書さんなのかな。
国下先生よりも若く見えるから、司書さんというより大学生みたい。
首の後ろで黒い髪を結んで肩に流しているお兄さんに勇気を出して話し掛ける。
「すみませんっ! 本を返したいんですがっ!」
わたしの声に気付いていないのか、お兄さんはカウンター内のイスに座って本を開く。
そうかと思えば半透明の白いページを開いて、本の真ん中に貼り始める。ページが外れた本を直しているのかな。
「お兄さん! 本を返したいんですけどっ!」
そこでようやくお兄さんは手を止めて顔を上げた。
整った顔立ちに切れ長の黒い目がキラキラしていて、まるで漫画に登場する王子様のようだった。
「もしかして、私に声を掛けていますか?」
まるで初めてわたしに気付いたというようなお兄さんの言葉にむっとしてしまう。
ずっと話し掛けていたのに今さら気付いたなんて、無視されていたみたいで悲しい。
悔しくてちょっと言い方が強くなってしまう。
「そうです。ずっとお兄さんに声を掛けていました!」
「そうですか。すみません。まさか今の時代に私の姿が見える人がいるなんて思わなくて……」
姿が見えるなんて言い方をするってことは、まさかお兄さんは幽霊なのだろうか。だんだん怖くなってきたけれども、早く帰るためにもさっさと用事を済ませてしまいたい。
そこでお兄さんに本を渡したのだった。
「この本、私の教室から見つかりました。多分、学級文庫として借りていた本だから、図書委員から図書館に返すようにって、担任の国下先生に頼まれました」
「わかりました。ちょっとお借りしますね」
お兄さんは慣れた手つきで本を裏返して、「永都学園中学高校図書館」と書かれたシールと、その下の黒と白の線からなるバーコードを、パソコンとつながったバーコードスキャナーで読み込む。
スーパーと同じだと思っていると、パソコンに何か表示されたのか、「たしかに」と呟いたのだった。
「こちらの本は昨年度の中等部一年Bクラスに貸していた本です」
「どのクラスに貸したかも分かるんですか?」
「ええ。この図書館のバーコードにはそういった本の貸し借りに関する情報が記録されているんです。この本を誰にいつ貸して、そしていつ誰が返したのかも」
「すごいですね。まるで魔法みたい」
「あなたも図書委員になったのなら、このバーコードを使う機会があると思いますよ。図書委員は本の貸出や返却のお手伝いをしますから。と言っても、最近の子供たちは本なんて全然読まないから、このバーコードを使う機会もありませんけどね」
話しながらもお兄さんはパソコンを操作して、何度もバーコードシールをスキャナーで読み取る。
そして何故か本をわたしに返してきたのだった。
「この本を持って来られたということは、あなたは一年Bクラスの図書委員さんなんでしょう?」
「そうです。一年Bクラスの十司文です」
「十司さん、練習だと思って、この本を本棚に戻してもらえませんか。棚は『010』になります」
「『010』の棚、ですか?」
「ここのタイトルの下を見てください。四角に囲まれたシールが貼っているでしょう?」
お兄さんが指したのは、この本の側面。本を本棚に入れた時に見えるタイトル――『楽しい図書館の使い方』だった。
そこには黒い四角形に囲まれたシールが貼られていて、四角形の一番上の行には「010」の数字、その下には「ミヤ」とカタカナが印刷されていた。
「このシールは請求記号と言って、この本が図書館のどこの棚にあるかを示しています。例えるなら、本の住所のようなものです」
「その『010』の下の『ミヤ』も?」
「そうです。『010』が本の棚を表しており、『ミヤ』はその本の棚のどこに入れるのかを示しています。この『ミヤ』というのは、この本を書いた作者の『都浩一郎』の名字から付けられています」
本のタイトルや表紙にはこの本を書いた作家さんの名前である「都浩一郎」の名前が書かれていた。
パパの本にもその物語のタイトル以外に、その本を書いたパパの名前「十司英蒔」が書かれている。
この本を書いたのは自分です、っていう自慢のために書かれていると思っていたけれど、どうやら違うみたい。
「ちなみにこの『010』ですが、それぞれ本の内容に合わせて『0から9』の数字が割り当てられています。適当に数字を付けているわけじゃないんですよ」
「じゃあこの本が『010』という数字なのも、意味があるんですね」
「ええ。この『010』というのは、図書館について書かれた本に付けられている数字です。請求記号の頭となる一文字目の『0』は図書館に関する本や辞典、辞書などの本に付けられるので。それを図書館では『総記』と呼びます」
お兄さんはさっきわたしに返した本の請求記号を指差しながら教えてくれる。
「こういった本の内容ごとに『0から9』の数字を付けて十個のグループに分けることを、『分類する』と呼んでいます」
「他の数字にも意味があるんですか?」
「『1』から始まる本は人の心に関する心理学や昔の人の考えや教えについてまとめた哲学書、『2』から始まる本には各国の土地や歴史、時代ごとの出来事や偉人に関する伝記に付けられています。二桁目以降の数字にも意味があるので、それはまた別の機会には教えますね」
そしてお兄さんはカウンターの横にある階段を指す。
その先には天井までぐるりと伸びるような螺旋階段があった。
「『010』の本棚は三階の奥になります。本棚の側面に数字が書いてありますので、同じ数字の棚に行ってください」
「すぐ見つかりますか? わたし、帰りの電車があるので、あまり遅くならないうちに帰りたいんですけど」
「分からなければ、『0』類の彼に聞いてください。自分の本が滅多に読まれないからって、拗ねてますので。十司さんが話し掛けたら、きっと喜んで教えてくれますよ」
お兄さんに見送られながら、言われた通りに螺旋階段を昇って三階に向かう。
天井に近づくにつれて、図書館に入った時からずっと鼻をムズムズさせる乾いた埃と古い紙の臭いが強くなる。
このいかにも図書館って感じの臭いがイヤで図書館が嫌いな人も多いらしいけど、わたしはパパが仕事で使っている自宅の書斎と似ているからか、あまり気にならなかった。
「えっと。ここが三階だよね……」
お兄さんに教えられた三階に着いたけれども、わたし以外には誰もいないようだった。
階段の側の案内図によると、ここには「0から2」までの数字が付けられた本を置いているみたい。
本棚の側面にはそれぞれ「221 日本の歴史」や「110 哲学」と書かれていて、同じ数字の本がその本棚に集められているようだった。
その本棚の中で今度はあいうえお順に並べられているみたいで、一番上の棚の左端が「ア」、一番下の棚の右端に「ワ」から始まる本が置いてあった。
(『010』の棚は……っと)
本棚を順番に見ながら突き当たりに向かって歩いていると、ようやく「0」からは始まる本の棚が現れる。
でも他の数字の本棚とちがって、「0」から始まる棚は三個しか無かったんだ。
「なにこれ! どこに入れたらいいの!?」
他の本棚は数字ごとに本棚が決まっていたけど、「0」から始まる棚だけが数字が混ざってぐちゃぐちゃになっていた。
一番上の棚の「000」の本の隣に「007」の本、そして「007」の隣には「001」の本と「012」の本が交互に並んでいたのだった。
誰かが適当に本を出し入れしたような棚にうんざりしてしまう。
(同じ数字を探していたらキリがないよ~)
お兄さんには申し訳ないけど、わたしも適当な棚に本を戻して帰ろうかな。
そんなことを考えて目の前の本棚にあった「050」の本の隣に、持っていた「010」の数字が割り当てられた『楽しい図書館の使い方』の本を入れた時だった。
「おい。そこは雑誌や年鑑に関する本を入れる場所だ。図書館に関する本は上から二番目の棚」
いつからそこに居たのか、わたしと同い年くらいの金髪の男の子が立っていたんだ。
「君はだれ?」
わたしと同じくらいの身長で永都学園の中等部の制服を着ているから、同じ一年生かと思ったけれども、こんなに目立つ金髪の男の子を見たことはなかった。
吊り上がった目とキリリと整った眉なんて、いかにも女の子からモテそうなのに。
そんな男の子はわたしを無視して、さっき適当に本棚に戻した『楽しい図書館の使い方』の本を引っ張り出すと、元の場所という上から二番目の本棚の真ん中あたりに入れてくれる。
その本の左隣の本が「010」と「マサ」のシールが貼られた本で、右隣の本が「010」と「ヤナ」のシール付きの本だから、「010」と「ミヤ」のシールが書かれたわたしの本はこの間ってことね。
「ありがとう。君も一年生? わたしは十司文。中等部の一年Bクラスの図書委員なんだ」
「ああ。あんたが歴彦が言っていた。オレたち『ビブリティカ』のあるじってことか」
歴彦って人がさっきカウンターにいたお兄さんの名前なのかな。それにしても同い年くらいの男の子の偉そうな態度と言葉にちょっとむっとなる。
売り言葉に買い言葉で強く出てしまう。
「『ビブリティカ』って、なあに?」
「はんっ! オレたちのことが見えるのに『ビブリティカ』のことを知らないって、お前も本が好きで図書委員になったんじゃないのかよ」
「勝手に決めつけないでよ! わたしだって別にやりたくて図書委員になったわけじゃないんだもん! 本がきらいなのに、パパが小説家だからって理由だけで図書委員を押し付けられて、迷惑しているんだからっ!!」
クラス委員決めでの悔しさが爆発したのか、つい関係ない男の子を相手に喧嘩腰になってしまう。
「だいだい今どき図書館で本を読む子なんていないでしょ! みんな勉強や部活で忙しいし、家に帰ったらSNSをチェックして好きなテレビを見なきゃいけないの! 本なんて読まなくたって生きていけるし、自分が読まなくたって誰かの感想やまとめブログで読んだ気になれるもの!」
漫画のように絵が中心だとすぐに読めるけれども、文章はそれを読んで頭の中で整理して想像しなければならない。
その本を書いた作者はどう考えて、何を伝えたいのか。それを考えるのが大変なの。
国語のテストなんて、自分が思ったことと、作者が考えたことが違っていると点数をもらえない。
読書感想文の宿題だって同じ。自分がその本を読んで思ったことより、作者が思ったことを当てなきゃならないなんて、そんなの自分が読まなくてもいいじゃない。
それなら誰かが書いた本の感想を読んで、その本を読んだ気になった方がずっと自分の時間を節約できる。
勉強や部活の合間の限られた時間しか使えないなら、自分が好きなことをしたいじゃない。
そういうつもりで言ったら、目の前の男の子がビシッとわたしに向けて指を突きつけたのだった。
「こんな奴がオレたちのあるじなんて何かの間違いだ! オレは絶対に認めないからな!」
「なによ、それ! わたしだってあなたみたいな人に用は無いんだからっ!!」
お互いにフンと顔を背け合うと、男の子はどこかに行ってしまう。
そして入れ替わりにやってきたのは、女の子のように可愛い栗毛のボブショートをした男の子だった。
見たこと無いけど、この子も中等部の生徒なのかな。わたしやさっきの金髪の男の子と同い歳くらいに見える。
「さっきからうるさいんだけど。図書館なんだから静かにしてくれる?」
「ご、ごめんなさい……」
わたしはすぐに頭を下げる。
怒りですっかり忘れていたけれども、図書館では静かにするようにって、学園内ツアーの時に国下先生が言っていたっけ。
「で、チビサクと喧嘩してたってことは、君がおれたちのあるじなの?」
さっきの金髪の男の子がサクって名前なのかな。
チビって言っているけど、目の前の男の子とあまり変わらなかったような……。
そんなことを考えていると、栗毛の男の子にジロジロと見られて、またしてもイヤな気持ちになる。
「あるじになんてなりませんっ! さっきから『ビブリティカ』が何か知らないけど、わたしには関係ないからっ!!」
「あっそ。おれはどうでもいいけどね。ツグ兄に言われて様子を見にきただけだし」
その子もいなくなると、わたしは図書館に取り残されてしまう。
「もう! あるじとか、『ビブリティカ』とか何なのよっ!!」
クラス委員長の言葉を合図に教室内でバラバラと拍手が起こる。
わたし、十司文は「ありがとう……」と言って、どうにか笑ったのだった。
(もうっ! なんでこうなっちゃうのよ……)
拍手が止んで次のクラス委員決めに移ったのをいいことに、こっそり溜め息を吐く。
もう誰もわたしのことなんて見ていなかった。
ただ一人、わたしを図書委員に勧めた担任の国下先生は別として。
(先生のせいなんだからね!)
怒る代わりに小さく頬を膨らませて国下先生を睨んだけれども意味が通じなかったのか、国下先生は「やったな」と言いたげな顔で小さく親指を立てた。
そういう意味じゃ無かったのに……。
クラスの女子から人気の爽やか系の若い男の先生。笑うと頬にえくぼができるのが可愛いんだって。
担当科目が国語ということもあって、生徒の目線で一緒に考えてくれて、面白おかしい話をたくさんしてくれる。
悪い先生では無いけれども、わたしは苦手な先生だった。
(先生がパパのファンなんて聞いていないよ~!)
ついさっきのことを思い出す。
この春にわたしが入学した中高一貫の永都学園の大きな特徴と言われている、学園の創立時から建っている歴史のある図書館。
三階建ての図書館の中には、子供向けの絵本から大人が読むような難しい本までたくさん置いているって、数日前の学園内ツアーで国下先生が教えてくれた。
そんな図書館のお掃除や本の片付け、生徒や先生たちに本を貸したり、返された本を元の本棚に戻したりするのがこの学園の図書委員のお仕事。
でも誰も来ない古い図書館に置いてある全ての本の場所を覚えて、図書館内の階段を昇り降りして本を探さなきゃならないから、どこのクラスでも人気の無いクラス委員なんだって。
わたしのクラスでも図書委員に立候補する人がいなくて、そこから話が進まなくなったんだけど、見かねた国下先生がみんなに話しちゃったんだよね。
『このクラスにはな、先生も大好きな人気小説家の十司英蒔の子供がいるんだ』
国下先生のその言葉をきっかけにクラス中がざわざわと盛り上がって、『えっ! そうなの!?』や『マジかよ。十司英蒔って有名人じゃん!』という声があちこちから聞こえてくる。
そして国下先生はニヤリと笑うと、わたしを見たのだった。
『十司、図書委員をやってみないか?』
国下先生の言葉でクラスは大盛り上がり。誰もがわたしを期待するように見つめてくる。
注目を集めたわたしは早く解放されたくて、つい小さく手を挙げて言っちゃったんだよね。
『じゃあ、やります……』
その言葉を待っていましたというように、教壇の上でクラス委員決めを取りまとめていたクラス委員長に国下先生が合図を送ってしまう。
それで図書委員になったんだけど……。
「文ちゃんのお父さんが人気の作家さんって知らなかったな。なんで教えてくれなかったの?」
他の委員が決まっていく中で、入学式で仲良くなった隣の席の夏樹ちゃんに小声で聞かれる。
将来の夢はアナウンサーという夏樹ちゃんは、クラス委員決めを始めてすぐに放送委員に立候補して決まったんだよね。
目がぱっちりして可愛いし、みんなの話しをまとめるのが上手だから人前で話す仕事は絶対向いていると思うの。ぱっとしない見た目のわたしとは大違い。
「だって、パパがこんなに人気なんて知らなかったから……」
本当はウソ。わたしのパパである十司英蒔は今や日本国内に限らず世界中で人気のミステリー作家なんだ。
ある時は警察官のお話、その次は探偵のお話、高校や大学を舞台にしたお話もあるんだって。
パパが書いた小説の中にはドラマや映画になっている作品がいくつもあって、ついこの間映画になったパパの小説には小中学生に人気の俳優やアイドルが何人も出演していることで有名なんだって。
わたしはパパのお仕事や小説に興味が無いから話を聞いても「ふーん」としか思わなかったけれども、テレビのワイドショーやインターネットで何度も話題になっているから本当みたい。
「お父さんが作家さんなら図書委員は文ちゃんにピッタリだね! だって小さい頃からたくさん本は読んでいるでしょ?」
「そうだね……」
これも真っ赤なウソ。本当は本なんて大嫌いだし、読書なんてもっとイヤ。
パパのせいで昔から国語が得意と思われていたわたしは、国語のテストの点数が悪いとすぐに先生から心配されるの。
問題が難しかったのかとか、具合が悪かったのかとか。
だから国語だけは猛勉強してクラスの平均点をキープしてきた。
でもそれが原因で、本を見ると国語の点数を落とされないように勉強していた日々を思い出して憂うつになる。
漢字や文字がたくさん連なっている長い文章を見ても同じ。プレッシャーでお腹が痛くなるんだ。
だからパパが小説家だって知る人や知り合いが誰もいないこの永都学園の中学部に進学したのに……。
(大丈夫。クラス委員は一年間だけ。二年生になれば、もう図書館なんて行かなくていい)
そう自分に言い聞かせて、クラス委員決めが終わるのを待ったのだった。
◆◆◆
「十司、少しいいか?」
その日の放課後、帰り支度をしていると国下先生に呼び止められて一冊の古い本を渡された。
表紙には『楽しい図書館の使い方』と書かれていて、エプロン姿の女の人が本棚の前で本を手にして笑っていたのだった。
「早速、図書委員の仕事だ。この本を図書館に返しに行ってくれ」
「何ですか? この本……」
「学級文庫。去年図書館に返しそびれた本らしい。掃除当番がロッカーの裏に落ちていたのを見つけてくれたんだ」
わたしの学校には朝のホームルームの前に朝読書の時間がある。
そこで各々準備した本を読むんだけど、読みたい本が無い人や本を忘れた人のために、各クラスには学級文庫と呼ばれる図書館から借りた本のセットが置いてある。
定番の文学作品から読んでタメになる科学や社会の本、戦国武将や政治家の伝記やスポーツの本まで、自由に読んで良いことになっているの。
三月になると図書館に返して、四月からはまた別のクラスに貸すってことを繰り返しているらしいけど、どうやら去年このクラスを使っていた人たちが返し忘れたみたい。
「せっかくだから図書館を見学してこい。ここの図書館はいいぞ。静かで本の種類も豊富で。勉強に集中できるからって、うちの大学生からも人気だ」
わたしが通っている永都学園は中高一貫の学校だけど、市外には大学部がある。そこに通う大学生も希望すればここの図書館を使えるんだって。
基本的には中学生と高校生のための図書館だけど、今は図書館を使う人が全然いないから大学生が一番使っているとか。
(まあ、そうだよね。今どき本なんて読まなくても困らないし)
わたしも読書が嫌いだけどクラスでも読書が苦手な人は多いみたいで、朝読書の時間はかなり評判が悪い。
読書なんてやるくらいなら短時間でできる漢字や計算ドリルをやった方が良いって。
今どき本を読まなくても物語の内容を短くまとめた動画がいくつもあるし、ネットには感想が溢れていて本を読まなくても読んだ気になれる。
そもそも学生は勉強や部活が忙しくて本を読む暇が無いもの。
家に帰ったらSNSで新しい情報をチェックして、好きなアニメやドラマを観るのに忙しい。
わたしは国下先生から本を受け取ると、「はーい」と適当に返事をして教室を出たのだった。
下駄箱で靴を履き替えて校舎から少し離れた場所に建つ図書館に向かっていると、近くのテニスコートからは賑やかな声が聞こえてくる。
「やったじゃん! いいスマッシュだったぜ!」
「えへへっ……まあな!」
今日は男子テニス部が使っているのか、永都学園のロゴ入りジャージ姿の男子二人組がハイタッチを交わす姿が見える。
吹奏楽部が練習しているのか遠くからは金管楽器の音が辺りに響いていた。
今は新入生の勧誘期間だからかどの部も力を入れて活動しているみたいで、夏樹ちゃんもホームルームが終わるとすぐに放送部の見学に行っちゃったんだよね。
(いいな。みんな本気になれるものがあって)
わたしには特技と呼べるものも趣味というものも無い。
運動はあまり得意じゃないし、人並みに動画を観たりゲームをしたりするけどそれだけ。
夏樹ちゃんのように将来の夢が決まっているわけでもないし、特にやりたいことも無い。
パパを知っている人たちからは、パパを真似して物語を書いてみたらと言ってくれるけど、文章を読むことさえイヤなわたしが長い文章を書けるわけが無いじゃない。
そんなことを考えていると、やがて童話に出てくるようなドーム状の古い建物が目の前に現れる。
(あれが図書館だっけ……)
今にも崩れてしまいそうな黒ずんだ黒い壁、窓は本棚で隠れているのか真っ暗で中は何も見えなかった。
図書館というよりはお化けが出てくる洋館って言われてもおかしくない。
読書が嫌いなわたしには縁が無い場所だって思っていたけど、まさか図書委員として行くことになるなんて……。
(頼まれた本を返したらさっさと帰ろう)
そう心に決めて、わたしは図書館に入る。
図書館は土足が禁止されているので玄関で専用のスリッパに履き替えると、自動ドア前の入場ゲートに入学時に渡された顔写真付きの生徒証をかざす。
駅の改札口みたいで、タッチするとピコンと音が鳴ってゲートが開くのが楽しい。
(へぇ。ここが図書館なんだ……)
そして初めて立ち入った図書館は見渡す限り天井まで埋め尽くすような本棚に囲まれていて、外の明かりがほとんど入ってこないからかどこか息苦しく思えた。
去年まで通っていた小学校の図書室は校舎の最上階にあって、場所も狭くて開放的な明るい場所だったから、ここの図書館とは大違い。
(えっと、本を返すには一階のカウンターに持っていけばいいんだっけ?)
入り口脇に貼られた新入生向けの図書館の使い方と図書館内のマップを確かめる。
今いるのが一階で、突き当たりには図書館で働く人――司書って呼ばれている図書館の専任のスタッフさんが座っているカウンターがある。
ここのカウンターで本を外に持ち出す手続きや持ち出した本を返すことができるんだよね。
他にも探している本が見つからない時や本の探し方が分からない時は司書さんが代わりに探して教えてくれる。
図書館の中に置いているパソコンからも本を調べられるけど、司書さんに聞いた方が早いもの。だって「餅は餅屋」ってことわざがあるでしょう?
その道のことは、その道に詳しい人に聞いた方が良いみたいな。
国下先生から預かった本を持ってカウンターに行ったけれども、そこには誰も座っていなかった。
カウンターの奥にドアがあるから、そこに居るのかな。
「あの。すみません。本を返したいんですけど」
ドアに向かって声を掛けたけれども、人が出てくる気配は無かった。
カウンターに置かれたパソコンの電源は点いたままだから、どこかに行っているだけだと思うけど。
(困ったな……)
わたしは腕時計を確認する。家から学校まで電車で一時間は掛かるから、あまり遅くならないうちに帰りたい。
パパとママには遅くなるって言わなかったから、心配されるかも。
(自分の本じゃ無いし、ここに置いて帰ろうかな……)
目の前のカウンターに本を置いて帰ろうかと思ったところで、どこから現れたのか若い男の人がカウンターに入ってくる。この人が図書館で働く司書さんなのかな。
国下先生よりも若く見えるから、司書さんというより大学生みたい。
首の後ろで黒い髪を結んで肩に流しているお兄さんに勇気を出して話し掛ける。
「すみませんっ! 本を返したいんですがっ!」
わたしの声に気付いていないのか、お兄さんはカウンター内のイスに座って本を開く。
そうかと思えば半透明の白いページを開いて、本の真ん中に貼り始める。ページが外れた本を直しているのかな。
「お兄さん! 本を返したいんですけどっ!」
そこでようやくお兄さんは手を止めて顔を上げた。
整った顔立ちに切れ長の黒い目がキラキラしていて、まるで漫画に登場する王子様のようだった。
「もしかして、私に声を掛けていますか?」
まるで初めてわたしに気付いたというようなお兄さんの言葉にむっとしてしまう。
ずっと話し掛けていたのに今さら気付いたなんて、無視されていたみたいで悲しい。
悔しくてちょっと言い方が強くなってしまう。
「そうです。ずっとお兄さんに声を掛けていました!」
「そうですか。すみません。まさか今の時代に私の姿が見える人がいるなんて思わなくて……」
姿が見えるなんて言い方をするってことは、まさかお兄さんは幽霊なのだろうか。だんだん怖くなってきたけれども、早く帰るためにもさっさと用事を済ませてしまいたい。
そこでお兄さんに本を渡したのだった。
「この本、私の教室から見つかりました。多分、学級文庫として借りていた本だから、図書委員から図書館に返すようにって、担任の国下先生に頼まれました」
「わかりました。ちょっとお借りしますね」
お兄さんは慣れた手つきで本を裏返して、「永都学園中学高校図書館」と書かれたシールと、その下の黒と白の線からなるバーコードを、パソコンとつながったバーコードスキャナーで読み込む。
スーパーと同じだと思っていると、パソコンに何か表示されたのか、「たしかに」と呟いたのだった。
「こちらの本は昨年度の中等部一年Bクラスに貸していた本です」
「どのクラスに貸したかも分かるんですか?」
「ええ。この図書館のバーコードにはそういった本の貸し借りに関する情報が記録されているんです。この本を誰にいつ貸して、そしていつ誰が返したのかも」
「すごいですね。まるで魔法みたい」
「あなたも図書委員になったのなら、このバーコードを使う機会があると思いますよ。図書委員は本の貸出や返却のお手伝いをしますから。と言っても、最近の子供たちは本なんて全然読まないから、このバーコードを使う機会もありませんけどね」
話しながらもお兄さんはパソコンを操作して、何度もバーコードシールをスキャナーで読み取る。
そして何故か本をわたしに返してきたのだった。
「この本を持って来られたということは、あなたは一年Bクラスの図書委員さんなんでしょう?」
「そうです。一年Bクラスの十司文です」
「十司さん、練習だと思って、この本を本棚に戻してもらえませんか。棚は『010』になります」
「『010』の棚、ですか?」
「ここのタイトルの下を見てください。四角に囲まれたシールが貼っているでしょう?」
お兄さんが指したのは、この本の側面。本を本棚に入れた時に見えるタイトル――『楽しい図書館の使い方』だった。
そこには黒い四角形に囲まれたシールが貼られていて、四角形の一番上の行には「010」の数字、その下には「ミヤ」とカタカナが印刷されていた。
「このシールは請求記号と言って、この本が図書館のどこの棚にあるかを示しています。例えるなら、本の住所のようなものです」
「その『010』の下の『ミヤ』も?」
「そうです。『010』が本の棚を表しており、『ミヤ』はその本の棚のどこに入れるのかを示しています。この『ミヤ』というのは、この本を書いた作者の『都浩一郎』の名字から付けられています」
本のタイトルや表紙にはこの本を書いた作家さんの名前である「都浩一郎」の名前が書かれていた。
パパの本にもその物語のタイトル以外に、その本を書いたパパの名前「十司英蒔」が書かれている。
この本を書いたのは自分です、っていう自慢のために書かれていると思っていたけれど、どうやら違うみたい。
「ちなみにこの『010』ですが、それぞれ本の内容に合わせて『0から9』の数字が割り当てられています。適当に数字を付けているわけじゃないんですよ」
「じゃあこの本が『010』という数字なのも、意味があるんですね」
「ええ。この『010』というのは、図書館について書かれた本に付けられている数字です。請求記号の頭となる一文字目の『0』は図書館に関する本や辞典、辞書などの本に付けられるので。それを図書館では『総記』と呼びます」
お兄さんはさっきわたしに返した本の請求記号を指差しながら教えてくれる。
「こういった本の内容ごとに『0から9』の数字を付けて十個のグループに分けることを、『分類する』と呼んでいます」
「他の数字にも意味があるんですか?」
「『1』から始まる本は人の心に関する心理学や昔の人の考えや教えについてまとめた哲学書、『2』から始まる本には各国の土地や歴史、時代ごとの出来事や偉人に関する伝記に付けられています。二桁目以降の数字にも意味があるので、それはまた別の機会には教えますね」
そしてお兄さんはカウンターの横にある階段を指す。
その先には天井までぐるりと伸びるような螺旋階段があった。
「『010』の本棚は三階の奥になります。本棚の側面に数字が書いてありますので、同じ数字の棚に行ってください」
「すぐ見つかりますか? わたし、帰りの電車があるので、あまり遅くならないうちに帰りたいんですけど」
「分からなければ、『0』類の彼に聞いてください。自分の本が滅多に読まれないからって、拗ねてますので。十司さんが話し掛けたら、きっと喜んで教えてくれますよ」
お兄さんに見送られながら、言われた通りに螺旋階段を昇って三階に向かう。
天井に近づくにつれて、図書館に入った時からずっと鼻をムズムズさせる乾いた埃と古い紙の臭いが強くなる。
このいかにも図書館って感じの臭いがイヤで図書館が嫌いな人も多いらしいけど、わたしはパパが仕事で使っている自宅の書斎と似ているからか、あまり気にならなかった。
「えっと。ここが三階だよね……」
お兄さんに教えられた三階に着いたけれども、わたし以外には誰もいないようだった。
階段の側の案内図によると、ここには「0から2」までの数字が付けられた本を置いているみたい。
本棚の側面にはそれぞれ「221 日本の歴史」や「110 哲学」と書かれていて、同じ数字の本がその本棚に集められているようだった。
その本棚の中で今度はあいうえお順に並べられているみたいで、一番上の棚の左端が「ア」、一番下の棚の右端に「ワ」から始まる本が置いてあった。
(『010』の棚は……っと)
本棚を順番に見ながら突き当たりに向かって歩いていると、ようやく「0」からは始まる本の棚が現れる。
でも他の数字の本棚とちがって、「0」から始まる棚は三個しか無かったんだ。
「なにこれ! どこに入れたらいいの!?」
他の本棚は数字ごとに本棚が決まっていたけど、「0」から始まる棚だけが数字が混ざってぐちゃぐちゃになっていた。
一番上の棚の「000」の本の隣に「007」の本、そして「007」の隣には「001」の本と「012」の本が交互に並んでいたのだった。
誰かが適当に本を出し入れしたような棚にうんざりしてしまう。
(同じ数字を探していたらキリがないよ~)
お兄さんには申し訳ないけど、わたしも適当な棚に本を戻して帰ろうかな。
そんなことを考えて目の前の本棚にあった「050」の本の隣に、持っていた「010」の数字が割り当てられた『楽しい図書館の使い方』の本を入れた時だった。
「おい。そこは雑誌や年鑑に関する本を入れる場所だ。図書館に関する本は上から二番目の棚」
いつからそこに居たのか、わたしと同い年くらいの金髪の男の子が立っていたんだ。
「君はだれ?」
わたしと同じくらいの身長で永都学園の中等部の制服を着ているから、同じ一年生かと思ったけれども、こんなに目立つ金髪の男の子を見たことはなかった。
吊り上がった目とキリリと整った眉なんて、いかにも女の子からモテそうなのに。
そんな男の子はわたしを無視して、さっき適当に本棚に戻した『楽しい図書館の使い方』の本を引っ張り出すと、元の場所という上から二番目の本棚の真ん中あたりに入れてくれる。
その本の左隣の本が「010」と「マサ」のシールが貼られた本で、右隣の本が「010」と「ヤナ」のシール付きの本だから、「010」と「ミヤ」のシールが書かれたわたしの本はこの間ってことね。
「ありがとう。君も一年生? わたしは十司文。中等部の一年Bクラスの図書委員なんだ」
「ああ。あんたが歴彦が言っていた。オレたち『ビブリティカ』のあるじってことか」
歴彦って人がさっきカウンターにいたお兄さんの名前なのかな。それにしても同い年くらいの男の子の偉そうな態度と言葉にちょっとむっとなる。
売り言葉に買い言葉で強く出てしまう。
「『ビブリティカ』って、なあに?」
「はんっ! オレたちのことが見えるのに『ビブリティカ』のことを知らないって、お前も本が好きで図書委員になったんじゃないのかよ」
「勝手に決めつけないでよ! わたしだって別にやりたくて図書委員になったわけじゃないんだもん! 本がきらいなのに、パパが小説家だからって理由だけで図書委員を押し付けられて、迷惑しているんだからっ!!」
クラス委員決めでの悔しさが爆発したのか、つい関係ない男の子を相手に喧嘩腰になってしまう。
「だいだい今どき図書館で本を読む子なんていないでしょ! みんな勉強や部活で忙しいし、家に帰ったらSNSをチェックして好きなテレビを見なきゃいけないの! 本なんて読まなくたって生きていけるし、自分が読まなくたって誰かの感想やまとめブログで読んだ気になれるもの!」
漫画のように絵が中心だとすぐに読めるけれども、文章はそれを読んで頭の中で整理して想像しなければならない。
その本を書いた作者はどう考えて、何を伝えたいのか。それを考えるのが大変なの。
国語のテストなんて、自分が思ったことと、作者が考えたことが違っていると点数をもらえない。
読書感想文の宿題だって同じ。自分がその本を読んで思ったことより、作者が思ったことを当てなきゃならないなんて、そんなの自分が読まなくてもいいじゃない。
それなら誰かが書いた本の感想を読んで、その本を読んだ気になった方がずっと自分の時間を節約できる。
勉強や部活の合間の限られた時間しか使えないなら、自分が好きなことをしたいじゃない。
そういうつもりで言ったら、目の前の男の子がビシッとわたしに向けて指を突きつけたのだった。
「こんな奴がオレたちのあるじなんて何かの間違いだ! オレは絶対に認めないからな!」
「なによ、それ! わたしだってあなたみたいな人に用は無いんだからっ!!」
お互いにフンと顔を背け合うと、男の子はどこかに行ってしまう。
そして入れ替わりにやってきたのは、女の子のように可愛い栗毛のボブショートをした男の子だった。
見たこと無いけど、この子も中等部の生徒なのかな。わたしやさっきの金髪の男の子と同い歳くらいに見える。
「さっきからうるさいんだけど。図書館なんだから静かにしてくれる?」
「ご、ごめんなさい……」
わたしはすぐに頭を下げる。
怒りですっかり忘れていたけれども、図書館では静かにするようにって、学園内ツアーの時に国下先生が言っていたっけ。
「で、チビサクと喧嘩してたってことは、君がおれたちのあるじなの?」
さっきの金髪の男の子がサクって名前なのかな。
チビって言っているけど、目の前の男の子とあまり変わらなかったような……。
そんなことを考えていると、栗毛の男の子にジロジロと見られて、またしてもイヤな気持ちになる。
「あるじになんてなりませんっ! さっきから『ビブリティカ』が何か知らないけど、わたしには関係ないからっ!!」
「あっそ。おれはどうでもいいけどね。ツグ兄に言われて様子を見にきただけだし」
その子もいなくなると、わたしは図書館に取り残されてしまう。
「もう! あるじとか、『ビブリティカ』とか何なのよっ!!」



