嘘つきと疫病神

 ずかずかと大股で近寄ってくる男の子を見るなり、身体が勝手に距離を取ろうと後ろへ退いた。
 その仕草が男の子の逆鱗に触れたようで、歩みを進めながら苛立ちに表情を歪めた。

「お前、どうしてあの時逃げなかった」

 一瞬何を問われているのか理解できなかった。男の子は近寄りながら、その問の答えを聞くまで帰らせないという威圧感を醸し出す。
 何も答えられない。声を発することすら憚られて、口を開けば声にならずに息だけが漏れ出す。

「まさか、あのまま連れ去られてもいいとか考えていたのか」

 近寄りながら男の子は問う。もう一度同じ問を口にした男の子の鋭く睨みつけてくる視線が突き刺さり、ふいっと視線を逸らした。
 男に近寄られた時は恐怖を感じたものの逃げ出す程ではなかった。それが今はどうだ。男の子が一歩を踏み出すのに呼応して心の臓が脈打つ。距離が近づくたびに心臓がドクドクと音を立てて暴れ出した。

「……もしかして、話せないのか?」

 何か言わなければと思考を巡らせて、何度も息を吸っているとそんな的外れの問が降り掛かってきた。
 突然の問に、反射的に顔を上げる。男の子の表情は先程の苛立ちが消え、心配げにこちらを見つめていた。

「悪い、話せないのにあれこれ聞いちゃって……」
「あっ……ち、違う!」

 罰が悪そうに顔を背けてしまうから、思わず自分でも驚くくらい大きな声が喉から出た。自分でも身体が震えるくらいの衝撃である。
 男の子は話せないのかもしれないと思った相手が突然声を出すものだから、目を点にして固まっている。
 先程から繰り返されるぎこちない会話に辟易していたのか、それとも男の子の変わりように緊張が解れたのか上手く息を吸えるようになっていた。

「は、話せる。話せま、す」

 後になって思えば、わざわざ敬語に直す必要など無かった気がする。しかし、男の子の口調や発言が随分と大人びているから、口をついて出ていた。

「ああ、そっか……怪我は、怪我はない? あいつに何かされなかったか?」
「う、ううん。怪我は大丈夫。酷いことも、されていないよ」

 何故だろう。どうして言葉を発する度に視界が歪み出すのだろう。

「え………?」

 男の子の驚きに言葉を失って無理矢理に絞り出した声が聞こえる。相手が同年代であろうと弱みを見せるのは良くないと知っている。
 泣けば殴られ、文句を言えば蹴られる。感情を表に出せば痛い目に遭うから、表に出さないようにして生きた。それなのに感情を押し殺して生きていれば化け物だなどと言われる。
 自分の身体は、心はすでに限界を迎えていた。

「ちょ、ちょっと……えっと、どうすればいいんだよ」

 男の子の慌てふためく声が頭上から聞こえる。俯いて流れる涙を拭っていると、その不器用な優しさが心を包んでくれる気がした。初めて感じる他人からの優しさ。誰かに向けられる優しさはこんなにも温かいものなのか。
 遠くから人々の騒がしい声が聞こえてくる。騒ぎを聞きつけて集まってきたのだろう。
 自分のせいで町が混沌に巻き込まれてしまった。申し訳の無さと居た堪れなさに顔を上がられずにいると、不意に誰かに手を引かれた。

「一緒に来て」

 手を引いたのは、未だ手持ち無沙汰にしている見ず知らずの男の子だった。