天気……昨夜、シャオパイのうちの前に着いたあと、バケツの水をひっくり返したような大雨に見舞われた。雷鳴もとどろき、怖くてまんじりともできずに、シャオパイのうちの軒先で、一晩中雨宿りをしていた。今朝は雨もあがって、よい天気になった。

昨夜、ぼくと老いらくさんは、夜のとばりが降りる前に、シャオパイのうちの前に着いた。電気がついていない暗い部屋のなかに向かって
「シャオパイ、いないのか」
と、ぼくが呼びかけると
「誰だ?」
と、男の人の低い声が返ってきた。そのあと
「誰か外にいるの?」
と、女の人の高い声が返ってきた。
「誰もいないのかと思っていたら、なかに人がいたのか。どうして電気をつけないのだろう」
老いらくさんが、そう言って、けげんそうな顔をしていた。
まったく、そのとおりだ。
(まっ暗い部屋のなかで、何をしているのだろう)
ぼくもそう思った。玄関のドアも、勝手口のドアも、ぴったり閉まっていたので、ぼくは窓台にあがって、外から家のなかの様子を、こっそりと、うかがった。夜空の星明かりに照らされて、なかの様子が、ぼんやりと見えた。驚いたことに家のなかに、人は誰もいなかった。
「さっきの声は何だったのか。幽霊か?」
老いらくさんが不気味なことを言った。
「そんなことはないです。ここは幽霊屋敷ではありません」
ぼくはそう答えた。
「だったら、あの声は一体、何だったのか」
老いらくさんは、恐怖におののいたような顔をしていた。
「あっ、思い出した。このうちには、人の声真似ができる九官鳥がいる。その九官鳥だ」
ぼくは、そう言った。
「その九官鳥は、いろいろな人の声真似ができる。男の人の声真似も、女の人の声真似も
できる。留守のときは、人がいるように見せかけて、不審者が家のなかに入ってこないように家を守っている」
ぼくがそう言うと、老いらくさんが、ようやく合点がいったような顔をしていた。
(やはりシャオパイも飼い主さんも、今、ここにはいないのだ)
ぼくはそう思った。会えなかったのは残念だが、愚痴をこぼしても仕方がないので、ぼくと老いらくさんはシャオパイのうちを出ようとした。するとちょうどそのとき、空がにわかに曇ってきて、稲光とともに、どしゃぶりの雨が降り出した。雷が鳴り響き、怖くてとても外に出られるような状況ではなかった。ぼくと老いらくさんはシャオパイのうちの軒先で、雨がやむまで雨宿りをすることにした。雨は一晩中降り続き、朝方になってようやくやんだ。ふと気がつくと、いつの間にか、老いらくさんの姿が見えなくなっていた。
(あれっ、どこへ行ったのだろう。翠湖公園に帰っていったのだろうか)
ぼくは一瞬、そう思った。でも鼻をつんつんいわせると、それほど遠くないところから、ネズミのにおいがしてきた。十メートルほど先にあるごみ箱のなかから、においが出ていた。ゴミ箱の近くで待っていると、それからまもなく老いらくさんが、ゴミ箱のなかから出てきた。老いらくさんのほかに、もう一匹、ネズミがいた。カヤネズミだった。カヤネズミは、ぼくを見ると、あわてふためいた様子で逃げて行った。
「笑い猫、わしは今、有力な手がかりを得た」
老いらくさんが、そう言った。
「何の手がかりですか」
ぼくは聞き返した。
「シャオパイと飼い主さんが今、どこにいるかの有力な手がかりだ」
老いらくさんが、したり顔でそう言った。
「そうですか。それはありがたいです。どこにいるのですか」
ぼくは、気が浮き立っていた。
「今、いっしょに、ごみあさりをしていたカヤネズミの話によると、学校に行ったそうだ」
老いらくさんが、そう答えた。
「学校ですか?」
ぼくはけげんに思って聞き返した。
「うん、学校だ。『雲の上にある学校』だと、カヤネズミが言っていた」
「『雲の上にある学校』ですか?」
ぼくは再び聞き返した。
「うん、『雲の上の学校』だ」
老いらくさんがそう答えた。
そんな学校があるのかどうか、さっぱり想像もつかなかったので、文字通り、雲をつかむような話に思えた。
「『雲の上の学校』と言っても、実際には、雲の上にある学校ではなくて、高い山の頂上付近にある学校だそうだ。山の中腹付近に、いつも雲がかかっていて、下からは見えないので、『雲の上の学校』と呼ばれているそうだ」
老いらくさんが、そう説明してくれた。
「カヤネズミは、どうして、その学校のことを知っているのですか」
ぼくは、けげんに思って聞き返した。
「シャオパイとシャオパイの飼い主さんは、夜中にうちを出ていったので、こんな夜更けにどこへ行くのだろうと思って、この家に飼われている九官鳥の背中に乗せてもらって、こっそりあとをつけていったそうだ。すると『雲の上の学校』に着いたそうだ」
老いらくさんが、そう言った。
「そうか、そういうことだったのか」
老いらくさんの話を聞いて、少しは『雲の上の学校』のイメージがつかめてきたように、ぼくには思えた。シャオパイの飼い主さんは、神々しくて仙女のような人だから、『雲の上の学校』に行ったという話も、まんざら信じられない話でもないような気がしてきた。でも、もし本当だとしたら、どうして、その学校に行ったのだろうか。ぼくには、それがまだよく分からないでいた。『雲の上の学校』が、どんな学校なのか、もっと知りたいと思った。
「老いらくさん、その学校のことについて、もっと詳しく聞かせてください」
ぼくは老いらくさんに懇願した。すると老いらくさんが、首を横に振った。
「わしもまだよく分からないでいる。カヤネズミは、わしよりもよく知っているみたいだから、聞くことができるかもしれない。しかしお前が急に現れたから、びっくりして逃げていってしまった」
老いらくさんがそう言った。
「そうとは知らなかったものだから……」
ぼくはバツの悪そうな顔をした。
「ぼくはこれからすぐに隠れますから、老いらくさん、早く、カヤネズミを探しに行ってください」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。老いらくさんは、それでもまだ、すぐには、うんとは言わなかった。
「笑い猫、高山の頂上付近に、そんな学校があって、シャオパイの飼い主さんが今、そこにいるという話を、本当に信じているのか」
老いらくさんが聞いた。
「ほかの人が、そこにいるという話だったら、ぼくは信じないと思います。でもシャオパイの飼い主さんが、そこにいるという話だったら、信ぴょう性があると思います。普通の人とは違って仙女のような雰囲気にあふれている人ですから」
ぼくはそう答えた。
「わしも、そう思っている。あの人には不思議なところがあるからな」
老いらくさんが、そう言って、ぼくの考えに同調した。
老いらくさんは、そのあとやっと、先ほど、ぼくを見て逃げて行った、あのネズミを探しにいった。今度は、カヤネズミを怖がらせてはいけないと思ったので、ぼくは隠れる場所を探していた。ところが隠れる場所をまだ見つけられないでいるうちに、老いらくさんがもう、カヤネズミを連れてきた。ぼくを見て、カヤネズミが緊張しているのが分かった。それに気がついた老いらくさんが、カヤネズミに
「大丈夫だよ。怖がらなくていいよ。この猫は普通の猫とは違って、ネズミに対してとても友好的だから」
と言っていた。老いらくさんが、そのあと、ぼくのほうを向いて
「笑い猫、友好のしるしに、お前の笑顔をカヤネズミに見せてくれないか」
と言った。ぼくは、うなずいた。それからまもなく、ぼくは、カヤネズミに、にっこりと笑みを浮かべてみせた。そのあと、ぼくはネズミの言葉で、カヤネズミにあいさつをした。すると、カヤネズミの緊張の糸がほぐれていくのが、はっきりと分かった。カヤネズミは、そのあと、老いらくさんに、何か、こちょこちょと耳打ちをしていた。
「笑い猫、カヤネズミは、わしとお前を、これから『雲の上の学校』がある山へ連れていってもいいと言っている」
「えっ、ほんとうですか?」
ぼくは半ば信じられないような気持ちだった。
「その学校は高山の上にあるそうですが、この近くには高山はないから、遠いところまで行かないといけないのではないですか。行けるのですか?」
ぼくは心配そうな声で、老いらくさんに聞き返した。
「どんなに遠いところであっても、わしは行ってみたいと思っている。いっしょに行こうよ」
老いらくさんが、ぼくを励ますように、そう言った。
「分かりました。行ってみましょう」
ぼくはそう答えた。
それからまもなく、ぼくと老いらくさんは、カヤネズミのあとについていった。昨夜の雨が、空を覆っていた黄砂を吹き飛ばしてくれたので、遠くの景色までよく見えるようになっていた。カヤネズミは西のほうへ向かって走っていった。急峻な山として知られる西山山脈の山々が遠くに見えた。山々の中腹には雲がかかっていて、まるで一幅の水墨画のようにきれいだった。
「『雲の上の学校』は、あの西山山脈の上にあるのか」
ぼくはカヤネズミに聞いた。
「そうです。あの山脈のなかの最高峰の上にあります」
カヤネズミがそう答えた。カヤネズミは、そのあと辺りを、きょろきょろ見回しながら
「確か、この辺りにこの町で一番高いテレビ塔が建っているはずだがなあ」
と言った。
「テレビ塔と『雲の上の学校』と、どう関係があるのか」
ぼくはけげんに思って、カヤネズミに聞き返した。
「そのテレビ塔に登ったら、『雲の上の学校』が見えるかもしれません」
カヤネズミがそう答えた。
「そうか。そういうわけか」
ぼくは合点がいった。テレビ塔はすぐに目に入ったので、ぼくと老いらくさんは、カヤネズミのあとについて、テレビ塔の下まで走っていった。かなり高いテレビ塔で地上からの高さは五百メートルぐらいはあるように思えた。登り口には人が登れるような階段がついていた。ぼくもネズミも高所恐怖症ではないので、上に登っていくことに少しも怖さを感じなかった。ぼくたちはさっそく、階段伝いに、上に登っていった。登っていけばいくほど、町全体の景色がよりいっそうはっきりと見えてきて、爽快な気分になった。昨夜の大雨に洗われて、街路樹や公園や里山の木々の緑が美しく輝いていた。町を流れている川も、太陽の光を浴びて、きらきらと輝いていた。町全体が宝石のように美しかった。
再び目を西山山脈のほうに向けると、白い雲が山の中腹にかかっているのが見えた。目を凝らして、雲を見ていると、雲の上に山の山頂付近が、ぼんやりと見えた。はっきりとは分からないが、何か建物が建っているように見えないこともなかった。
(もしかしたら、あれが『雲の上の学校』だろうか?)
ぼくはそう思った。